この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
生霊と幽霊(続き)
イザベラは、民衆に広く信じられている「迷信」について概略を記した上で、「心霊降神術」の詳細を記し始めました。心霊降神術、つまり幽霊を呼び出す一つの様態は日本では昔から企てられてきました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
この手の話題としては「恐山のイタコ」が有名ですが、かつては至るところで行われていた……ということなのでしょうか。院内で、私は、一人の女の人が(霊媒はいつも女であるが)、彼女の術を行うために、ある家に入っていくのを見ました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
「院内」は原文では At Innai とあるので、一般名詞ではなく現在の秋田県湯沢市院内のことですね。「霊媒はいつも女であるが」というのも卑弥呼以来の伝統のようで興味深いのですが……ある父親は脚気 に罹 っている彼の息子が治るものかどうか知りたがっていました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
あー、そういうことですか。脚気がビタミン欠乏症であることは当時まだ知られていなかった(後に海軍で脚気対策に取り組んだ高木兼寛は、1878(明治 11)年時点ではイギリスに留学中だった)ため、「原因不明の奇病」の趨勢を見届けるには「霊頼み」しか無かった……ということですね。霊媒はいつも特別の形にまとめられた小さな箱を持ち歩き、軽い木の皮の帽子を、頭には被らずに手に持っています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
この「小さな箱」の中身は持ち主(=霊媒)以外誰も知らないとされ、中には「殺された犬の頭(のミイラ)が入っている」などといった説を唱えるものもいたのだとか。イザベラと伊藤は「心霊降神術」が行われる現場に同席していたようで(その割に院内に滞在した際の「日記」には言及が無かったような?)、例によって霊媒の一挙手一投足が詳らかに記されていました。
霊媒は彼女の前に箱を置いて坐り、蓋の上で、絶え間なく、小さな弓の弦をブーンと鳴らしました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
この手の所作や小道具は儀式の神秘性を高める上で重要なのでしょうね。依頼者は彼女の反対側に坐りました。それから、彼女は、小さな茶碗から彼に向かい水を投げかけました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
イザベラによると、この動作は「降ろすもの」が「死者の魂」なのか、あるいは「生きている人の霊」なのかによって異なるとのこと。霊媒が依頼者に対してする唯一の質問は彼が面談したいのは生きている人か死んでいる人かを訊ねるだけです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
こういった「霊降ろし」の作法は昔から何世代にも亘って受け継がれてきたものだと思うのですが、元をたどれば誰かの創作……ということになるんでしょうか。「優秀な霊媒」の所作が見様見真似で広まった……ということかもしれませんが。イザベラと伊藤が同席した場では「死者の霊」が呼び出されたとのこと。
伊藤(彼は懐疑論者なのだが)は、新潟で、自分が内陸を抜けるこの旅行を安全に終えることが出来るかどうかを、自分の死んだ父親の霊に聞いてくれるように、霊媒に頼んだと告白しました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125-126 より引用)
これも伊藤らしいというか、興味深い話ですね。イザベラの通訳にして極めて優秀な付き人でもある伊藤は、「そんなの迷信ですよ」と斜に構えて見せるキャラでありながら、ところどころで日頃の言動と矛盾する行動を見せているんですよね。この行動も、伊藤にとっては整合性の取れたものだったのか(あるいは一時の気の迷いだったのか)、気になるところです。イザベラは、続けて「船乗りたちの間に伝わる化け物」の話を記していました。
船乗りたちが信じているいろいろな化け物のなかの一つには悪意のある者が一人います。彼は、とても礼儀正しく、彼らのところにやってきて、柄杓を貸してくれるようにたのみます。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
この「化け物」は悪霊で、柄杓を渡してしまうと船内に水を汲み入れて船を沈めてしまうとのこと。船を沈めさせないためにはどうすれば良いかと言うと……一方、もし底が急に抜けて、その柄杓が彼に向かって投げつけられると、彼は消えうせてしまいます訳注 1。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
ちょっと意味の取りづらい訳文になっていますね。原文を見てみると……but if the bottom be hastily knocked out, and the dipper be thrown to him, he disappears;
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
高畑さんが、原文に忠実な形で和訳していることが良くわかります。一方で時岡敬子さんはこれを次のように訳出していました。底をとっさに抜いたひしゃくを投げつければ、お化けは消えてしまうのです。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 上』講談社 p.462 より引用)
日本語としてのリズム(?)を考えると、このほうが意味を理解しやすいかもしれませんね。ただ、この「化け物」を退治するためには「底を抜いた柄杓を投げつける」と同時に呪文を唱える必要があり、それに失敗すると「化け物」は「河童」に変身し、河童は船を海の底に引きずり込んでしまうのだとか。訳注 1 には「竹原春泉斎『絵本百物語』」とあるのですが、こういった物語は「船上においては一刻たりとも気を抜くべきではない」という教訓を伝えている……ということなのでしょうか。
湊(土崎湊)では、私は小さな寺で、船乗りたちが奉納した供物と共に、柄杓の悪霊から彼らを護ってくれると信じている神が架けられているのを見ました。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.126 より引用)
こういった「悪霊」(の伝承)は船乗りたちを団結させる効果もあったのかな、とふと思ったりしました。あと、化け物をその場で「退治」する手順がちゃんと示されていて、「日頃の行いを良くしましょう」という教訓めいた話になっていないというのも、ちょっと面白いですよね。‹ 前の記事
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