2025年2月9日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1210) 「オピツマナイ川・平尾取・鳥干麻」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オピツマナイ川

o-pis-oma-nay
河口・浜・そこにある・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号の「楽古橋」のすぐ西で楽古川に合流する南支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲヒシヨマナイ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オピシュオマナイ」という川が描かれていました。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

O-pish oma nai   オピㇱュ オマ ナイ   濱川 海濱ノ方ヘ向テ流ル川「オピショマナイ」ト云フハ急言ナリ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.292 より引用)
o-pis-oma-nay で「河口・浜・そこにある・川」と読めそうですね。「『オピショマナイ』と言うは急言なり」とありますが、今や「シ」が「ツ」に化けてしまい、見る影もありません。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

 松浦山川取調図、官林境界図、実測切図(北海道庁発行20万分図、明治26年)はいずれも楽古川の支流として記入されているが、地理院 5 万分図(大正 9 年測量、昭和53年編集)は、川口近くで楽古川に沿って流れてから、直接太平洋に流入しており、これが地名と合致している。現在は楽古橋のすぐ上手から、楽古川に入っている。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.32 より引用)
えっ、と思って確かめてみたのですが、確かに 1978(昭和 53)年の 5 万分 1 地形図では「楽古川」と並んで「楽古橋」をくぐり抜けた後、楽古川に合流せずに海に向かっていました。

ちなみに 1978(昭和 53)年の時点で既に「オピマナイ川」となっていて、それ以前の地形図では川名が確認できません。興味深いのは 1955(昭和 30)年測量の 2 万 5 千分 1 地形図で、現在の「楽古橋」に相当する橋が存在せず、現在の国道 336 号に相当する道は「オピツマナイ川」と「楽古川」をそれぞれ別の橋で渡っていました。

「オピツマナイ川」が「楽古橋」の西で「楽古川」に合流する形で固定されたのは、「楽古橋」の整備に伴うものだった可能性がありそうです。

平尾取(読み不明)

pira-uturu
崖・間
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「楽古川」と支流の「一の沢川」の間の山の頂上付近に「平尾取」という名前の四等三角点(標高 168.3 m)が存在します。ただ残念なことに「四等三角点の記」にはふりがなが記載されていないため、正式な読みは不明です。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヒラウトル」という名前の支流が描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) には、現在の「一の沢川」に相当する位置に「ピラウトル」という名前の支流が描かれています。「東西蝦夷──」の「ヒラウトル」は南北を誤った可能性がありそうです。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

 ピラ・ウトゥル(pira-uturu 崖の・あいだ)の意で、語尾のナイあるいはペツが、省略された形であろう。川口付近の両側は岩崖で、この間を流れているのであった。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.32 より引用)
概ね同感です。日高の「平取」と同じく pira-uturu で「崖・間」と見て良いかと思われます。鎌田さんも言及した通り「ナイ」あるいは「ペツ」が省略されていると思われますが、uturu-pet あるいは -nay の間に、更に -oma があったかもしれませんね。

鳥干麻(とりぼしま?)

turep-us-mem?
オオウバユリの鱗茎・多くある・泉池
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「楽古川」の南支流である「二の沢川」の南の山の上に「鳥干麻」という名前の四等三角点(標高 110.6 m)が存在します。ここも「四等三角点の記」にふりがなが記載されていないため、残念ながら正確な読みは不明ですが、陸軍図には「トリボシマ」という地名が描かれているため、おそらく「とりぼしま」と読むものと思われます。それにしても、中々傑作な当て字ですね……。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トレフシユマ」と「ヘンケトレフシュマ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「パナクㇱュトレㇷ゚ウㇱュマム」と「ペナクㇱュトレㇷ゚ウㇱュマム」が描かれていました。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Turep ush mam   ト゚レㇷ゚ ウㇱュ マㇺ   姥百合ノ食料
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.292 より引用)
これは turep-us-amam で「オオウバユリの鱗茎・ある・穀物」と考えたのでしょうか。「トゥレプウㇱマㇺ」という音に近づけようとした努力の跡が見て取れますが、地名としては意味不明な感もあります。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には、永田地名解を承けた上で次のように記されていました。

トゥレㇷ゚・ウㇱ・メム・イ(turep-us-mem-i オオウバユリ・群生している・わき水の・所)の意であったろうか。「メム」は古い小川、古川の跡の小川の意味でもある。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.33 より引用)
turep-us-mem-i で「オオウバユリの鱗茎・多くある・泉池・のところ」ではないかとのことですが、敢えて mem-i とせずに turep-us-mem で「オオウバユリの鱗茎・多くある・泉池」でも良さそうにも思えます。

「メム」を「古い小川」あるいは「古川の跡の小川」とするのは『地名アイヌ語小辞典』(1956) からの引用ですが、『──小辞典』には【チカブミ】とある点に注意が必要です(ただ、これは近文以外で同様の解釈がなされていたことを否定するものでもありません)。

ここで mem が出てくるのに若干の違和感があるのですが、あるいは mak-un-nay あたりが略されて転訛した……と考えるのは、流石にちょっとやり過ぎでしょうか。

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