【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
左舷側にも同様に、ド派手な間接照明で彩られたガントチャートがあります。
実はこのチャート、レストランやラウンジ、ショップなどの営業時間を示したものなのですが、航路図も兼ねていて、左側が竹芝桟橋、右側が父島・二見港です。つまり、初日のレストラン営業時間が終了する頃には「おが丸」がどのあたりにいるか、ひと目でわかるようになっています。
右側が父島・二見港なので、復路では時間軸が左右逆になるのですが、時間軸と地理的な位置を結びつけて認識できるのは便利ですよね。
ちなみに、チャートの左端(東京湾と三浦半島、伊豆半島が描かれていますね)の横には「貸出図書」コーナーがあります。
「貸出図書」コーナーで回れ右をすると、左舷側の待合室?が見えます。
海洋速報
竹芝桟橋で使用する左側の乗降口の横には「船内案内所」があります。船内案内所のカウンターの脇には「両替機」が置かれています。一般的には船内では現金決済が多いので両替機は重宝するのですが、「おが丸」の船内では多くの場所で Suica を始めとした交通系 IC カードが利用できるので、結局両替機のお世話になることは無かったような気も……。
壁に「海洋速報」が貼ってあるのですが、よく見ると「4 月 11 日の海況」とあります。この「海洋速報」は二見港を出航する前日にリリースされたものみたいです。
よく見ると「資料の出所」の欄に「橘丸」(だと思う)「さんふらわあ だいせつ」「フェリーきずな」「すいせん」「はまなす」「らべんだあ」「ゆうかり」の文字が。
小笠原海運のみなさんへ
「船内案内所」のある 4 デッキ左舷側の通路を船尾方向に向かいます。ファンネル(煙突)部分の壁には「小笠原海運のみなさんへ」と題されたメッセージが貼られていました。小笠原小学校の 3 年生によるメッセージのようですが、今どきの小 3 は「方々」という表現を使いこなすのですね……(汗)。
硫黄島
「小笠原海運のみなさんへ」の隣には、公益財団法人「小笠原協会」の硫黄島と言えば太平洋戦争の激戦地として知られ、現在も一般人は上陸することができない島ですが、戦前は普通に人が住んでいたんですね……。
硫黄島は父島や母島よりもサイパン島・テニアン島に近く、また米軍にしてみれば日本列島を空襲する際の中継基地として理想的な場所だったが故に、父島や母島とは比べものにならないレベルの激戦の舞台となってしまった……と言えそうでしょうか。
授乳室とキッズルーム
「硫黄島」の隣には各種記事やブックレットなどのスクラップや、ポスターなどが貼られていました(もっとちゃんと撮影しておけば良かった……)。4 デッキ左舷側には「授乳室」と「キッズルーム」があります。「おが丸」ではあまりキッズを見かけた記憶が無いのですが、きっと時期的なものなんでしょうね(夏休みとかは多そう)。
4 デッキの船尾部には「2 等寝台」の大部屋があり、手前にはトイレとシャワールームがあります。
「おが丸」トップクラスの穴場「ミニサロン南島」へは、この先を左折です。
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