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「ロース記念館」の建物は石積で、屋根はシュロの葉を葺いたものです。
建物の向かい(西側)には、北大のクラーク博士像のような胸像があるのですが……
「良志羅留晋 之像」とあり、横に「ロルフスラルフ」とルビが振られています。「ラルフ」が「羅留晋」なのだと思いますが、「良志」を「ロルフス」と読ませるのであれば、かなり難易度が高いですね……。
台座の左に由緒が記されているのですが、「フレデリック・ロルフス」さんの通称が「ロース」で(ここまではわかる)、1878(明治 11)年(イザベラ・バードが東北と北海道を旅した年ですね)に日本に帰化した際に「良志羅留晋(ロルフス・ラルフ)と改名した」とあります。「ラルフ」はどこから出てきたのでしょう……?
ちなみにこのロースさんは「石材を発見し、その利用法を島民に普及させた」ことで知られていて、母島の開拓に尽力した功労者とのこと。道路脇には「ロース石製二連かまど」が置かれていました。雨ざらしなのがちょっと心配ですが……。
「おが丸」暦
建物の脇には「ロース石製開館時間は「8:30~16:00」で、休館日のところは「おがさわら丸出港翌日」と訂正されています。小笠原では「おが丸」の運航スケジュールが事実上の暦と化していると聞きますが、これもその一例のようですね。
木製の扉の裏側には「入場無料」と「館内禁煙」の文字が。母島駐在所の「パトロール強化中」とあるのは……何をアピールしているのでしょう(汗)。火遊びしたり暴れたりしたらダメだよ、ということでしょうか。
建物の中に入りました。窓と出入口の上はアーチ状になっていますが、これはデザイン的なものと言うより、アーチ橋と同様に自重と荷重を左右に分散するためのなのでしょうね。
昔の母島
壁面には昔の母島の写真が飾られていました。明治から戦前の昭和にかけての写真です。写真の中には「母島沖村ロース屋敷ノ図」というものもあります。現在の「ロース記念館」は移築されたみたいで、写真の場所は現在の「ロース記念館」とは異なるようですが、確かに「ロース記念館」によく似た建物が見えます。
これらの写真も戦前のものですが、「北村」や「北港」の写真もあります。「北港」は都道 241 号「沖港北港線」の北端のあたりで、現在は無人の地です。
昭和天皇の行幸
「北港」の写真の上には、 1927(昭和 2)年の「昭和天皇の行幸」の写真が並びます。戦前、特に昭和に入ってからは天皇の神格化がエスカレートした時期だと思うのですが、普通に写真も残されているんですね。こちらの写真は 1994(平成 6)年の「上皇の行幸啓」(当時は「天皇」)と、右側は昭和天皇の写真だと思われますが何故かキャプションがありません。
戦前の母島での暮らしぶりを記録した写真も並んでいました。左端の「サンゴの収穫」「カツオの大漁」以外は、いずれも砂糖(サトウキビ)に関するものです。戦前の母島では製糖が主要産業だったのですね。
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