2025年2月16日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1212) 「広尾」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

広尾(ひろお)

pir-or?
蔭・ところ
pira-or?
崖・ところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
十勝総合振興局エリアの最南端の町で、かつて国鉄広尾線が通っていました。この地名の解釈には諸説ある筈ですが、まずは『北海道駅名の起源』(1973) を見ておきましょうか。

  広 尾(ひろお)
所在地 (十勝郡)広尾郡広尾町
開 駅 昭和 7 年11月 5 日
起 源 アイヌ語の「ピロロ」、すなわち「ピラ・オロ」(がけの所)から出たもので、ここを境に北方は砂浜であり、南方はどこまでもがけつづきである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.143 より引用)
おや、意外なことに pira-oro で「がけ・その所」に全部!みたいですね(古い)。

諸説まちまちで紛糾することが目に見えているので、ささっと表にまとめてしまいましょう。

東蝦夷地名考 (1808)ビロヽベツヒロヽは蔭の称なり
大日本沿海輿地全図 (1821)ビロー-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)ビロウ則、蔭と譯す
初航蝦夷日誌 (1850)ビロウ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ヒロウ会所前に有岩石を以て号る也
辰手控 (1856)ヒロウ-
午手控 (1858)ヒロウ本名ヒルイ、ヒは石、ロイは磯の事也
蝦夷地名奈留邊志 (1859)ヒロヽ岬の蔭
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヒロウ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ビロウヒヲロにて小石の多きに取る也。
又岬の陰とも言よし
蝦夷地道名国名郡名之儀
申上候書付 (1869)
ビロウ崎の陰
改正北海道全図 (1887)-(廣尾川)
永田地名解 (1891)ピルイ ペッ砥川
ピロロ蔭 一説「ピラオロ」ニテ崖壁アル處ノ義
北海道実測切図 (1895 頃)廣尾(ピロロ川)
アイヌ地名考 (1925)ビロウPiro-nai「崖谷」
陸軍図 (1925 頃)廣尾(ルビが「ビロヲ」に見える)
北海道駅名の起源 (1954)ピロロ崖の所
広尾町史 (1960)ピルイ転がる・砥石
北海道駅名の起源 (1973)ピロロがけの所
北海道地名誌 (1975)ピロロ崖のところ
十勝アイヌ語地名解 (1985)ビロオ蔭のところ、石のところ、崖のところ

あー……。想像通りではあるのですが、中々の紛糾っぷりですね。マトリックスにするとこんな感じでしょうか(分類名は山田秀三『北海道の地名』(1994) による)。

「蔭の処」説「小石の処」説「砥石川」説「崖の処」説
東蝦夷地名考 (1808)
蝦夷地名考幷里程記 (1824)
竹四郎廻浦日記 (1856)
午手控 (1858)
蝦夷地名奈留邊志 (1859)
東蝦夷日誌 (1863-1867)
蝦夷地道名国名郡名之儀
申上候書付 (1869)
永田地名解 (1891)
アイヌ地名考 (1925)
北海道駅名の起源 (1954)
広尾町史 (1960)
北海道駅名の起源 (1973)
北海道地名誌 (1975)
十勝アイヌ語地名解 (1985)

「蔭の処」説

pir-or で「蔭・ところ」と解釈したもの……とされるのですが、辞書類で pir を「蔭」とするのは『地名アイヌ語小辞典』(1956) と、その前身と考えられる「アイヌ語地名単語集」以外に見当たらないようにも思えます(『──小辞典』は永田地名解から解釈を借用するケースも散見されるので注意が必要です)。

ただ sempir で「その陰」という語があるので、pirsempir の亜流?である可能性もあるかもしれません。実際に市街地の南に小高い山があることから「日陰のところ」と呼んだ……と考えることも可能でしょうか。

「小石の処」説

pi-or で「小石・ところ」ではないか……とする説です。『東蝦夷日誌』にて明記されているものの、この説は広範な支持(?)を得るには至っていないようにも見受けられます(『十勝アイヌ語地名解』は既存の説を列挙したものなので)。個人的にも「小石のところ」という言い方には若干の違和感があります。

「砥石川」説

永田地名解が初出のようで、pirui-pet で「砥石・川」だと言うのですが、辞書類では pirui あるいは piruy という語が確認できないので、これは pi-ruy で「小石・砥石」と考えるべきでしょうか(piru で「拭う」という語もあるので、piru-i で「拭う・もの」と解釈することも可能かもしれませんが、「砥石」では無いような気も)。

この説も永田地名解以後は顧みられていない……と思ったのですが、なんと広尾町史で「公式見解」とされていました。もっとも永田地名解をよく見ると……

Pirui pet   ピルイ ペッ   砥川 現今ノ「アイヌ」云フ廣尾ノ原名ハ「ピルイ」ニシテ「ビロウ」ニアラズト然レ𪜈「ビロウ」ノ詞ヲ諱ミテ此説ヲ爲スガ如シ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.291 より引用)
……とあり、この「砥石川」説は「地元のアイヌが『ビロウ』じゃない『ピルイ』だ!と言ってるけど、『ビロウ』と呼ばれるのが嫌だからそう言ってるんじゃないの?」と疑問を呈している……ように思えます(「ビロオ」は「尾籠」に通じるので忌避されたようです)。

自治体の「公式見解」というのも面白いところがあって、たとえば「大樹町」は松浦武四郎や永田方正が記録した「ノミ」説を全力で否定していました。「わが町名は『ノミの大群』に由来するもので……」とすることが流石に忍びなかった……ということでしょうか。この「広尾=砥石川説」にも似たような作為の気配が感じられるのです。

「崖の処」説

pira-or で「崖・ところ」ではないかという説で、永田地名解が初出でしょうか。この解は地名としての違和感が少ないからか、広範な支持を得ているように見えます(広尾町史を除く)。

広尾の市街地から南は、いわゆる「黄金道路」が通る区間で、断崖絶壁が続きます。そのことを称して「崖のところ」と呼んだとする考え方もあるようですが、広尾の市街地自体が海沿いにありながら、標高 20~30 m ほどの台地の上にあることにも注目したいところです(市街地が崖の上にある……と言えなくもない)。

蔭か、崖か

様々な解釈がなされている「広尾」の地名解ですが、「蔭」「小石」「砥石」「崖」の 4 パターンの中では「蔭」や「崖」の可能性を考えたいところです。pira-or で「崖・ところ」という解はごく自然なもので実際の地形との親和性も高いために最有力候補と見られるのですが、永田地名解以前の記録に見当たらないというのは大きな弱点でしょうか。

山田秀三さんも『北海道の地名』の中で

 以上のどの説も現地の地形によった解で何とも言えないが,広尾(ピロロ)が元来の会所のあった処の名だったとするなら,古い時代にいわれた「蔭の処」説は捨て難い。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.331 より引用)
そうなんですよね。pir-or で「蔭・ところ」という解は(どちらかと言えば)珍しいもので、類例もすぐには思い浮かばないのですが、長く語り継がれてきたという点を蔑ろにできないなぁ……と。

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