2025年1月19日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1204) 「ピラトコミ山・ポロシリ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ピラトコミ山

pet-e-u-ko-hopi-i?
川が・そこで・互い・に・捨て去る・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
コイカクシュサツナイ川の北、札内川の西に聳える山で、「平戸古美」という名前の三等三角点(標高 1587.5 m)もあるほか、「ピラ山」の西には「ピラ川」も流れています(国土数値情報による。地理院地図では「七ノ沢」)。道道 111 号「静内中札内線」は「ピラトミ川」沿いを通る予定だったのでしょうか……?

北海道実測切図』(1895 頃) には、この山の名前は記入がありません。鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

ピラトミ山(地理院・営林署図)
 コイカクシサツナイ川中流の右手に位置している。営林署図面ではこの山の三角点名をぴらと記し、最近の登山ガイドの図面も「ピラトコミ山」と訂正されている。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.66 より引用)※ 原文ママ
現在の山名は「ピラトコミ山」ですが、どうやら以前は川名と同じく「ピラトミ山」と呼ばれていたみたいですね。国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で確認したところ、なんと 2007 年の「2.5 万地形図-札内川上流」でも「ピラトミ山」で、2014 年の「2.5 万地形図-札内川上流」で「ピラコミ山」に修正?されていました。

2007 年の地形図は「昭和 51 年測量・平成 19 年更新」となっているので、元となった地図が古かったと言えるかもしれません。

本題の地名解ですが、鎌田さんは次のように続けていました。

 ピラ・トコㇺ・イ「pira-tokom-i 崖の・こぶ・所(山)」の意である。遠望するとたんこぶのように、盛り上がった山がみえる。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.66 より引用)
そう考えるのが自然でしょうね。私もついさっきまではそう思っていたのですが……。

ところが、「平戸古美」三角点の「点の記」を見てみたところ、意外な事実が明らかになりました。この三角点は 1915(大正 4)年に選点されたのですが、「点の記」には「ペー」とルビが振られていたのです。

「平戸古美」が「トコ」ではなく「トコ」と読むのであれば話が変わってきます。かつて札内川とコイカクシュサツナイ川の合流点(分岐点)が「ペト゚エトコピ」と呼ばれていたことは「ピコイトッピ沢」の項でも記した通りですが、「ペートコピ」も「ペトゥエトコピ」と同一である可能性が高いように思われるのですね。

また「ペートコピ」は一般的な形である「ペテウコピ」に限りなく近いのも見逃せません。「平戸古美」は「ペテウコピ」、つまり pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互い・に・捨て去る・ところ」だったと見るべきでしょう。

三角点に「平戸古美」という字を当ててしまい、そしてその「正しい」読み方が忘れられた結果、「ピラトコミ」という、一見アイヌ語地名っぽい読み方が創出されてしまった……ということなのでしょうね。「ピラトミ川」「ピラトミ山」のように「コ」が落ちた形で広まったのは謎ですが……。

ポロシリ川

poro-sir
大きな・山
(記録あり、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ピラトコミ山」の北で札内川に合流する北支流で、地理院地図では「六ノ沢」と表記されています(国土数値情報では「ポロシリ川」)。1/25000 地形図ではどの時期のものも「六ノ沢」と描かれていて、どこから「ポロシリ川」が出てきたのかは不明です。

この「ポロシリ川」こと「六ノ沢」を遡った先に「十勝幌尻岳」があります。「十勝幌尻岳」の頂上付近には「幌岳」という二等三角点(標高 1845.7 m)があり、これは「ろしりだけ」と読ませるとのこと。

山上に湖?

「十勝幌尻岳」は『北海道実測切図』(1895 頃) でも「ポロシリ」と描かれているほか、戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」にも次のように記されていました。

往昔よりの申伝えには、此上には、其周廻は何程ともしれざるが一ツの沼有、其山を
     ホロシリ
と云て、高山にして、其山ウラカワ、シヒチヤリ等の山にわたり、上に大なる湖水有と。其湖水には鷗多く居て海獱とど水豹あざらし多く住て、また裾帯菜わかめ多く生たりと云伝ふ。然れども是を近年見たるものはなしと云。只其申伝えのみなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.257 より引用)
「高山にして」というのは間違いなく、また「其山ウラカワ(浦河)、シヒチヤリ(静内)等の山にわたり」というのも、「十勝幌尻岳」は日高・十勝の境界線よりは東に位置しているものの「エサオマントッタベツ岳」の近くでつながっているとも言えるので、概ね合っていると言えそうです。

ただ問題は「上に大なる湖水有」という記述で、十勝幌尻岳の近くにはそれらしい湖は存在しません。「トド」や「アザラシ」がいて「ワカメ」が多い内陸湖というのは流石に無理がある……というか、この記述自体が日高の海沿いを表したもののようにも見えます。

松浦武四郎自身も「近年見たるものはなし」「申伝えのみなり」と記していることから、内心では流石に実在を疑っていたのかもしれません。ただ「そういう言い伝えがあった」ということ自体が興味深いので、よくぞ書き残してくださいました……と思えてきます。

二つの「ポロシリ」

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

日高山系には、ポロシリと名のつく山が二山ある。もう一つの山は、新冠川上流に位置しており、日高山系随一の高山、標高2,052.4㍍の日高幌尻岳である。もとは両方ともポロシリであったが、まぎらわしいのでそれぞれ頭に十勝と日高がつけられた。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.68 より引用)
日高の「幌尻岳」は平取町と新冠町の境界に位置する山で、そういえばこの「幌尻岳」も日高・十勝の境界から少しだけ外れたところにありますね。二つの「幌尻岳」の間は直線距離では 15 km ほどしか離れていませんが、両者を結ぶ道路も無く、脊梁山脈を縦走する必要があるので、移動にはかなり苦労しそうです。

「ポロシリ」の含意

「ポロシリ」という名前については、鎌田さんは次のように記しています。

 ポロ・シㇽ(poro-sir 大きい・山) の意で、十勝平野から西に見えるこの山は、地名に恥じない雄大な山である。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.68 より引用)
一方で、更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 帯広市との境をする一、八四六㍍の山、一般に十勝幌尻と呼ぶ。ポロシリは大切な山の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.228 より引用)
また、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

山名はもちろんポロ・シリ(poro-shir 大・山)で,崇敬された山であろう。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.311 より引用)
逐語的な解釈では poro-sir で「大きな・山」なのですが、知里さんの『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも「poro~ [親の・山] 大山」とあり、含意を明らかにしようとした結果、表現がどんどん枝分かれしたようにも見えます。どれも間違いではないと思うのですが、キリがないので、今回はあっさりと「大きな・山」としておこうと思います。

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