(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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エビニマイ
e-pinni-oma-i?
頭(てっぺん)・ヤチダモの木・そこにある・ところ
頭(てっぺん)・ヤチダモの木・そこにある・ところ
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号「黄金道路」の「フンベ第 1 隧道」の南側の地名です(地理院地図の「地名情報」に記載あり)。海沿いの地名だけあって記録も豊富なので、早速ですが表にまとめてみました。大日本沿海輿地全図 (1821) | フンヘヲマモイ | - | ビホロ川 |
---|---|---|---|
蝦夷地名考幷里程記 (1824) | - | - | ビボロ |
初航蝦夷日誌 (1850) | フンベヲマナイ | ヱヒヲアエ | ヒヨロ |
竹四郎廻浦日記 (1856) | フンベマモイ | イヘニマヱ | ヒホロ |
辰手控 (1856) | フンヘマモイ | イヒニマイ(山道) | ヒホロ |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | フンヘヲマナイ | ヌヒンナイ | ヒホロ |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | フンベマムイ(岩岬) | エヘニマイ(岩山幷び) | ビボロ |
改正北海道全図 (1887) | フンヘモイ | - | 美幌 |
永田地名解 (1891) | フンベ オマ ナイ | イベニ マイ | ピ ポロ |
北海道実測切図 (1895 頃) | ワッカチヨコキイ | イペニマイ | ピポロ川 |
北海道地形図 (1896) | ワㇰカチヨコキイ | - | ピポロ川 |
十勝地名考 (1914) | フンベ | エビニマイ | - |
陸軍図 (1925 頃) | 濱フンベ | - | 美幌 |
地理院地図(地名情報) | フンベ | 字エビニマイ 字エヒニマイ | 美幌 |
どうやら「エヒヲアエ」「イヘニマヱ」「イヒニマイ」「ヌヒンナイ」「エヘニマイ」「イベニマイ」「イペニマイ」「エビニマイ」「エヒニマイ」というバリエーションが存在するとのこと。サンプル数 10 に対してバリエーションが 9 というのは、中々のバラバラっぷりですね……(汗)。
手元の資料の中では最も古そうな『初航蝦夷日誌』の記述は……
ヱヒヲアヱ風光明媚な場所っぽいですが、それ以上のことは何もわかりませんね(汗)。
同じく岩磯なり。其風景さまざま目を驚かせり。
「エビニマイ」の詳細を検討するにあたっては、『東蝦夷日誌』に有力な情報が記されていました。
ビボロ〔美幌〕川を過て小石濱、(七丁五間)マタルクシ(小澤)名義は冬路越と言儀。昔し新道無りし頃に此上を越たる處のよし也。大岩崖の下を過、(一丁十間) エヘニマイ(岩山并び)、小瀧有。惣 て岩に當りて落、頗る風景の趣也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.259 より引用)
この記述により、ビボロ(美幌)から「エヘニマイ」までの距離がおおよそ「八丁十五間」(約 900 m ?)であることがわかります。『北海道実測切図』では「イペニマイ」は「ピポロ川」のすぐ北に描かれていたので、当初は美幌集落の北端を流れる「舟上橋」のあたりかと想定していたのですが、実際にはもう少し北の、地理院地図の地名情報に「字エビニマイ」あるいは「字エヒニマイ」と表示されているあたりだと考えて良さそうです。鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) にも次のように記されていました。
イペニマイ
イベニマイ(営林署図)
美幌から北へ 0.7 キロの小さな出先付近の地名。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.25 より引用)
位置の推定について(0.2 km ほどの誤差があるものの)概ね一致したようです。永田地名解には次のように記されていました。
Ibeni mai イベニ マイ ? 「アイヌ」云墜雪ノ爲メニ行人死シタレバ此名アリト
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
おお、久しぶりに伝家の宝刀「?」が出ましたね。この解について前述の鎌田さんは次のように評していました。場所がらこのような事故があることも考えられる地形ではある。イペ・ノ・オマ・イ(食物・充分・にある・所) とも解せそうであるが、どうも現地とあわない。何んともわからない地名である。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.25 より引用)
「なんともわからない」というのは同感です。また「十勝地名考」には次のように記されていたのですが……エビニマイ
原称は「エベノマイ」にて、真西に向うところとの意なり。
(井上寿・編著『十勝アイヌ語地名解』十勝地方史研究所(帯広) p.92 より引用)
これまた「なんともわからない」ですね……。ただ幸いなことに「エビニマイ」の場所はおおよそ推定できています。おそらくこのあたりだと思われるのですが……
仮にこの位置で合っているとしたなら、「十勝地名考」の「真西に向かうところ」は地名解ではなく単に場所の特徴を示していただけの可能性もありそうです。
そして「エヒヲアエ」「イヘニマヱ」「イヒニマイ」「ヌヒンナイ」「エヘニマイ」「イベニマイ」「イペニマイ」「エビニマイ」「エヒニマイ」について、鎌田さんが推測した解以外に考えられないか……という話になるのですが、e-pinni-oma-i で「頭(てっぺん)・ヤチダモの木・そこにある・ところ」あたりの可能性は……どうでしょうか?(誰に聞いている)
美幌(びほろ)
pi-pi-oro?
小石・小石・ところ
小石・小石・ところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
フンベの南、ヲナヲベツの北のあたりの地名で、同名の川が流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒホロ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) では「ピポロ川」と描かれていました。「小石がある」説
上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。ビボロ 小休所
夷語ビボロとは小石の在るといふ事。扨、ビーとは小石の事。ボとは小サいといふ事。ロはヲロの略語にて在ると申事。此川辺に小石の多くある故、地名になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.59 より引用)
pi-po-oro で「小石・小さい・ところ」と言ったところでしょうか。「小石が多い」説
『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。地名ビは石也、ホロは多いと云事也。石多き故号る也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.478 より引用)
pi-poro であれば「小石・大きい」となりそうにも思えますが、「小石・多い」と解釈することも可能だったのでしょうか?「大岩が多い」説
永田方正も同じような疑問を抱いたのか、次のように記していました。Pi poro ピ ポロ 大岩 此邊大岩石極テ多ク幾許アルヲ知ラズ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
あー、まさに pi-poro を「石・大きい」と解釈したっぽい感じですね。「水が多い」説(!)
更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) では、永田地名解に言及した上で次のように記されていました。然しこの地名は美幌川の名でもあるので、北見と同じペ・ポロで水の多いという意味かもしれない。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.232 より引用)
さすが更科さん、変化球を投じてきました。pe-poro で「水・多い」の可能性もあるとのこと。「小石が多いところ」説
山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) では、上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』に言及した上で次のように続けていました。pi-po-or「石・(ポは指称辞)の処」と読まれたもの。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.332 より引用)
あ。そうか -po は指小辞と解するべきでしたね。文政の先輩は小石,明治の学究は大岩と解した。言薬としてはどっちでも読める。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.332 より引用)
そうですねぇ。この辺は岩崖続きで大岩ならどこにでもあるのであるが,ここは,川尻やその付近が石ころだらけの土地なのて, 先ずは上原解の方を採りたい。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.332 より引用)
概ね同感です。pi-po-oro で「小石・小さな・ところ」か、あるいはもしかしたら pi-pi-oro で「小石・小石・ところ」(=小石が多いところ)だったかもしれません(pi だけで「小石」と解釈できるので、pi-pi と反復して「小石が多い」と呼んだのではないかと)。‹ 前の記事
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