やはり、どことなく国鉄っぽい雰囲気が感じられるのですが、チラッと調べた限りでは「亜熱帯農業センター」は 1970(昭和 45)年(小笠原が米軍から返還された 2 年後)に開設されたとのこと。堅実なフォントのチョイスも「昭和っぽい」ですよね。
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「展示園」の入口の横には「展示園ガイドマップ」が立てられていたのですが……
なんとガイドマップの上に紙が貼られています(A4 の紙を 8 枚貼り合わせたようにも見えますね)。しかもこの地図は何故かノースアップではなく、元のガイドマップと比べると反時計回りに 90 度回転してしまっているのですが……
この地図を見る限り、この先は「展望台」に向かう一本道があるようです。ただ、本来のガイドマップ(駐車場にあったもの)を見ると……
「鉄骨ビニールハウス」(展示温室)と「展望台」の間にはいくつものルートが存在するように描かれています。よく見ると「○○台遊歩道は倒木のため立入禁止とさせて頂きます」と書いてありますね。
料金所っぽい場所
とりあえず、ここまで来たので行けるところまでは行こう! ということで。車道っぽい坂を歩いて「展望台」に向かうことにしました。道はコンクリート舗装されていますが、実はかなりの急坂です。
少し進んだところで、左側に遊歩道らしき階段がありました。ロープが渡されて「立入禁止」っぽくなっています。
仕方がないので引き続き車道っぽい道を歩いていたのですが、なんと前方に「料金所」のような場所が。
こんなところに料金所がある筈無い……と思っていたのですが、1970(昭和 45)年に開設されたということであれば話は変わってきます。札幌の「羊ヶ丘展望台」と似たような感じで、展望台に向かう車から料金を徴収していたことがあったんじゃないか……などと想像してしまいます。
ココやし
「料金所」の跡地っぽいところ(詳細は謎ですが)から、更に坂を歩きます。右側の建物と比較すると、目の前の坂がどれだけ急か、わかるでしょうか……?日当たりの良さそうなところにヤシの木が立っています。これも「ミツヤヤシ」かな、と思ったのですが……
これはマダガスカル原産の「ミツヤヤシ」ではなく、
終わりは突然やってきた
道は急坂のまま左にカーブしています。左側に見えているのは、すっかりお馴染みの「タコノキ」です。どんどん勾配がキツくなり「この先はどうなるんだろう」と軽く不安を覚え始めたあたりで、急坂の終わりが見えてきました。
どうやらここが車道の終点(駐車場?)のようですね。この建物は(ガイドマップによると)「管理舎」とのこと。
通行止めっぽい道
「管理舎」の左側を見てみると……ロープが張られた「通行止め」状態の道がありました。
「1970(昭和 45)年開設」という話であれば、1978(昭和 53)年頃の航空写真でも存在が確認できる筈です。ということで地理院地図で確かめてみたのですが……
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
Google マップで表示される最近の航空写真と比べて、明らかに地肌の露出が多いことがわかりました。あと 1978(昭和 53)年頃の航空写真では料金所っぽい場所が見当たらないようにも思えます。ますます謎が深まってしまいましたね……。‹ 前の記事
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