(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
カムイエクウチカウシ山
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
中札内村と新ひだか町の境界となる脊梁山脈にある山で、頂上付近には「札内岳」という名前の一等三角点(標高 1979.2 m)もあります(三角点の所在地は新ひだか町)。国土数値情報によると、カムイエクウチカウシ山の北東を「カムイエクウチカウシ川」が流れていることになっているのですが、地理院地図では「八ノ沢」と表記されています。謎ですね……。『北海道実測切図』(1895 頃) には標高と思しき数値が描かれているものの、山名については記載がありません。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「カモイノホリ」という山が描かれていて、これが現在の「カムイエクウチカウシ山」である可能性があります。
地形図での初出は 1956(昭和 31)年測量の「5 万地形図-札内川上流」で、現在と同じく「カムイエクウチカウシ山」と描かれています。
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。
カムィ・エクチカ・ウㇱ・イ「kamuy-ekuchika-us-i 神(熊)が・岩崖を踏みはずして落ちる・のが常である・所(山)」の意で、それほど険しい山である。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.67 より引用)
kamuy-ekuchika-us-i で「神(熊)・岩崖を踏み外して下へ落ちる・いつもする・ところ」ということですね。ekuchika を分解すると
ekuchika については『地名アイヌ語小辞典』(1956) に詳しく記されていました。ekuchika エくチカ 《完》岩崖を踏みはずして下へ落ちる。[<e-kut-ika(岩段からまたぐ)。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.25 より引用)
まず全体的な語意を示した上で、ekuchika は次のように分解できるとしています。e-「そこにおいて」「そこから」。ika「またぐ」。e-ika「そこにおいて・またぐ」「そこから・またぐ」。kut e-ika「岩段 そこから・またぐ」「岩段・から・またぐ」。この補語の kut を動詞の語体の中に取りこんだ古い綜合的な云い方が e-kut-ika すなわち ekuchika である。]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.25 より引用)
なるほど……。本来は kut-e-ika という語順になるべきところを e-kut-ika になっているが、これは古い形だ……ということですね。久保寺逸彦さんの「アイヌ語・日本語辞書稿」にも次のように記されていました。
e-ni-ika 樹をふみはずす
= ni-e-ika 樹に於いて踏み外す
(久保寺逸彦『アイヌ語・日本語辞典稿』草風館 p.64 より引用)
見事なまでに、ほぼ一致していますね……! 「カムイエクウチカウシ」は kamuy-e-kut-ika-us-i で「神(熊)・そこで・岩崖・踏み外す・いつもする・ところ」と解釈してよさそうです。「カムイエクウチカウシ山」の成立年代
残る問題点として、「カムイエクウチカウシ山」という名称の成立年代があるのですが、前述の通り「東西蝦夷──」には「カモイノホリ」とあり、これを「カムイエクウチカウシ山」の前身であると見ることが(一応は)可能です。ただ典拠が「東西蝦夷──」のみというのは、ちょっと「弱い」印象もあったのですが、『改正北海道全図』(1887) では「サッナイ川」の上流に「神威岳」と描かれていました。
「歴舟中の川」を遡った先の、大樹町と浦河町の境に「神威岳」がありますが、『改正北海道全図』には該当する位置に山名の記入が無く、また『北海道実測切図』では(大樹町と浦河町の境の)「神威岳」の位置には「カムイヌプリ」と描かれていました。
ここまで見た限りでは、『改正北海道全図』が「神威岳」の位置を誤った可能性も否定はできないものの、『改正北海道全図』の「神威岳」の位置が「東西蝦夷──」の「カモイノホリ」と大枠で一致することから、札内川上流部
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