(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
札楽古川(さつらっこ──)
sum-kus-{rap-kor-pet?}?
西・通る・{楽古川}
西・通る・{楽古川}
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾町ラッコベツのあたりで南から「楽古川」に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シュムクㇱュラㇰコペッ」と描かれています。「シュムクㇱュラㇰコペッ」がいつの間にか「札楽古川」に変わってしまったことになるのですが、陸軍図には川沿いに「札樂古」という地名が描かれていました。
また「広尾町史」では当初から「札楽古」という集落が存在していたことになっていて、「シュムクㇱュラㇰコペッ」から「札楽古川」に変化した経緯は確認できませんでした。
『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていたのですが……
札楽古川 (さつらっこがわ) 楽古川中流右から入る川。アイヌ語の乾く楽古川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.626 より引用)
ただ sat- を冠していたと思われる川名の記録が見当たらないという重大な問題が残ります。ちょっと気になるのが、陸軍図では現在の「パンケ札楽古川」流域(道道 987 号「豊似広尾線」沿い)を「樂古別」として、北隣が「札樂古」で更に北の楽古川沿いを「上樂古」としている点です(しかも 1980 年代の土地利用図では「上楽古」ではなく「中楽古」になっていたりしますが)。
「札楽古川」の旧名が「シュムクㇱュラㇰコペッ」であることは確実で、sum-kus-{rap-kor-pet?} で「西・通る・{楽古川}」と解釈できます。「札楽古」が「乾いた楽古川」である可能性もあるのですが、確実な記録が見つからないので保留……ですね。
ただ、改めて地理院地図を見てみると、「パンケ札楽古川」が途中から点線で描かれていました。これは伏流の可能性を窺わせるものですが、ここまで大規模に点線で描かれているのも珍しいような……。
「──実測切図」では「シュムクㇱュラㇰコペッ」の支流には川名の記入がないのですが、もしかしたら「パンケ札楽古川」に相当する川が sat-(乾いた)を冠した川名だった可能性もあるかもしれません。
カムイオロクベ
kamuy-chorpok-i-{usam-rok}-i??
神(熊)・の下・アレ・{並んで座っている}・ところ
神(熊)・の下・アレ・{並んで座っている}・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
Google マップや OpenStreetMap では「札楽古川」の上流域(「ペンケ札楽古川」との合流点よりも上流側)の地名として描かれています。ところが困ったことに、『北海道実測切図』(1895 頃) では、現在の「カムメロベツ川」の位置に「カムイオロㇰペ」と描かれています。更に厄介なことに、『北海道実測切図』では「楽古川」と「札楽古川」の間に「神威山」という四等三角点(標高 417.5 m)があり、この山の東側の谷(地理院地図では川として描かれていない)の位置に「カムイチョポロキシヤムロク」という川が描かれていました。現在「カムイオロクペ」という地名?として残っているのは、両者が混同された可能性がありそうな感じです。
「神が下の耳に座るところ」説
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。難解な地名である。実測切図(北海道庁20万分図、明治27年・1894)は「カムイチョポロキシㇺロク」と記されている。カムイ・チォロポㇰ・キサㇽ・ロク・イ「神(熊)が・下の・耳のように突出している部分に・坐る・所」であったのだろうか。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.33 より引用)
kamuy-chorpok-kisar-rok-i で「神(熊)・の下・耳・座っている・ところ」ではないか……という説のようですが、軽く調べたところでは chorpok は「~の下」を意味し、「~が下の~」と解釈するのは難しそうに思えます。また「下・耳」というのが若干奇妙に感じられるのと、「──シヤムロク」の「ム」の出どころが不明というのも少々気になるところです(kisar の r が「ム」に化けたと考えられるかもしれませんが)。
「熊」ではなく「鮭」か?
鎌田さんの解は「チョ「鮭がそこに座っている」というのは意味不明ですが、e-rok は慣用的に「住まう」とも解釈されるので、{kamuy-chep}-e-rok-i を「鮭の住まうところ」と見てもいい……ことにしましょうか(ぉぃ)。となるとあとは「シヤムロク」ですが、sam-e-rok-i で「傍・そこに・座る・ところ」と解釈することが可能でしょうか。
両者を繋げると {kamuy-chep}-e-rok-i-sam-e-rok-i となり、「{鮭}・そこに・座っている・ところ・傍・そこに・座る・ところ」ということになってしまいますが、erok を慣用的に「住まう」とすれば、「鮭・住まう・ところ・傍・住まう・ところ」となるので……結局は意味不明な感じに(ぉぃ)。
「神の下でともに住まう」?
久保寺逸彦『アイヌ語・日本語辞典稿』(2020) には usam-rok で「並んで坐す、夫婦になる」とあります(p. 359)。となると {kamuy-chep}-e-rok-{usam-rok}-i で「{鮭}・そこに・座っている・{並んで座っている}・ところ」となり……やはりダメですね。となるとやはり「チョポロキ」は「チョロポㇰ」の誤記と見るべきでしょうか。その場合は kamuy-chorpok-i-{usam-rok}-i で「神(熊)・の下・ところ・{並んで座っている}・ところ」になる……かと思ったのですが、もしかしたら「神(熊)・の下・アレ・{並んで座っている}・ところ」と読めたりしないでしょうか。
問題は「アレ」が何を指すかですが、文脈的に「熊」ではあり得ないように思えるので、となると「マムシ」あたりでしょうか。「マムシ」に rok(あるいは erok)という言い回しを使うだろうかという疑問も出てきますが、「神の下でともに住まう」ということであればアリ……だったりしないかなぁ、と……。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