2025年3月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1220) 「ビタタヌンケ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ビタタヌンケ

pira-tunun-ke-p??
崖・間・削る・もの(川)
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾町の南端部、えりも町との町境付近の地名です。町境には「タタヌンケ川」が流れていて、南隣のえりも町目黒には「タタヌンケ川」が流れています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒタヽヌンケ」と描かれています。また『北海道実測切図』(1895 頃) には「ピタタヌンケㇷ゚川」と描かれています。陸軍図には地名として「ピタタヌンケ」とあります。

「ビタタヌンケ」がどのように記録されていたか、手元の資料を眺めてみました。『蝦夷紀行』の「ビタヽヌイ」がやや異彩を放っていますが、殆どが「ビタタヌンケ」または「ビタタヌンケㇷ゚」となっています。

東蝦新道記 (1798)鐚田奴月-
東蝦夷地名考 (1808)ヒタヽヌンゲヒタヽは濡るゝの名、ヌンゲは撰事也
東行漫筆 (1809)ビタヽヌムケ「ヒタヽルムケ」表記もあり
大日本沿海輿地全図 (1821)ホンヒタ子シケ-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)ビタヽヌンケ波の碎ると譯す
初航蝦夷日誌 (1850)ビタヽヌンケフ瓠也。ヌンケフは形也
蝦夷紀行 (1854)ビタヽヌイ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ヒタヽヌンケ-
辰手控 (1856)ヒタヽヌンケ-
午手控 (1858)ヒタヽヌンケ-
東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
ヒタヽヌンケ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ビタヽヌンケビタヽは解く、ヌンケは撰む
少きより上り盛りし
此崕危き處を土人等爰を割開きし
改正北海道全図 (1887)ヒタヽヌンケ-
永田地名解 (1891)ピタタヌンケㇷ゚寶物ヲ與ヘタル處
北海道実測切図 (1895 頃)ピタタヌンケㇷ゚川-
十勝地名考 (1914)ピタタヌンゲプ「ピ」とは解く、「タタ」とは切る、
「ヌンケプ」とは選ぶという義
三等三角点「比多良毛」
点の記 (1917)
ピタランケ(現在の「ピタタヌンケ川」)
陸軍図 (1925 頃)ピタタヌンケ-

「物を濡らして選んだところ」説

秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』には次のように記されていました。

一 ヒタ丶ヌンゲ
 ヒタヽは濡るゝの名、ヌンゲは撰事也。蝦夷此處にて物をぬらし撰たるより名となれる歟。
(秦檍麻呂『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.29 より引用)
「ヒタヽは濡るゝ」の部分が意味不明ですが、pe-ta で「水・汲む」なので、頭の「ヒ」は pe の可能性もあるかもしれません。

「波が砕ける」説

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』には次のように記されていました。

  夷語ビタヽヌンケとは波の碎ると譯す。扨、ビタヽとは解くと申事、ヌンケとは波の絶間なし、亦は撰むともいふ事にて、此海岸波のうね甲乙なく絶へす寄る故、地名になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.59 より引用)
釧路地方のアイヌ語語彙集』に pitata は「解く」とありました。また numke は「選ぶ」とありますが、pitata-numke で「解く・選ぶ」というのは他動詞が続くことになるので、違和感が残ります。

「ヒョウタンの形」説

『初航蝦夷日誌』には次のように記されていました。

     ビタヽヌンケフ
訳而瓠也。ヌンケフは形也。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.351 より引用)
「瓠」は「ひさご」で、ヒョウタンやユウガオなどの一年草を意味し、あるいは「ふくべ」で容器としてのヒョウタンを意味するとのこと。「ヌンケフは形也」というのも意味不明ですが、ヒョウタンの形をした何か(山?)があったのでしょうか。

「解いて選ぶ」説、「危ないところを切り開く」説

『東蝦夷日誌』には次のように記されていました。

大崖の下廻りて、(十九丁五十間) ビタヽヌンケ〔鐚田貫〕(川有、六間、小休所有)名義、ビタヽは解く、ヌンケは撰むと事故也(地名解)。またビタヽヌンケは少きより上り盛りしを言より〔しカ〕(リクナシ、イフイサシ申口)、又此崕危き處を土人等ここを割開きしに依てなづくると(惣乙名ハエヘク申口)。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.252 より引用)
pitata-numke で「解く・選ぶ」というのは上原熊次郎の解と同じですが、「少きより上り盛りし」と「此崕危き處を土人等ここを割開きし」については……どう解釈すれば良いのでしょう。pira-ta-nanke-p で「崖・にある・削る・ところ」と読めそうな気もしてきましたが……。

