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日光市
旅行記(主に北海道)・乗車記・フェリー乗船記・ホテル宿泊記やアイヌ語地名の紹介など。ネタ視点多めで毎日懲りずにお送りしています
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2016年10月10日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (61) 五十里~川島 (1878/6/26)
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今日からは、1878/6/30 付けの「第十二信」(本来は「第十五信」となる)を見ていきます。第十二信は「車峠にて」と記されていますので、西会津町の「上野尻」あるいは「下野尻」のあたりまでたどり着いたようですね。 六日間の苦闘の記録は、五十里から再び始まります。 奇妙なご...
2016年9月22日木曜日
「日本奥地紀行」を読む (60) 川治温泉~五十里 (1878/6/25)
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引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 ばかばかしい間違い 川治温泉での「 ばかばかしい間違い 」のあと、イザベラはこの日の最終目的地である五十里に向かいます。 私たちはそこを出発した。五十里(イカリ)まで歩いて五...
2016年9月19日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (59) 藤原~川治温泉 (1878/6/25)
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引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 馬の草履 イザベラ一行は、藤原(現在の日光市藤原)を出発して、次の目的地・高原(現在の川治温泉付近)を目指します。新藤原から川治温泉までは、現在は野岩鉄道で 2 駅・10 分の距離...
2016年8月11日木曜日
「日本奥地紀行」を読む (58) 藤原 (1878/6/24~25)
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引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。 私の召使い 今回は、久々の伊藤少年( 伊藤鶴吉 )特集です(笑)。伊藤少年はイザベラの通訳兼雑用係として旅に同行していますが、推薦状を持参せずにイザベラの前に現れ、それを咎められた...
2016年7月18日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (57) 小佐越~藤原 (1878/6/24)
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引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは現在の日光市小佐越(旧・塩谷郡藤原町)にやってきました。 私の馬子 イザベラは日光から馬を乗り継ぎながら小佐越までやってきましたが、馬をレンタルする仕組みについて次のように...
2016年4月29日金曜日
「日本奥地紀行」を読む (56) 小百~小佐越 (1878/6/24)
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引き続き、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。イザベラは日光を出発して、小百(旧・今市市)というところにやってきました。 馬に勒(くつわ)をつける イザベラ一行は日光から小百まで馬に乗って(場所によっては歩いて?)やってきました...
2016年3月21日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (55) 日光~小百 (1878/6/24)
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今日からは、1878/6/24 付けの「第十一信」(本来は「第十四信」となる)を見ていきます。ついに本格的な「奥地紀行」が始まります。 安楽な生活去る 第十一信は実に印象的な書き出しで始まりました。 伊藤に知らせてくれた人の言う通りだった。安楽な生活は日光で終わりであ...
2016年2月11日木曜日
「日本奥地紀行」を読む (54) 日光 (1878/6/23)
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今日も引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきます。ついに……と言うか、ようやくと言うか、日光から先の旅程が少しずつ見えてきました。 旅行の準備 「明日には私は、ぜいたくな生活に別れを告げて、奥地へ旅立つ」という書き出...
2016年1月11日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (53) 日光 (1878/6/23)
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今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきましょう。 商店と買い物 イザベラの「奥地紀行」は、前段として日光の入町村に移動して、その後は現在の「いろは坂」経由で中禅寺湖から湯元までリハーサルを兼ねた小旅行に出ましたが、...
2015年11月23日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (52) 日光 (1878/6/23)
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引き続き、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきましょう。 親の愛 イザベラは、日光・入町村の人々の観察を続けます。イザベラの目には、明治初期の親子の姿は次のように映っていたようです。 私は、これほど自分の子どもをか...
2015年11月3日火曜日
「日本奥地紀行」を読む (51) 日光 (1878/6/23)
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今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(続き)」(本来は「第十三信(続き)」となる)を見ていきます。「第十信」は相当長かったからか、「第十信」「第十信(続き)」「第十信(完)」という、 どこぞの Web サイト のような三部構成になっていたのでした。 見える暗闇 イ...
2015年10月12日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (50) 日光 (1878/6/23)
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引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 金谷 イザベラは奥地紀行のベースキャンプとして、日光は入町村にある「金谷家」に逗留していました。「金谷家」は現在の「ホテル金谷」の前身でもありますね。そして、サブタイトルである「...
2015年9月23日水曜日
「日本奥地紀行」を読む (49) 日光 (1878/6/23)
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引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 針仕事 イザベラが図らずも参加することになった「子どものパーティ」の主催者(?)の女の子の名前が「ハル」で、ハルの母親が「ユキ」と言う名前です。「パーティ」での子どもたちの落ち着...
2015年9月22日火曜日
「日本奥地紀行」を読む (48) 日光 (1878/6/23)
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引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。 罰 イザベラは奥地紀行に旅立つ前に、日光は入町村の学校見学に出かけます。日本の子どもの従順さの影に日本人の国民性を見出すとともに、本来は自由奔放であるはずの子どもたちを一体どのよ...
2015年9月21日月曜日
「日本奥地紀行」を読む (47) 日光 (1878/6/23)
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今日からは、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきます。 静かな単調さ イザベラは、これからの奥地紀行の準備を整えるために日光の入町村に十日ほど逗留しましたが、イザベラが入町村を気に入るのには、十日間の逗留は十分過ぎるほどだったようでした...
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