この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
生霊と幽霊
『日本奥地紀行』普及版の「第三十信」は、後半がほぼまるまるカットされています。ここから始まる「生霊と幽霊」も、普及版では完全にカットされた内容です。イザベラは、幽霊の存在について「世界中のどことも同じく日本でも大いに信じられている」とした上で、次のように続けていました。そして、彼らは、人間の幽霊に限定しません。雌のムジナやキツネもその体から離れて、彼ら自身が楽しむために戯れるのが好きです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.124 より引用)
ちょっと不思議な感じの和文になっていますが、原文を見てみると……and they are not limited to apparitions of human beings, for the she-badger and the fox love to disport themselves after their departure from the body.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
特に不自然な点は見当たりません。時岡敬子さんの訳も確かめてみましたが、she-badger が「狸」となっている以外はそれほど大きな違いはありません。キツネは、実際に行動でふざけて見せ、人の正気を失わせ、ほとんどいつも美しい女の人の姿をとります。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.124 より引用)
あー、そういえばキツネがガチムチのおっさんに化けることはあまり無いような気もしますね。キツネはいつも犠牲者(普通は男)の後をつけて行きます。他方ムジナはいつも彼女たちの前を行きます──それはいつも女の人なのですが、麗しい外見をした若者に化けたムジナの彼女に化かされるのです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.124 より引用)
ん、またしてもちょっと不思議な感じの文になっていますね。原文はこんな風になっているのですが……The fox always follows his victims, who are usually men; while the badger always goes before hers, who are usually women befooled by her in the guise of loveable young men.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)
hers と her が何を指すのかをちゃんと理解しないと、正確に意味が読み解けない文章になっているように見えます。高畑さんの訳はおそらく正しいと思われるのですが、hers は「『ルックスの良い男性のふりをした彼女』に騙される女性たち(women)のことで、her は「ルックスの良い男性のふりをした彼女」、即ち「メスのムジナ(タヌキ)」なのでしょうね。「ムジナ(タヌキ)」が「メス」であることは、数行前に she-badger として明示されているのですが、直近では badger となっているので、そのことをちゃんと把握していないと正確に意味を解せない文章になっちゃっています。別の言い方をすれば「ちゃんと読めば意味が通じる」文章なんですけどね。
彼が愛している娘のことを考えつつその墓の脇を通り過ぎようとしている恋人は、墓地から提灯を持ったとても美しい女の人につけられます。しかし、彼女は第三者には、ぞっとする骸骨にしか見えない。幽霊はさまざまな方法で姿を現すことが出来ます。その幾つかは使い古しのハロウィーンのお化けの仕掛けのようです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.124 より引用)
改めて考えてみると、日本にも西洋にも「幽霊」がいるわけですが、これは何故なんでしょうね。「幽霊」や「おばけ」、あるいは「祖先の霊」のような概念が一切存在しない文化を共有するグループというのは存在するのでしょうか。もしそういったグループが存在しないのであれば、逆にそれは何故なのか、気になりますよね。さらに言えば、人間以外の動物で似たような概念を共有する種はあるのでしょうか。猿は「猿の幽霊」の姿を見るのか、鯨は「鯨のご先祖様」に出会うことがあるのか、これも気になるところです。
イザベラはどこで話を仕入れたのか、降霊術?の話を始めました。
一つの方法は、アンドン行灯の中に 100 のかすかな光を入れ、 100 行の呪文を連禱するのです。呪文の各行の終わりに、明かりの一つが取り出されて、幽霊を見たいと希望する者はまだ燃えている一つの明かりを持って外に出て、幽霊が出るべき時になったらそれを吹き消します。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.124-125 より引用)
イザベラによると「恋人を失った娘はしばしばこの黒魔術を行う」とのこと。闇夜はあの世と繋がっている……という考え方は現在でも普遍的だと思われますが、イザベラは「日本人はひどく暗闇を怖がり、最も貧しい人々も一晩中明かりをつけておきます」と記していて、その所為で次のような弊害にも直面していたとのこと。こちらの地方では、彼らは、暗くなってからは一人では出歩きません。私は、この地方では、いつもやむなく何回も早い時間に宿場に宿入りしなければなりませんでした。なぜなら、馬子 は、2 倍払うと言っても、夜、戻る道で、超自然現象に出くわすという危険を犯したくはなかったからです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.125 より引用)
このことを「昔の人は純朴だった」で済ませることも可能なんでしょうけど、夜の闇の中で行動する危険性が「説話」という形で、時には荒唐無稽に語り継がれてきた「成果」だったのではないかな、と思えたりもします。要は世代を越えた人類の「智慧」の結晶と見るべきなんじゃないかなぁ、と。‹ 前の記事
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