2025年2月23日日曜日

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「日本奥地紀行」を読む (175) 黒石(黒石市) (1878/8/5(月))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第三十信」(初版では「第三十五信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

生霊と幽霊(続き)

「生霊と幽霊」と題された節が続く……と思ったのですが、原文と比較するとちょっと疑問が出てきました。対照表にするとこんな感じです。

原文「日本の未踏路」
完全補遺
(高畑美代子)
「日本奥地紀行」
普及版
(高梨謙吉・訳)
イザベラ・バードの
日本紀行
(時岡敬子・訳)
A Lady's Toilet婦人の化粧婦人の化粧女性の化粧
Hair-Dressing髪結い髪結い髪結い
Paint and Cosmetics白粉と化粧品白粉と化粧品化粧品
Afternoon Visitors午後の訪問客午後の訪問客午後の来客
Christian Convertsキリスト教信者キリスト教信者キリスト教信者
Popular Superstitions流布している迷信-民間の迷信
Wraiths and Apparitions生霊と幽霊-お化け・幽霊
Spiritualism?-降霊術
Omens and Dreams夢による前兆-縁起・夢
Love and Revenge愛と復讐-恋愛と復讐

要は原文にあった Spiritualism というセクションの邦題が『「日本の未踏路」完全補遺』では行方不明になっているのですが、そう言えば「降霊術」について触れた回がありましたね。

ただ、よく見るといつの間にか「降霊術」の話題から「迷信」の話題に戻っていたりするので、上記の「小題」については参考程度に捉えr……いや、参考にすらならないかもしれません。また「普及版」でカットされた内容ですが、分量で言えば 7 割強にのぼります。いかに「流布している迷信」以降が長かったか……ということになりますね。

「流布している迷信」再び?

閑話休題それはさておき、おそらくは「流布している迷信」に属する内容に戻りますが……。

 食事中に箸が折れるとそれは死のしるしである。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
これもちょくちょく耳にするのですが、実際に箸が折れた時はどうするのでしょうか。遺言を書くとか……?

北東は特に鬼門(悪魔が潜んでいる)とされている方角なので、家が壊れるといけないので、北東に向けて家を建てる人はほとんどいない。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
この「鬼門」の考え方ですが、比叡山延暦寺が時の権力者の庇護を受けたのが、平安京の「北東」にあることから……という説もあるくらいで、昔から全国的に知られていますね。なお「北東」が鬼門とされるのは、大和朝廷から見て北東に「エミシ」の勢力圏があったからという説もあるそうですが、果たして真相は……?

どんなことがあっても若い娘に赤飯の茶碗に茶を注がせることはできない。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
これは「???」ですが、そうしたことによって「結婚式の日に雨が降る」とのこと。まぁ結婚式が雨だと残念な感じがしますが……。

縁起が悪くなるので、夜の 5 時過ぎてから新調したばかりの着物や履物を身につける人はいない。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
へええ。そう言えば昔は親から似たようなことを言われたような気もしますが、今となっては思い出せないのがもどかしい……。

もし、若者が火鉢ヒバチではなく、行灯アンドンの火でタバコの火をつけると、良妻に恵まれない。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
この辺はやや教訓めいた感じもしますね。物事を面倒くさがって手を抜くことに対する戒めのような気も。

子どもたちが釜の底に時々残った焦げたご飯を食べることがあるが、そんなことをするとあばた顔の相手と結婚することになると脅される。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
これは……うーん。食物衛生面での教訓なんでしょうか?

疱瘡が流行っているとき、子どもが罹かるのを防ぐ「まじない」は家の前に、子どもたちは留守だという注意書きを貼ることです訳注 2
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
あー、こういった話は知里真志保の著作でも良く目にしますね。蝦夷地(北海道)のアイヌでも(同一とは言えないものの)類似性のある風習があったような気がします。

小さい子どもが鏡をのぞくことは許されない。幼児が自分の幼顔を見ると、その子が成長して結婚したとき、最初の子どもは双子ができると信じられているからです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
これは呪術的な話……と見せかけて、実は子どもが鏡を割ったりしないように遠ざけているだけだったりして。

 昨日は一人の召使が抜いたばかりの歯を埋めているのを見た。そして、下あごから抜けた歯なら、屋根の上に投げ、上あごから抜けたときは出来るだけ土台近くの下に埋めると、抜けた穴から、新しい歯が生えてくると人々が信じているからだとわかった。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127-128 より引用)
こういった純朴な風習は、流石に現代では大半が失われてしまったでしょうか。

農村では、日食、月食の間は、開いた井戸には蓋をしておく、そうしたとき、空から毒が落ちてくると信じてのことだ。数日前に私は白沢でそうするのを見たのです訳注 3
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.128 より引用)
「井戸に蓋をする」というのは意味のあることのようにも思えますが、「日食、月食の間は」というのが面白いですね。古来から「日食」は「天変地異」と看做されて、人々はある種のパニック状態に陥ったと考えられますが、「空から毒が落ちてくる」というのもパニック的な思考のひとつでしょうか。

ふと思い出されるのが「ハレー彗星の尾が地球を覆った」という出来事で、もしやこの出来事がこんな風に変化して記録されたのか……と思ったのですが、良く考えてみるとハレー彗星の尾が地球を覆うのは 1910(明治 43)年の出来事なので、まだ先の出来事でしたね(日本奥地紀行は 1878(明治 11)年)。

[訳注 3] 秋田県大館地方(白沢は大館市)には、「葬式の時は井戸に蓋をする」という俗信がある(「俗信としつけ」『大館市史』第四巻、大館市、1981 年、 p .640) 。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.128 より引用)
これが「穢れ」から井戸水を守りたい……ということなんでしょうね。葬祭における「穢れ」はほぼ実態を伴わない概念と言えるものなので、確かに「迷信」にほかならないとも言えそうです。

一気に「第三十五信」の終わりまで駆け抜けようかと思ったのですが、ちょっとだけ長くなりそうなので、次に回します。

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