2025年4月5日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1225) 「トセップ・庶野」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トセップ

tu-sep??
岬・広い
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号「黄金道路」の南端に位置する「フンコツトンネル」から 0.6 km ほど南に進んだあたりの地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トセツフ」とあります。

北海道実測切図』(1895 頃) では「ト゚ーチェプ」と描かれているのですが、陸軍図では現在と同じく「トセップ」となっています。これは「東西蝦夷──」の「トセツフ」と近く、先祖返りしたような印象です。

戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。

     ト セ フ
此岩浪打際に有。此神はエリモの神様と兄弟にして、至て恐しき神なるが故に此処え置といへり。トセフは広きと云儀也。また幅と云にも当る也。此処少し廻りて
     フヨカシユマ
大岩峨々と突出したり。其下に大なる穴有、此穴潜り行によろし。フヨとは穴の事、シユマとは大岩の事也。穴岩の儀なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.208 より引用)
ところが東蝦夷日誌 (1863-1867) では若干ニュアンスが違った形で記されていました。

小石濱(九丁五十間)、トウセツプ(大岩岬、穴有) 是にエリモ〔襟裳〕の兄弟の神在すよし言傳ふ。又イトセフは廣き幅と云義也。又此石をフヨシユマとも云り。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.249 より引用)
一方で、永田地名解 (1891) にはかなり異なる解が記されていました。

Tu chep   ト゚ー チェプ   二魚フタツウヲ 鱈、オヒヨウ魚ノ二魚ヲ漁スルニヨリ此名アリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.289 より引用)
tu-chep で「ふたつ・魚」だと言うのですが……。

北海道地名誌』(1975) にも、また異なる解が記されていました。

(通称) トセップ 庶野北方小漁村。アイヌ語「トシセ・プ」(凸出しているもの) で大岩岬がある。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.586 より引用)
「トシセ」という語も謎ですが、tokse で「凸起している」という語があるので、tokse-p で「凸起している・もの」と考えたのでしょうか。ただ地名では tokse-i で「凸起している・もの」となるのが一般的で、tokse-p という形は記憶にありません。

『戊午日誌』では「トセフは広きと云儀也」とあり、これはこれで意味不明なのですが、東蝦夷日誌には「イトセフは廣き幅と云義也」とあります。「イトセフ」という記録は他に見当たらないので、誤記の可能性も十分に考えられるのですが、etu-sep で「岬・広い」と見ることができそうに思えます。また tu-sep でも「岬・広い」と見ることが可能です。

永田地名解の「ト゚ー チェプ」については、『北海道実測切図』に影響を与えたものの、陸軍図では「トセップ」に戻っているということもあり、コンセンサスを得られなかった可能性がありそうです(故に仮説としては棄却しても良いかと)。

『北海道地名誌』の「トシセ・プ」説は一考の余地はあるものの、tokse-p という形が一般的ではないという点が引っかかります。もっとも etu-sep という形も類例が無いという点では似たようなものですが、より実際の地形に即しているような気がするので……。

庶野(しょや)

so-ya
水中のかくれ岩・岸
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
えりも町東部、国道 336 号と道道 34 号「襟裳公園線」が分岐するあたりの地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ソウヤ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「庶野Shoya」と描かれています。

「ハチ」説

秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』(1808) には次のように記されていました。

 一 セウヤ
  蜂の名也。
(秦檍麻呂『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.29 より引用)
これは……??? なんのこっちゃ……と思って『動物編』(1976) を見てみたところ……

§ 120.ハチ類
( 1 ) soyá《ビホロ;ナヨロ;チカブミ;タカシマ;セツリ;サマニ;チトセ;サル;ホベツ;シラオイ;レブン》ハチ
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.86 より引用)
うわわ。soya は「ハチ」を意味する語だったのですね。無知ですいませんでした……。

「アザラシのいる磯」説

ただ、上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

シヨウヤ               休所「番家」サロヽ「海岸」四里程
  夷語シヨウヤとは、則、海獣の止る磯といふ事。扨シヨウとはあざらし、海獣なと止る磯の事。ヤとは岳と申事にて、此邊の磯に海獣の止る岳なれは地名になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.58 より引用)
ハチからアザラシに大胆なクラスチェンジを果たした……ようにも思えますが、よく見ると「アザラシ」ではなく「アザラシのいる磯」とあります。「ヤとは岳と申事にて」というのは謎ですが……。

「暗礁」説

戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました

並び
     シヤウヤ
此処一ツの湾にて転太石ごろたいし浜也。前に暗礁多くして突兀とするが故に此名有る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.207 より引用)
また永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Soya   ソヤ   岩磯 庶野村ノ原名ナリ、庶野村ト猿留村ノ間大ナル
岩磯海濱ニ羅列シ小ナル岬灣多シ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.289 より引用)
諸説紛糾しているようにも見えますが、よく見ると「ハチ」説以外は so-ya でほぼ統一されていることに気付かされます。

「水中のかくれ岩・岸」説

どうやら so-ya で「水中のかくれ岩・岸」のように思えますが、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) にも次のように記されていました。

アイヌ語ではシャ行とサ行は同音で,庶野は宗谷と同じ地名であった。ショ・ヤ(磯岩の・岸) の意。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.337 より引用)
ああ、やはり。「宗谷」と「庶野」が同じ地名というのも、脊梁山脈の北の果てと南の果てに同じような地名があるということになり、偶然とは言えちょっと面白いですね。

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