(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
忠類(ちゅうるい)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての「忠類村」で、国鉄広尾線に同名の駅がありました。ということでまずは『北海道駅名の起源』(1973) を見ておきましょうか。忠 類(ちゅうるい)
所在地 (十勝国)広尾郡忠類村
開 駅 昭和5年10月10日
起 源 アイヌ語の「チウ・ルイ・ト・プッ」(流れの強い沼川)の上部をとって駅名としたものである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.142 より引用)
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川を見つけられなかったのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「チ実測切図に描かれた「チエルイトープイ川」は、いつの間にか河川名が取り違えられたようで、現在「セオトープイ川」と呼ばれる川と同一であるように思われます。
改めて考えてみると疑問の残る地名です。chiw-ruy で「水流・激しい」とするのが定説とされていますが、*現在の* セオトープイ川が果たして「水流の激しい川」なのか、ちょっと疑問に思えてきました。
ただ、chiw-ruy に代わる、蓋然性のありそうな解が出てこないのも正直なところです(数時間ほど悩んだのですが)。chi-e-ran-i で「我ら・そこで・降りる・ところ」が転訛した……と想像するのが精一杯でしょうか。
山田秀三さんは、かつて『北海道の地名』(1994) にて
この辺は後の方に調べていただきたい処である。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.327 より引用)
と締めていましたが、めちゃくちゃ納得ですね……。忠類幌内川(ちゅうるいほろない──)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての忠類村南部で当縁川に東から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「コイカクㇱュトープイ川」として描かれていますが、現在の「コイカクシュトープイ川」は全く場所が異なります。面倒なことになってきたので、表にまとめておきましょうか。
東西蝦夷 山川地理取調図 (1859) | 北海道実測切図 (1895 頃) | 陸軍図 | 国土数値情報 |
---|---|---|---|
トウフイ | トープイ川 | 當緣川 | 当縁川 |
(トウフイ) | サクウㇱュトープイ川 | 當緣川*1 | 当縁川 |
- | コイカクㇱュトープイ川 | 當緣川*1 | 忠類幌内川 |
- | シロカカリトープイ川 | - | コイカクシュトープイ川 |
シノマントウフツ? | チエルイトープイ川 | - | セオトープイ川 |
セヲトウフイ | セイオトープト | - | ポン二の沢川 |
どうやら派手に川名を取り違えたみたいですね(大樹から忠類にかけては取り違えが多いなぁ……)。ただ意味するところは明瞭で koyka-kus-{to-pus-i} で「東・を通る・{当縁川}」だと考えられます。
コイカクシュトープイ川
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
忠類の市街地から道道 319 号「生花大樹線」を東に向かうと「忠類橋」で当縁川を渡るのですが、忠類橋のすぐ西で「コイカクシュトープイ川」が北から合流しています。この「コイカクシュトープイ川」は、『北海道実測切図』(1895 頃) には「シロカカリトープイ川」と描かれていた川です。更に「シロカカリトープイ川」自体の表記も揺れがあるので、改めて表にまとめてみました。
午手控 (1858) | シロカヽイトフチ | 右小川 |
---|---|---|
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | シトカヽエトウフツ | - |
北海道実測切図 (1895 頃) | シロカカリトープイ川 | - |
国土数値情報 | コイカクシュトープイ川 | - |
「シロカカリ」の意味ですが、『アイヌ語方言辞典』(1964) によると sirakkari で「通る」あるいは「通り過ぎる」という意味とのこと(旭川・名寄)。実際に川沿いを道道 15 号「幕別大樹線」が並走していますし、幕別(糠内川筋)に出るのに良い交通路だったということかもしれません。sirakkari-{to-pus-i} で「通り過ぎる・{当縁川}」だったのではないでしょうか。
セオトープイ川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
忠類の市街地の北を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) では現在の「ポン二の沢川」の位置に「セイオトープどこかのタイミングで川名が移転した可能性がありますが、意味するところは sei-o-{to-pus-i} で「貝・多くある・{当縁川}」だと見て良さそうに思えます。
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