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目一杯(フルサイズ 450 mm 相当)ズームしてみました。灯台らしき建物が見えます。
よく見ると、砲台の土台だったと思しきところに「Fort」と「No.2」の文字が。米軍が識別のためにペイントしたのでしょうか……?
第二海堡は(上から見ると)ブーメランのような形をしていて、ブーメランの真ん中あたりが小高くなっています(まるで古墳のようですね)。
第一海堡と第二海堡
お隣(2.4 km ほど離れている)の第一海堡が廃墟と化しているのと比べると、第二海堡は随分と良い状態に見えます。ただ史実としては、第二海堡は 1914(大正 3)年に完成したものの、1923(大正 12)年の関東大震災で構造物が大きく破壊され、修復が困難だとして僅か 9 年で一旦廃止されています。
しかしながら完全に放棄されたわけでも無かったようで、その後最低限の補修を行った上でカノン砲などが設置されていたとのこと。丘の上に見えるのも砲台跡っぽいですね。
釣り船
第二海堡も第一海堡と同様に、終戦後に連合軍によって破壊され、後に海上保安庁によって灯台が設置されたとのこと。第二海堡には釣り人も渡航していたそうですが、安全上の理由から 2005 年 6 月末で上陸が禁止されています。釣り目的での上陸が NG になった……ということは、このあたりの海は「釣れる」ということで、釣り船、あるいはクルーザーの姿もありました。
少し引いたアングルから撮影してみました。第二海堡の近くに釣り船が見られることがわかります。
人工島っぽい?
第一海堡が朽ちゆくままになっている(ように見える)のと対象的に、第二海堡は手厚くメンテナンスされているように見えるのですが、これは直下型の地震で第二海堡が崩壊すると、大型船の航路を埋めてしまう危険があるからとのこと。上陸用の階段が見えますが、これはいかにも人工島っぽい佇まいですね。「おがさわら丸」はかなり第二海堡に近いところを航行しているようにも思われますが、ワイド端(フルサイズ 27 mm 相当)ではこんな感じです。このアングルだと第二海堡がまるで艦船のように見えますね。
第二海堡は富津岬の沖合にあり、船舶は第二海堡を避ける形で大回りを強いられているように見えるのですが、実際には第二海堡が無かったとしても水深の問題で大回りを強いられるとのこと。灯台として存続しているのも思った以上に有意義なことだったみたいです。
車!?
第二海堡の軍事施設は連合軍によって爆破された筈ですが、現在は灯台以外にもいろいろな施設が立ち並んでいます。建物の脇には……車!? しかも横には完全に錆びて朽ち果てた、かつて車だったと思しき物体も見えます。
観音崎灯台
「おがさわら丸」は第二海堡の西側の航路を回り込むように航行し、右に変針しました。右舷側から後ろを望むと「観音埼灯台」と「東京湾海上交通センター」が見えました。そしてよく見ると、岬の影にフェリーっぽい船舶も……?(東京湾フェリーでしょうか)
【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:周辺減光補正
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