2025年2月11日火曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

「日本奥地紀行」を読む (174) 黒石(黒石市) (1878/8/5(月))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第三十信」(初版では「第三十五信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

生霊と幽霊(続き)

「生霊と幽霊」と題されたセンテンスが続きます。とても長く、イザベラの「分析」は読み応えのあるものですが、「奥地紀行」とは直接関係が無いからか、「普及版」では完全にカットされている部分です。

 私が思うには、「若い日本国」は、その迷信をばかにして笑っているふりをするけれど、下層階級のすべての女たちと大半の男たちは、一般的な生活の中での迷信を信じています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
今にして思えば、性差別一歩手前の表現ですが……。「若い日本国」は原文では "Young Japan" で、明治時代の「若き知識人」を指しているようです。当時の「知識人」は「男性」であるという固定観念があった……というよりも、女性が高等教育を受けることは事実上叶わなかった、と見るべきなのでしょう。

イザベラは、「迷信」には地方独特のものがあるとした上で、「切った爪や髪をかまどや囲炉裏に投げ込むと大きな災が降りかかる」というものは「どこでも出くわした」としています。

もう一つは、「シ」には、一つには死の意味があるので「シ」の音節を含む言葉を元旦には一切使ってはいけないというものでした。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
これは「迷信」と言うよりは「縁起を担ぐ」ものだと思いますが、イザベラの認識では両者は区別されていなかったということでしょうか。……ん、これは元旦に「お年玉」と口にできないことになるような……?

楽しい迷信(?)

イザベラは「迷信のなかには楽しいものもあります」と前置きした上で、次のようなものを紹介していました。

人々はいつも家に入るとき土間に履物を脱いでおくのですが、うんざりした客の履物の裏でモグサを燃やすと、その客を追い払うことが出来ると信じられている。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
これはまぁ、微笑ましいと言えば微笑ましいですが、少々えげつない印象も……(汗)。似たような話をどこかで目にしたなぁと思ったのですが、知里真志保「分類アイヌ語辞典」の『植物編』(1976) に次のような記述がありました。

 また,これわ人の氣をも鎭める力を有している。例えば誰か怒っている人の所え行く際わ,その家の近くまで行ったらイケマを噛んで,密かにその人の名を呼びながら,
  e-ramu    お前の心を
  an-rayke   殺したぞ!
と唱えて吹きつける (epuruse) と,相手の氣わ鎭まっているものだとゆう(眞岡)。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.43 より引用)※ 原文ママ
改めて比べてみると、そんなに似てないかも……? ただ「本人の与り知らぬ形での(ある種の)呪詛」という点は共通しているかな……と。

紫あるいはスミレ色は、結婚式では、花嫁、花聟のどちらも着てはいけません。それは、これらの色がどの色より早く褪せる色なので、早く離婚するといけないからです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
うわー、これは昨今においては「マナー講師」が突然言い出しそうなネタですね。奈良時代から平安時代あたり?の貴族社会でも「紫はもっとも高貴な色」という考え方がありましたが、実は似た由来だったりして……?

虫の知らせ?

また「虫の知らせ」系の「迷信」も紹介されていました。

歩いている間に鼻緒が身体の前方で切れると、履いている人の敵に災いがかかり、鼻緒が身体の後方で切れると、履いている人自身に災いがかかる前兆であるとされています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
これは迷信と言えばそれまでですが、「油断は禁物なので、改めて気を引き締めよう」という自己啓発的な注意喚起なのでしょうね。

私たちの国でもそうですが、塩には、多くの不可思議な意味があると考えられています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
ほほう……。流石にイギリスには「盛り塩」のような習慣は無いと思いますが、塩に「霊力」を認めるのは日本に限った話では無いのですね。……あ、「盛り塩」の起源は西晋の司馬炎の時代にある……という説もあるみたいで。

夜に塩を買ってはいけないし、日中に買ったときは、不運や家族のうちわもめを避けるために、そのひとつまみを火に投げ入れなければなりません。また葬式の後では、門口の辺りにも撒かれます。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126-127 より引用)
葬式の後に塩を撒くのは「浄め塩」だと思うのですが、「夜に塩を買ってはいけない」とか「塩のひとつまみを火に投げ入れる」というのは初めて聞いたような……。

駄洒落……?

イザベラの「迷信コレクション」が続きます。

 もし漁師が油に行く途中で坊さんに出会ったら、その日は一匹も魚がとれないと予想されます。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
これは……(笑)。「客が来ない状態」を指す隠語に「坊主」というものがありますが、これは「もう毛が無い」=「儲けが無い」というダジャレに由来するらしいですね。「坊主」という表現は普通に見聞きしていましたが、まさかこんなダジャレに由来するとは……。

生活の知恵?

また、「大火事の前兆」として「犬が家の屋根に上がる」「イタチが一度鳴く」「朝に雄鳥が鳴く」と言ったものを紹介しています。面白いのは「対策」も定義されていることで、

この災いを避けるためには、左手に柄杓を持ち、柄杓にいっぱいの水を 3 回撒かなければなりません。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
確かに水を撒けば発火の可能性は下がるので、これは割と現実に即した「生活の知恵」だった可能性もありそうですね。

 北部の人々の間では、いたるところに迷信があります。もし、茶碗のなかに茶の茎が落ち、一瞬茶柱が立ち、それが倒れると、その方角から客がくると期待されると考えられています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
茶柱が立つというのは「吉兆」ですが、こんなダウジングのような機能?があったとは……

ぼんやりして、急須の注ぎ口以外のところからこぼしてお茶を注ぐと、それは坊主が近づいているしるしなのです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
妙に「坊主」が出てくる率が高い印象がありますが、こういった文脈で出てくる「坊主」は、もしかして「凶報」に近かったりするのでしょうか。

障子に映った鳥の影はきっと客が訪ねて来るという「予兆しるし」です。ここでは、これらのことがあまりに固く信じられていますので、娘たちは、そのどれか一つでもが起こると、髪に何か小さな髪飾りをつけ加えるほどです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.127 より引用)
「迷信」には何らかの教訓めいたものが含まれている……と考えたいのですが、これを教訓だと考えるならば、どう言い換えられるでしょう。「イケメンは突然やってくる」とかでしょうか(どこが教訓なんだか)。

前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事