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都道から小径が分岐していて、毎度おなじみの足拭きマットも置かれています(種子類や微生物の持ち込み・持ち出しを避けるためのもの)。
2024年12月31日火曜日
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2024年12月30日月曜日
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2024年12月29日日曜日
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またしばし過る哉凡一里計と云
ユウナイ
左りの方小川。其名義は此川上に一ツの水溜り有りて、其処より水わき出すによつて号るとかや。
Yu nai ユー ナイ 豊漁川 此處温泉ナシ、アイヌ云フ「ヌアンナイ」ト同義ニテ豐漁川ノ意ナリト即チ「イオナイ」ノ轉訛ナリ
2024年12月28日土曜日
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午手控 (1858) | ヲショショケナイ(右小川)※ 正確な位置は不明 | |
---|---|---|
戊午日誌 (1859-1863) | ヲシヨシヨケナイ(右のかた小川)※ 正確な位置は不明 | |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲシヨシヨケナイ(西支流)※ 正確な位置は不明 | |
北海道実測切図 (1895 頃) | オショショキナイ | リーピラチョロポㇰクㇱュペッ |
北海測量舎図 | オショショキナイ | クーピラチヨロポㇰシュナイ |
陸軍図 (1925 頃) | - | - |
2.5万地形図-十勝清川 (1985) | - | - |
2.5万地形図-十勝清川 (2000) | ペペキキ川 | オショショナイ川 |
国土数値情報 | オシヨシヨナイ川 | ペペキキ川 |
地理院地図 | ペペキキ川 | オショショナイ川 |
三線橋 銘板 | ペペキキ川 | - |
西戸蔦橋 銘板 | - | オショショナイ川 |
2024年12月27日金曜日
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2024年12月26日木曜日
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2024年12月25日水曜日
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2024年12月24日火曜日
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2024年12月23日月曜日
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2024年12月22日日曜日
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また十丁も上りて
ヲケ子
同じく左りの方也。ヲケ子とは赤楊多きよりして号しもの也。本名はヲケ子ウシのよし也。
2024年12月21日土曜日
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ウレカリ
左りの方小川。其名義不解也。川端には柳と赤楊 多しとかや。
Uwegarip ウウェガリㇷ゚ 集場 數個所ニ捕リタル魚ヲ此處ニ集ム故ニ名クト云フ○uwekari-p で「集まる・ところ」でしょうか。uwekari は『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると u-w-ekari で「互い・(挿入音)・の方に向かって」とあります。永田方正は「集まるところ」に「市場」の機能があるとして「売買」という字を充てた……と考えたのかもしれませんが、ちょっと話が出来すぎている感もありますね。賣買 村ト稱ス
ウリガリップ
原称「ウリ・カリップ」なり。「ウリペ」とは笹の実、「カリップ」とは取るということにしてこの地方笹の実多かりしかば、アイヌ等は毎年これを取りしより、かくは名ぜるなり。
( 6 ) uripe(u-ri-pe)「ウりペ」[<ur-ipe 笹葉(の)・食物]種實《北海道全地》 注 3.──古い語だったと見え幌別の樣に別の語を使う所でもこの語わ通じる。
一説には「ウレ・カリプ」にして、「ウレ」とは足裏、「カリプ」とは足跡をたずねて歩くという義にして、古昔石狩のアイヌ、十勝のアイヌを襲ひて、宝物を掠奪せんとの希図を抱き、雪中一人あり、ひそかに来りてその動静を偵察す、たちまち十勝アイヌの悟る所となりて追跡せらる、石狩アイヌことの急なるをしり、足に穿つところのカンジキをさかさに穿ちて走る。十勝アイヌ等これを知らずついに逃すと。
あるいはいう、原称は「ウレンカベ」にして、平安のところと訳すべし。
Urengabe;ウレンガベ;平安ノ処(地名解 315)。urenka は「揃える」ということ。従って「ウレンガベ」が「平安ノ処」という意味になるとも思われぬ。ただ,語形の方は当然 Urenka-p となる筈。
Urengabe ウレンガベ 平安ノ處 「アイヌ」某ハ「ウリカベ」ト呼ブ「ウル、イカペ」ノ急言ニシテ丘ヲ迂リ越ス處ノ意ナレトモ未詳
またあるいは「ウリカベ」と唱うるものあり。「ウリカベ」はすなわち「ウル・イカべ」の急言にして、丘をまわり越すところの意なりと。
〔伏古アイヌの伝承〕(要約)日高のシピチャリコタンの敵衆六十人が掠奪団 を組んで、伏古に押しよせた時に、土地のアイヌは神の加護を得て、敵を沼に追い落して殺した。その中で只一人がそのことを故郷に知らせようと逃れ、かんじきを逆にはいて足跡をくらまし、この川を上って脱走することができた。ウレヒとは踵(かかと)、カレヒとは追跡の事で、それからウレカレヒと呼ばれた。これ今の売買村とぞ。(吉田巖先生記録から)
地名の由来には,「原称ウリアリップと称す……杖の跡を踏み来る鹿と云ふ意義なりと云ひ伝ふ」という説(十勝史),「ウウェガリㇷ゚,集場。数個所ニ捕リタル魚ヲ此処ニ集ム故ニ名クト云フ」という説(北海道蝦夷語地名解)がある。
松浦図ではウリカベである。音だけでいうなら,ウルカ・ペッ(urka-pet 丘の・川),あるいはウリカペッ(ur-ika-pet 丘を・迂回する・川)のような形の名であったのかもしれない。
概要 | 山田秀三 北海道の 川の名 (1971) | 更科源蔵 アイヌ語 地名解 (1982) | 帯広市史 (1984) | 角川 日本地名 大辞典 (1987) | 山田秀三 北海道 の地名 (1994) | |
---|---|---|---|---|---|---|
永田地名解 (1891) ① | ウウェガリㇷ゚ (集まる所) | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
永田地名解 (1891) ② | ウレンガベ (平安の所) | - | - | ○ | - | - |
永田地名解 (1891) ③ | ウリカベ (丘を越える所) | - | - | - | - | ○ |
十勝地名解 (1914) ① | ウリガリップ (笹の実を取る所) | - | - | ○ | - | - |
