2025年3月2日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1216) 「ヲナヲベツ・オリコマナイ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヲナヲベツ

inaw-kor-pe?
木幣(イナウ)・持つ・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾美幌の南、黄金道路沿いの地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲナヲヘツ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オナウケオッペ」と描かれています。黄金道路の「泉浜覆道」の西には「雄名尾別」という名前の四等三角点(標高 190.5 m)もあります。

また国土地理情報では「ヲナヲベツ」の南、音調津よりも更に南のモエケシに何故か「オナオベツ川」があるということになっていますが、これは錯誤の可能性が高そうな……?

手元の資料では以下の記述が見つかりました。「ヲナヲベツ」が「ヲナウヘツ」に化けて、「エナヲベツ」から「オナウケオッペ」に変化を遂げたものの、何故か「ヲナヲベツ」に先祖返りを果たしています。

初航蝦夷日誌 (1850)ヲナヲベツ川有。歩行渉り。上ニ滝有。
竹四郎廻浦日記 (1856)ヲナウヘツ-
辰手控 (1856)ホンヲナウヘツ-
東西蝦夷
山川地理取調図 (1859)
ヲナヲヘツ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)エナヲベツ小川 ここにて木幣を作り神に手向し故此名有
改正北海道全図 (1887)ヲナヲコツヘ-
永田地名解 (1891)オナウケオッペ蔓掛ツルカケ
北海道実測切図 (1895 頃)オナウケオッペ-
十勝地名考 (1914)オナヲベツ「オナウケ・オツ・ベ」で「蔓掛け」
陸軍図 (1925 頃)オナオベツ-
北海道地名誌 (1975)オナオベツ「オナウケオッペ」(そこに鈎をおくところ)
地理院地図ヲナヲベツ-

「イナウの川」説

まず『東蝦夷日誌』ですが、次のように記されていました。

過てエナヲベツ(小川)、寛政度近藤最上此處より新道を切初しが故に、ここにて木幣を作り神に手向し故此名有と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.258 より引用)
inaw-pet で「木幣・川」では無いかとのこと。文法的には若干の違和感がありますが、-us あたりが中略されたと考えれば違和感はクリアできそうです。

「蔓を掛けるところ」説

一方で永田地名解ですが……

O-nauke ot pe   オ ナウケ オッ ペ   蔓掛ツルカケ 往時山道ノ入口ナル瀧ノ傍ニ葡萄蔓ヲ懸ケ之レヲ攀援シテ上下セシ處ナリト「アイヌ」云フ「オナウコツペ」ハ「オ、ナウケ、オツ、ペ」ノ急言、「」ハ山腰「ナウケ」ハ掛ケル、「オツペ」ハ在ル處ノ義
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
永田さんが熱弁を振るっている……ということは、自信のなさの現れだったりして……()。nawke ではなく nawkep であれば、『地名アイヌ語小辞典』(1956) に次のように記されていました。

nawkep, -i なゥケㇷ゚ 木かぎ。──自然の木の枝をそのまま利用してつくる。これで高い所にある枝を引きよせて果実を採集したり,山中で魚(マスなど)をとったが容器も縄もないというようなばあいに即席に木の枝を切ってこれを作り,5 本でも 10 本でもそれに剌して引いて来たりする。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.63 より引用)
永田方正は「ナウケ」を動詞と見ていますが、nawkepnawke-p だとすれば nawke という動詞的用法もあったのかもしれません。

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) にも、『東蝦夷日誌』と永田地名解の内容を承けた上で次のように記されていました。

ナウケという語を知らないが,木のまたを利用して作り,物を引っかける道具をナウケ・ㇷ゚という処から見ると,永田氏の書いたような意味があったのであろうか。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.332 より引用)
そうですね。その可能性もありそうです。

消えた「オナウケオッペ」の謎

ただ地味に気になるのが、永田方正の「オナウケオッペ」説は広汎に支持されているにもかかわらず、いつの間にか「ヲナヲベツ」に戻っている点です。これは地元では「『オナウケオッペ』じゃない『ヲナヲベツ』だ!」と認識されていたに他ならないと思われるのですね。

また nawke-ot という表現も個人的には違和感があったのですが、o-terke-ot-pe で「そこから・飛び越す・いつもする・ところ」という地名(現在の美深大手)があるので、o-nawke-ot-pe という地名があっても不思議はありません。

となると「オナウケオッペ」が何故「ヲナヲベツ」に「戻った」のかを考えたくなるのですが、o-nawke-ot-peo-nawke-pe になったとしても、「ヲナヲベツ」から「ケ」が消えたことが説明できないという問題が残ります。

「そこでいつも徒渉する川」?

