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にほへ碑
小さな石碑には「にほへ」との文字が彫られています。にほへ……「いろはにほへと」でしょうか?この石碑はそのまま「にほへ
ビジターセンターの説明には「移住者 38 名」とありましたが、この説明では「農民 30 名」とありますね。この「にほへ碑」は「使い終えた筆を供養するための筆塚」だったとのことで、1862 年から 9 ヶ月の間、小笠原でも「寺小屋教育」が行われたことを今に伝えるものだそうです。
小笠原新治碑
「にほへ碑」の隣にも、別の石碑がありました。なんかモノリスのような、板状の石碑ですが……
この石碑は「小笠原
「新治碑」の説明をよく見ると「小笠原
なお
突然の銃眼
「小笠原開拓碑」「にほへ碑」「小笠原新治碑」を見終えたので、参道に戻って「小笠原神社」に向かいます。参道は平坦な区間が多く、高低差がある場所には階段が整備されています。
ところで、よく見ると右側に何やら妙なものが……
あっ、これは……。トーチカの銃眼のようですね。
中に入れるトーチカ
神社を見に来た筈なのに、境内にしれっとトーチカがあるあたり、油断なりませんね……。今回はありがたいことに、ちゃんと案内板も立っていました。「中へ入れますが足元が暗いので充分気をつけてください」とありますが……
この銃眼から中に入るのは、さすがにちょっと無理があるような……
……と思っていたら、「納涼山」に向かうトレッキングルートの横にも何やら穴が見えます。
穴の横には「トーチカ出入口」と書かれた板が置かれていました。
良く考えると当たり前の話ですが、トーチカの出入りは銃眼から行うのでは無く、裏側に出入口が存在しています。とは言え、小柄な日本人向けのサイズで、かなり窮屈そうですね……。
カッティング文字?
「納涼山」へのルートを示す案内板ですが、木製の板に「納涼山 90 m」の文字が彫られていました。鳥居の手前で見かけたものと同じですが、木の板に彫った文字は意外と長持ちするものなんですね。書体もどことなくプロッターの文字を思わせるもので、この文字は機械的にカッティングされたものなんでしょうか……?
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