十勝地名解 (1914) ② | ウレカリプ (足跡を探し歩く所) | - | - | ○ | - | ○ |
伏古アイヌ の伝承 | ウレカレヒ (踵を追跡する所) | ○ | - | ○ | - | ○ |
十勝史 | ウリアリップ (杖の跡を踏み来る鹿) | - | - | - | ○ | - |
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2024年12月20日金曜日
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2024年12月19日木曜日
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2024年12月18日水曜日
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2024年12月17日火曜日
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2024年12月16日月曜日
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2024年12月15日日曜日
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三四丁を上りてヲツベツ 、左りの方に(有)遅流にして深し。
帯広川の南支流。帯広市街の西辺、市街と競場場の間を流れている川の名。ウツベツの原形はウッ・ペッ(Ut-pet あばら骨・川)で、大きな川や沼に、「肋骨のような形についている川」だという。
帯広川の南支流。ウッ・ペッ(ut-pet 肋骨・川)の意であるが,ここでもどうして肋骨なのだか見当がつかない。昔河跡沼でもあって,それにあばら骨のように横から繋がってでもいたのか?
なお,全道的にはウッ・ナイの名が多く,ウッ・ペッの形のもので目立つのはこの川と,旭川の近文のウッペッぐらいだろうか。
2024年12月14日土曜日
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イタラタラキ
原称は「イタラタラゲイ」なり。動揺する地との意にして、この地は湿地にしてその上を歩行すれば、大地動揺するより名づく。
イ・タラ・タラ・キイ(そこが・踊り・踊りするところ) と解釈できる。
漢字で似平をあてた。
余談ですが、更別村には何故か三角点が 6 つしかありません。これは他の市町村と比べて異様に少ないのですが……。
帯広市 | 幕別町 | 更別村 | |
---|---|---|---|
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | - | - | - |
永田地名解 (1891) | - | - | - |
北海道実測切図 (1895 頃) | - | - | イタラタラキ |
三角点選点(大正4年) | - | - | 以平 |
陸軍図 (1925 頃) | 似平 | 下似平 | イタラタラキ川 |
西似平 | |||
地理院地図 | 帯広市以平町 | 幕別町美川 | イタラタラキ川 |
その他 | イタラタラキ橋 (小豆川) | - | - |
これまたややこしいことに、幕別町(当時は幕別村)の「下似平」は「猿別川」沿いで、「下イタラタラキ駅逓所」は上流側の「サラベツ川」沿いです。
知里博士小辞典には「tattarke-i タッタㇽケイ。水中に岩磐などあって川波の立ちさわぐ所;たぎつせ。〔←tar-tar-ke(踊り・踊り・する)-i(所)〕と書かれている。その語頭にイ(それが)がつくと安田氏の書いた形である。
2024年12月13日金曜日
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2024年12月12日木曜日
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2024年12月11日水曜日
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2024年12月10日火曜日
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2024年12月9日月曜日
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2024年12月8日日曜日
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「地図・空中写真閲覧サービス」の「国土地理院 オンライン閲覧(地図・空中写真)」で過去の地形図を確かめたところ、1973 年に修正された 2.5 万地形図「駒畠」では「サッチャロベツ川」と描かれていて、1985 年に改測された 2.5 万地形図「駒畠」で当該区間が「猿別川」に変化していました。
また少し上りて
サツチヤルベツ
右のかた小川也。本名サツテチヤロヘツと云て、乾た川口の川と云儀也。
Sat charu pet サッ チヤル ペッ 茅川口 一説乾口川ノ義ナリト云フ?一見、戊午日誌と同じ解に見えますが、「茅川口」とあるため、これは sar-char-pet が音韻変化して sat-char-pet になった……と考えたようです。ただ「一説」として(松浦武四郎が記録した)「乾いた河口の川」説も併記したところに注意が必要です。
サッ・サㇽペッ「sat-sarpet 乾く・猿別川(支流)」であったのかもしれない。以上は地名として続けて発音すればどれでもサッチャルペッとなる。一応は現地を歩いて見たが,現在の地形からは何とも判断ができなかった。
2024年12月7日土曜日
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更 別(さらべつ)
所在地 (十勝国)河西郡更別村
開 駅 昭和 5 年10月10日
起 源 アイヌ語の「サル・ペッ」(ヨシ原の川)の意で、幕別川の支流の猿別川から出た名であるが、上流の更別村では猿を嫌って更別としたので、駅名はそれによったものである。
○ サルペッ川筋見事に表記が揺れてしまっています。
Sara pet サラ ペッ 茅川
2024年12月6日金曜日
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2024年12月5日木曜日
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2024年12月4日水曜日
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2024年12月3日火曜日
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2024年12月2日月曜日
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2024年12月1日日曜日
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忠 類(ちゅうるい)
所在地 (十勝国)広尾郡忠類村
開 駅 昭和5年10月10日
起 源 アイヌ語の「チウ・ルイ・ト・プッ」(流れの強い沼川)の上部をとって駅名としたものである。
この辺は後の方に調べていただきたい処である。