2025年2月5日水曜日

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父島さんぽ (23) 「最後の『父島さんぽ』」

 

「半日南島ツアー」は「旧青灯台」の近くで現地解散となりました。あとは部屋に戻って荷物をまとめて、本館まで徒歩で移動すれば、あとは車で二見港まで送ってもらえる段取りになっています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

これは公衆トイレの横にある小屋のような建物ですが、なぜこんな写真を撮影したかと言うと……
こんなところに鳥が! Google レンズによると、これは「イソヒヨドリ」ではないかとのこと。オスとメスでカラーリング?が明確に異なるようで、どうやらこれはオスみたいですね。

Made in U.S.A.

「B. I. T. C. 小笠原生協」の横まで戻ってきました。自販機の数がもの凄いのですが、この自販機では「そばぼうろ」や「ごませんべい」などの様々な菓子類と、「ピスタチオ」や「アーモンド」などのおつまみ類が販売されています。co-op ブランドのものが目立ちますね。
湾岸通りを歩きます。いかにも「ハレ」の空間と言った趣のある場所で、2 車線の道路の両側には歩道と街路樹が整備されています。
ただ、カノープス母島さんに「父島の道は広いですけど、あれはアメリカ人が整備したからですよ」と聞かされて、「そうか……そう言えば」と我に返ったことを思い出してしまいました。特に「小笠原聖ジョージ教会」のあたりとか、明らかに日本離れした印象があります。

返還20周年記念

これはお寿司屋さんの建物ですが、船(帆船?)を模したのか、ちょっとユニークなデザインですね。
お隣は「小笠原観光有限会社」の本社です(2F は住居になってるみたいですね)。結局、ツアーコンダクターさんの体調不良のために、お世話になることは無かったのですが……。
現在の「大村地区」は「東町」と「西町」に分かれていて、村役場は「西町」の入り口にあります。日の丸が掲げられていますが、これは小笠原村が「米軍統治からの復帰」を果たしたという歴史の影響なんでしょうね。そういえば、停泊中の「おがさわら丸」の船尾にも日の丸が掲げられていました。
歩道には「返還20周年記念」と題されたものもありました。小笠原諸島が日本に返還されたのは 1968(昭和 43)年ですから、このタイルは 1988(昭和 63)年頃に整備されたということでしょうか。

「西町」バス停

「小笠原聖ジョージ教会」の前にある「西町」バス停まで戻ってきました。
小笠原村営バスは「夜明道路」のあたりを通っていないので、今回の旅では利用することが無かったのですが、大村地区から扇浦地区に遠征するのであれば「扇浦線」が普通に使えるという印象です。
ただ「西町」バス停には「ブルーライン」と「オレンジライン」しか通っておらず、本数はご覧の通りなので、使いこなすには入念な準備が必要かもしれませんね……。

いつの間にか青空が

11:30 頃に部屋に戻ってきました。この日の「おがさわら丸」は 15 時に出航予定ですが、宿の人は「14 時頃に『本館』に来れば港まで送りますよ」とのこと。まぁ港までは車でほんの数分ですし、あまり早く着いたところで時間を持て余すだけ……ということなんでしょうね。のんびりと荷物をまとめつつ、ついでにカメラのバッテリーを充電しておきました。
退出前の部屋からの眺めです。朝はあんなに雨が降っていたのに、いつの間にかいい感じに晴れてくれました。小笠原の天気予報は当てにならない……ということは肝に銘じてきたほうが良さそうな感じです。

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