「宝物を与えたところ 説

永田地名解には次のように記されていました。

Pi tata nunkep   ピ タタ ヌンケプ   寶物ヲ與ヘタル處 「」ハ解ク、「タタ」ハ切ル「ヌンケプ」ハ擇ブ處ノ義往昔十勝「アイヌ」來攻大ニ敗ラル竟ニ荷物ヲ解キ切リテ寳物ヲ撰ミ之ヲ與ヘ降ヲ乞ヒシ處ナリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.290 より引用)
何故か武勇伝(と敗走譚)の多いことで知られる「十勝アイヌ」が「日高アイヌ」との戦いに大敗したため、降伏に際して荷を解き宝物(賠償品)を差し出した場所だ……と言うのですが、山田秀三さん風に言えば「説話くさい」解ですね。『十勝地名考』もこの解をそのまま踏襲していました。

「小石川原」説

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) では、『東蝦夷地名考』と『蝦夷地名考幷里程記』、『東蝦夷日誌』と『永田地名解』の内容に言及した上で、次のように続けていました。

 土屋茂氏によると,土地のアイヌ古老や一般の人たちはビタランケと呼んでいた由。ピタル・ランケ(小石川原・を下す),あるいはピッ・ランケ(小石・を下す)と聞こえる。ピタタヌンケㇷ゚の簡略化された形であったか,あるいは元来からその称があったものか。難しい地名である。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.334 より引用)
また、鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) にも次のように記されていました。

 地元でアイヌ語の地名研究をしておられる土屋茂氏は、アイヌの古老や地元では、ピタランケと呼んでおり、現地を調査した結果ピタルは小石川原と解し、ヌンケについては不明であると記した(南十勝地名考)。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.14 より引用)
上記を承けて、鎌田さんは次のように続けていました。

アイヌの古老などがいうピタランケであれば、ピタル・ランケ・プ「小石川原・下方にある・もの(川)」と、解せそうである。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.15 より引用)
興味深い解ですが、一世紀以上に亘って記録されてきた「ヌ」の音を否定するというのは勇気が要りそうな感じもします。確かに三等三角点「比多良毛ビタラケ」の「点の記」には、現在の「ピタタヌンケ川」のところに「ピタンケ」と描かれていたりするのですが……。

「崖にある鉄砲水」?

pitar(小石川原)が「ピタタ」に転訛したと言うのであれば、pira-ta が「ピタタ」に転訛したという可能性も考えたくなります。これも「ヌンケ」が問題になるのですが、numke で「選ぶ」と考えるのは、やはり奇妙な感じが拭えません。

地名アイヌ語小辞典』(1956) には numumke-wakka という語が採録されていて、これは「鉄砲水」を意味するとのこと。pira-ta-numunke(-p) で「崖・にある・鉄砲水」と読めたり……しないでしょうか(ただ numumke-wakka の項には「【ナヨロ】」とある点に注意が必要ですが)。

「崖にある削るところ」?

また、pira-ta-nanke(-p) で「崖・にある・削る(・ところ)」と読めそうな気もします。ただこの解釈の場合、「ピラタンケㇷ゚」となり、ずっと記録されてきた「ヌ」の音と異なる……という問題点が出てきますが、「ヌ」が「ラ」に化けたと考えるよりは、まだあり得るでしょうか。

「崖の間の谷」?

あるいは、『地名アイヌ語小辞典』には tununkot という語も採録されているのですが……

tununkot, -i ト゚ぬンコッ 谷間;狭間。[<utur(間)un(にある)kot ( 谷)]
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.134 より引用)
pira-tununkot で「崖・間の谷」と考えられないでしょうか。これだと「ピラトゥヌンコッ」となりそうですね。

「小石川原の間の削るもの」?

いや、それだったらむしろ pitar-tununkot のほうがより違和感が無いかも……。t の前に来た rt に変化するので(音韻変化)、pitat-tununkot で「小石川原・谷間」となり、「ピタトゥヌンコッ」と発音することになりそうです。「ビタタヌンケ」にかなり近づいたのでは……。

もっとも、この考え方にも「ビタタヌンケ」の「ケ」ではなく「コッ」となる点で疑義があり、更には「ビタタヌンゲㇷ゚」の「ㇷ゚」が付加される余地がないという問題が残ります。であれば tununkotkot(谷)を ke-p(削る・もの)に差し替えたら……? pitat-tunun-ke-p で「小石川原・間の・削る・もの」ということに……?

「崖の間の削るもの(川)」?

pira-pitat-pitar- の音韻変化形)の間で逡巡しているのですが、「ビタタ──」という音との近さでは pitat- が優位にあるものの、実際の地形や地名としての違和感のなさを考えると pira-tununkot(崖の間の谷間)と考えたくなります。

もっとも、この考え方にも「ビタタヌンケ」の「ケ」ではなく「コッ」となる点で……いかん、無限ループですね。まぁ「ピラトゥ」が「ビタタ」になったんじゃないか……という時点で強引な考え方ですし、だったら「コッ」が「ケ」に化けてもいいのかもしれません(何が)。

……などと半ば投げやりになっていたのですが(汗)、巨視的に考えれば pira-tunun-ke-p で「崖・間・削る・もの(川)」という考え方が妥当に思えてきました。広尾町音調津とえりも町目黒(猿留)の間の崖をごっそり削った川の名称に相応しいんじゃないかな……と。

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