さてどうしたものか……と思ったのですが、萱野さんの辞書には yanawe で「上った」を意味するとありました。そういえば wa で「徒渉する」という語もあったなぁ……と思って『──小辞典』を眺めてみたところ、

wa わ 【H 北;K】《不完》 水中を歩いてわたる; 徒渉する; かちわたりする。nay ~ 川を徒渉する。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.142 より引用)
このように記されていました。主に北方で使われる用法っぽいところが気になりますが、o-{nay-wa}-ot-pet で「そこで・{徒渉する}・いつもする・もの」と読めたりしないかな……と。

「イナウを持つもの」?

ただ、ここで立ち塞がったのが『改正北海道全図』(1887) の「ヲナヲコツヘ」という記載です。数年の差しか無いとは言え、永田方正が「オナウケオッペ」という新解釈を持ち込む前に「コ」の音が記録されているところが(個人的には)重くのしかかります。

「ヲナヲコツヘ」自体はやや意味不明な感じもしますが、inaw-kor-pe で「イナウ・持つ・もの(川)」と読めそうにも思えるのですね。転訛に転訛を重ねて「ヲナヲコツヘ」となったところに、永田方正が「それらしい解釈の語」を合わせてきたのではないか……と。

オリコマナイ

ur-ka-oma-nay?
丘・上・そこに入る・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾町ヲナヲベツの南、音調津との間の「黄金道路」に「オリコマナイ覆道」があります。いやまぁ実際には織り込み済みなんですが……(何を)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲリコマナイ」と描かれていました。ただ不思議なことに 『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい地名が見当たりません。

「滝のある川」?

永田地名解 (1891) を見てみたところ、ちょっと気になる記述がありました。「オシラルンベ」(=音調津)と「オナウケオッペ」(=ヲナヲベツ)の間に「オソーオマナイ」と記されているのですが……

O-so oma nai   オソー オマ ナイ   瀑川 高瀑アリ
永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
「オソーオマナイ」と「オリコマナイ」、なんか嫌な予感が……。

ということで、またしても表の出番となりました。

初航蝦夷日誌 (1850)ヲリコマナイ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ヲリコマナイ-
辰手控 (1856)ヲリコマナイ-
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヲリコマナイ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ヲリコマナイ小川 名義、狼の穴が有儀也と
永田地名解 (1891)オソーオマナイ瀑川 高瀑アリ
十勝地名考 (1914)オリコマ・ナイ高台の上を流るる川
北海道地名誌 (1975)ヲリコマナイ川口が高みにある川?

これは……。「オソーオマナイ」、つまり o-so-oma-nay としたのは永田方正だけで、あとは見事に「織り込まない」と言わんばかりに「ヲリコマナイ」が続いています。

「狼の穴」??

東蝦夷日誌には次のように記されていました。

(三丁四十間)ヲリコマナイ(小川)過て岬、ここに崩崖一ケ所有、名義、狼の穴が有儀也と。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.258 より引用)
注目すべきは「三丁四十間」で、これはおおよそ 0.4 km ほどとのこと。音調津の橋から 0.4 km ほど北上したところは「オリコマナイ覆道」の入口あたりで、地理院地図にも「堰」のマークが描かれています(砂防?)。

東蝦夷日誌の「狼の穴」という解ですが、wose で「(犬や狼が)ウォーと遠吠えする」という表現があります。「穴」が kot だとすれば、wo-??-kot-oma-nay という可能性が出てきますが、?? に相当する部分が不明なままです。

「高台にある川」?

永田方正の「オソーオマナイ」という解は、実際の地形に即しているようにも思われますが、何しろ他の記録がすべて「ソ」ではなく「リ」だという時点で重大な疑義があると言わざるを得ません。

「十勝地名考」を再録した『十勝アイヌ語地名解』(1985) を著した井上寿さんは、「十勝地名考」の「オリコマ・ナイ」の項の註として次のように記していました。

 オル・コ・オマ・ナイ(高台・に・ある・川)すなわち、高台の上を流れる川。
(井上寿・編著『十勝アイヌ語地名解』十勝地方史研究所(帯広) p.94 より引用)
「オル」に「高台」という意味があったかな……と思ったのですが、これは ur のことですね(他所における hur ですが、十勝では ur として記録されています)。ur-ko-oma-nay で「丘・に・そこに入る・川」ではないか、ということになりますね。

「丘の上に入る川」?

「オリコマナイ」ではないかと思われるあたりを Google マップで眺めてみたのですが……


……なるほど、これは確かに「丘に入る川」だったとしても不思議はありませんね。

「オリコマナイ」という音からは、o-rir-ka-oma-nay で「河口・浪・上・そこにある・川」あたりの可能性を考えていたのですが、ur-ko-oma-nay のほうが圧倒的にしっくり来ますね。-ko に若干の違和感もありますが、あるいは ur-ka-oma-nay で「丘・上・そこに入る・川」だったのかもしれません。

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