(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
野塚(のづか)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
豊似川と楽古川の間を「野塚川」が流れていて、かつて国鉄広尾線に「野塚駅」が存在しました。ということでまずは「駅名の起源」を見てみましょう。野 塚(のづか)
所在地 (十勝国)広尾郡広尾町
開 駅 昭和7年11月5日 (客)
起 源 アイヌ語の「ヌㇷ゚カ」(野原)から出たものである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.143 より引用)
ほう……と思って『北海道実測切図』(1895 頃) を見てみましたが、確かに「ヌㇷ゚カペッ」(Nupkapet)とあります。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。
Nupka pet ヌㇷ゚カ ペッ 野川 「ノツカベツ」ト云フハ非ナリ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.292 より引用)
ご丁寧に「『ノツカベツ』と言うは非なり」という註までついています。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ノツカ」とあるほか、『大日本沿海輿地全図』(1821) にも「ノツカ川」と記録されています。「ヌㇷ゚カ」の初出は
今更ながら、表にまとめたほうが良さそうな感じがしてきました。大日本沿海輿地全図 (1821) | ノツカ川 |
---|---|
初航蝦夷日誌 (1850) | ノツカ |
竹四郎廻浦日記 (1856) | ノツカ |
辰手控 (1856) | ノツカ |
午手控 (1858) | ノツヽ |
戊午日誌 (1859-1863) | ノツカ |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ノツカ |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | ノ |
改正北海道全図 (1887) | 野塚川 |
永田地名解 (1891) | ヌㇷ゚カ |
北海道実測切図 (1895 頃) | ヌㇷ゚カペッ |
十勝地名考 (1914) | ノッカは「ヌプカ」に由来 |
陸軍図 (1925 頃) | 野塚川 |
植民地区画図 (1932) | 野塚(ヌプカ川) |
北海道駅名の起源 (1973) | 野塚は「ヌㇷ゚カ」に由来 |
北海道駅名の起源 (1973) | 野塚は「ヌㇷ゚カ」に由来 |
おおよそ想像通りなのですが、「野塚」を「ヌㇷ゚カ」としたのは永田方正で、その後しばらく経って「野塚」表記が
上表を見ると、永田方正が突然「ヌㇷ゚カ」という解釈を持ち出したようにも見えるのですが、実は『東蝦夷日誌』に次のような記述があります。
ノフカ(小川、此處四丁計の間、小流四すじ有)、大川原になる。名義、野より流れ來る儀なり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.264 より引用)
松浦武四郎の記録は、この「ノフカ」以外は殆どが「ノツカ」となっているため、「ノただ、最終的に「野塚」という表記が選択されて現在に至るのも事実で、これは「ノフカ」「ヌㇷ゚カ」説が「発見」される前から「ノツカ」と呼ばれていて、地元では「ヌㇷ゚カ」ではなく「ノツカ」だ、という意識が強く存在したことを窺わせます。
「ヌㇷ゚カ」か「ノツカ」か
nupka は「野原」で、あるいは nup-ka で「野・のかみ」とも解釈できるかもしれません。一方、not-ka は「あご・糸」で、「仕掛け弓のさわり糸」を意味するとのこと。仕掛け弓は獲物の通り道に仕掛けておいて、獲物が糸を引っ掛けると自動的に矢(神経毒が鏃に塗られている)が放たれる仕組みのものです。not は「あご」ですが、地形では「岬」を意味します(「納沙布」や「ノシャップ」、「能取」や「野付」など)。『地名アイヌ語小辞典』(1956) を見ても、not-ke や not-kew で「みさき」を意味するとあります。
興味深いことに、この not は海に面した「岬」に限定されたものではなく、内陸部の地形でも散見されます。「野塚」も日高山脈から伸びてきた山の先端にあるとも言えるため、not-ke や not-kew と呼ばれたとしても(個人的には)不思議ではない地形です。
永田方正が not は海に面した岬に限定されると考えて、「ノツカ」という地名に別の解釈を持ち出した……という可能性に深く傾きつつあったのですが、『東蝦夷日誌』の「名義、野より流れ来る」という一文が重くのしかかった感があります。
しかしながら、永田方正が「提唱」した「ヌㇷ゚カ」という「地名」が程なく廃れたというのも厳然たる事実です。ところがその一方で「『野塚』は『ヌㇷ゚カ』だ」という説明も広く受け入れられているようにも見えます。
個人的には、永田地名解の「ヌㇷ゚カ」説はかなり疑わしいと思えるのですが、その主張を跳ね除けるに値する裏付けを持ち合わせていないというのが正直なところです。
そう言えば……という話ですが、「野塚川」を遡ると日高山脈の「野塚岳」にたどり着くのですが、その西側を国道 236 号の「野塚トンネル」が南北に貫通しています。「野塚トンネル」とかつての「野塚駅」の由来が同じだった可能性が出てくるのですが、これもちょっと意外な感じもします。
‹ 前の記事
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