(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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咲梅川(さくばい──)
sakpa-i??
夏の間・ところ
夏の間・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「豊似湖」(えりも町)の東、国道 336 号「黄金道路」の「えりも黄金トンネル」の南端で海に注ぐ川です(「咲梅川」の南には 2004 年に竣工した「咲梅トンネル」もあります)。また同名の咲梅川が新ひだか町にもあります。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロサクハイ」と「ホンサクハイ」という地名が描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) には「サクパイ」という川が描かれていて、南側(咲梅トンネルの南あたり)に「ポンサクパイ」と描かれています。
陸軍図には、ちょうど咲梅トンネルのあたりに「サクバイ」という地名が描かれていました。かつての「サクパイ」と「ポンサクパイ」を統合した位置づけのようです。
『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。
サクハイまた、戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」にはもう少し詳細に記されていました。
岩石岩壁の間ニ滝有。風景よろし。風波の節は中々行がたし。
しばしにて
ホンサクハイ
ホロサクハイ
大岩峨々たる処の岬の名也。其左右少しの湾に成る。其名義は不解也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.209 より引用)
名前の由来はわからないとしつつ、「岬の名也」と断言していますね。ただ東蝦夷日誌 (1863-1867) では次のように記されていました。(四丁卅二間)ホンサクハイ(川有、急流)幷 て(四丁廿二間) サクハイ(小川、急流、昆布場)、此處ソウヤ岳の東南に當り、灣をなし、ウトマウニと對す。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.249 より引用)
「ウトマウニと対す」の意味が良くわからなかったのですが、どうやら咲梅と猿留の間の「ヲトワウエン」のことのようです。黄金道路の旧道に「オンコの沢トンネル」がありますが、「ヲトワウエン」こと「ウトマウニ」は「オンコの沢トンネル」の手前あたりだったようです。ここで注目すべきは「川有、急流」あるいは「小川、急流」とある点です。「咲梅」は、やはり川の名前と見るべきなんでしょうか。
肝心の「咲梅」の地名解ですが、更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。
咲梅川(さくばいがわ)
庶野の北で海に出る川。サク・パイェーイで夏に行く路の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.89 より引用)
咲梅川を遡ると目黒(猿留)方面に出ることができるので、
なぜ oman ではなく paye なのかが気になっていたのですが、(和人がアイヌのガイドを伴って)複数人で連れ立って移動することが常だったが故にそう呼んだ……と考えることも一応は可能でしょうか。
ただ「春から秋」を意味する sak-pa という語があるので、単純に sakpa-i で「夏の間・ところ」と考えて良さそうな気がしてきました。
戊午日誌にも「昆布場」とあるので、季節限定で居住していた場所だったのかもしれません。素直に表現するなら sakpa-kotan ですが、-kotan(集落)をよりシンプルな表現に改めた……とも想像できますね。
フンコツ
puy-us-kot??
穴・多くある・凹み
穴・多くある・凹み
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号の「フンコツトンネル」は、「黄金道路」を構成するトンネルの中では最も南に位置しています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロフンコツ」と「ホンフンコツ」という地名が描かれています(丸印は「人家がある」ことを示しています)。
『北海道実測切図』(1895 頃) には「フンコチ」と描かれています。陸軍図では現在と同型の「フンコツ」に戻っています。
『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。
ドンドン岩 咲梅海岸の岩。波がぶつかるごとにこの音がするという。旧称「フㇺ・コッ」(音する凹み)といった。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.584 より引用)
ふむふむ……(ぉぃ)。尤もな解ですが、「岩」なのに「凹み」というのは変なのではないかと……。戊午日誌 (1859-1863) 「南岬志」には次のように記されていました。
またしばしを過て
ホンフシコツ
ホロフシコツ
等二ケ所とも少しの平地有。少しの湾也。それを云よし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.208-209 より引用)
「少しの湾也」とあります。kot は「凹み」や「沢」「谷間」などを意味するのですが、果たして「湾」を意味する例があったかどうか……。また東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。
(十三丁四十八間) ホンフシコツ、ホロフシコツ(昆布場也)、岩間少しの地所有故號 く。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.249 より引用)
「岩間少しの地所有故どうにもすっきりしないので、何か見落としているのだろう……と思って改めて手元の資料を見直してみたのですが、伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』(1821) には、フンコツの南、現在のトセップあたりの地名として「フユマシマ」と描かれていました。これは puy-oma-suma で「穴・ある・岩」と解釈できそうです。
ここからは完全に禁じ手ですが、「フシコツ」という音からは puy-us-kot で「穴・多くある・凹み」と考えることはできないでしょうか。場所柄、海食崖があっても不思議ではないと思われるので……。
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