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「北村小学校跡」は「北港」に向かう最後の下り坂の途中(の右側)にあります。石積みの階段などが残っていて、ここに学校があったことを今に伝えています。
このあたりの木々の生命力はなかなかのもので、光を求めたのか、道路側に幹を伸ばした木々が伐採されていました。
ここに小学校があったのは、太平洋戦争が敗色濃厚となり島民が強制疎開させられるまで、つまり戦前までだった筈ですが、石段の状態は悪くないように思えます。定期的にメンテナンスの手が入っているのでしょうか。
製糖石ローラー?
石段を登ると、左右に妙なものが立っていました。小学校の跡地には門柱だけが残ることが多いように思えるのですが、門柱にしては妙な形をしているような……この門柱?については、確か「ははじま丸」で流れていたビデオで紹介があったと思うのですが(記憶違いだったらすいません)、これは「製糖石ローラー」を重ねたものとのこと。
この石を積み重ねてこうなった……ということですね。
北村小学校跡
「北村小学校跡」の敷地内に入りました。強制疎開から 79 年目の訪問ですが、いつ頃からこんな風になってしまったんでしょうね。森のようにしか見えませんが、実はよく見ると……
石段が残っていたりして、かつてここに建物があったことを偲ばせています。
ガジュマルとポトス?
もの凄い数の気根が伸びているのはガジュマルの木でしょうか。ガジュマルの木は葉が大きいため、人為的に「木陰」をつくるために小笠原に持ち込まれたとのこと。ガジュマルの木があれば、かつてそこに人が住んでいた……と考えられるのだとか。これは巨木に絡みつくように生えている蔓草ですが、この手の蔓草が結果的に巨木を「絞め殺す」こともあるのだとか(と伺った記憶が)。
ちなみに Google の画像検索によると、これは「ポトス」ではないかとのこと。観葉植物として持ち込まれたものが野生化したというケースがあるようですが、これもそうなんでしょうか……?
かつての学び舎は、幾年もの年月を経て豊かな植物に覆われた森へと変貌していました。
ガジュマルよりも、むしろポトス?が目立っているようにも思えますが、いい感じに日陰をつくってくれています。
「北村小学校跡」を後にして、都道 241 号「沖港北港線」に戻ってきました。都道 241 号「沖港北港線」の終点である「北港」までは、あと少しです。
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