(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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フンベ
humpe-oma-moy?
クジラ・そこに現れる・静かな海
クジラ・そこに現れる・静かな海
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号(黄金道路)を南に向かい、「ツチウシ覆道」と「浜フンベ覆道」を抜けた先あたりの地名です。「浜フンベ覆道」と南の「フンベ隧道」の間には「フンベの滝」があります。また、西側の内陸部には「東広尾川」が流れていて、その流域には「山奮部」という四等三角点(標高 166.3 m)があるほか、「
陸軍図には内陸部に「フンベ」とあり、海岸部には「濱フンベ」とあります。陸軍図には内陸部に、現在の道道 1071 号「音調津陣屋線」に相当する道路が描かれています。
ワッカチヨコキイ?
『北海道実測切図』(1895 頃) には不思議なことに「フンベ」が見当たらず、代わりに海岸部の地名として「ワッカチヨコキイ」と描かれています。意味が今ひとつ釈然としませんが、wakka-chi-ukokik-i で「水・自ら・殴り合う・ところ」と読めたり……するでしょうか?(誰に聞いている)フンヘヲマナイ? フンヘヲマモイ?
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には海岸部に「フンヘヲマナイ」と描かれています。海沿いの地名なので記録が驚くほど豊富なのですが、改めて並べてみると「フンヘヲマ
大日本沿海輿地全図 (1821) | フンヘヲマモイ | - |
---|---|---|
初航蝦夷日誌 (1850) | フンベヲマナイ | 小川有、少しの沢有る |
竹四郎廻浦日記 (1856) | フンベマモイ | - |
辰手控 (1856) | フンヘマモイ | - |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | フンヘヲマナイ | - |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | フンベマムイ(岩岬) | 鯨有る湾と言儀 |
改正北海道全図 (1887) | フンヘモイ | - |
永田地名解 (1891) | フンベ オマ ナイ | 鯨川 |
北海道実測切図 (1895 頃) | ワッカチヨコキイ | - |
北海道地形図 (1896) | ワㇰカチヨコキイ | - |
十勝地名考 (1914) | フンベ | 「フンベ」とは鯨をいう |
陸軍図 (1925 頃) | 濱フンベ | - |
永田地名解は「フンベオマ
Humbe oma nai フンベ オマ ナイ 鯨川 往時鯨入リシコトアリ故ニ名クト云フ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
特に違和感のない解ですね。「フンヘヲマナイ」は humpe-oma-nay で「クジラ・そこに現れる・川」と読めます。ただ「浜フンベ」のあたりには「フンベの滝」が存在するものの、他には川らしきものは見当たりません。モイ・ナイ問題に対する一つの解
更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) に次のようなフォローがありました。フンベの滝のあるところ、滝になって落下する川をフンベオマナイ(鯨のいる川)といって、永田氏は「往時鯨入リシコトアリ故ニ名クト云フ」と記しているが、滝を鯨がのぼることがないので、フンベオマナイは他でも、死んだ鯨の寄るところに名付けられるので、ここも寄鯨のあるところだったと思われる。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.232 より引用)
「ところ、──といって、──いるが、──ので、──でも、──ので、──思われる」という更科節(一文が長い)が炸裂していますね。この上の山に鯨の骨があり、鯨送りをした跡らしいところがあるというので、昔はよく鯨が漂着したらしいのである。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.232 より引用)
ほー。こういった背景情報は単なる言い伝えの可能性もありますが、「そう言われていた」という情報自体に価値を見出せそうな気がします。そしてこれは humpe-oma-moy(クジラの寄る静かな海)が humpa-oma-nay(クジラの寄る川)に化けた可能性をも想起させますね。漂着したクジラは「神様からの恵み物」なので、それを祀った場所から流れる川を humpe-oma-nay と呼ぶようになった……という可能性もゼロでは無さそうな気がします(ただ神社と滝の位置は離れているのですが)。
恩根内(おんねない?)
onne-turep-us-nay?
大きな・オオウバユリの鱗茎・ある・川
大きな・オオウバユリの鱗茎・ある・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾の市街地の南で海に注ぐ「広尾川」は、すぐに『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。
中広尾川 (なかひろおがわ) 東広尾川に合する右支流。普通は使わない。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.626 より引用)
えっ……?中広尾川と東広尾川の合流点の北西に「恩根内」という名前の四等三角点(標高 309.2 m)が存在します。『北海道実測切図』(1895 頃) では「恩根内」三角点の位置の東に「オン子トレㇷ゚ウㇱュナイ」という川が描かれていました(東隣に「ポントレㇷ゚ウㇱュナイ」もあり)。
「オン子トレㇷ゚ウㇱユナイ」は onne-turep-us-nay で「大きな・オオウバユリの鱗茎・ある・川」と見て良いかと思われます。onne は本来は「老いた」を意味しますが、地名(川名)においては「大きな」、あるいは「支流の多い」(=親である)と解釈するのが一般的です。つまり、オオウバユリの鱗茎が大きいという訳では無い……ということになります。
地名では turep-ta-us-nay で「オオウバユリの鱗茎・掘る・いつもする・川」となる場合も多いですが、ここでは ta は含まれないようです。
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