2024年11月10日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1185) 「普呂居山・振別川・パンケタイキ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

普呂居山(ふろいやま)

hur-o-i???
丘・多くある・ところ
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
広尾大樹町の当縁とうべり川沿い、国道 336 号の「当縁橋」の西北西の丘の上にある三等三角点(標高 68.8 m)の名前です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「フーレピラ」という地名が描かれていました。「普呂居山」三角点の北側は当縁川の浸食によって崖が形成されているので、そのあたりの地名である可能性がありそうです。

ただ「ふろいやま」の「ふろ」を hure だと仮定すると hure-o-i あたりの解が考えられそうですが、hure-o-i は文法的にありえない組み合わせに思えます。

「ふろい」を素直に解釈すると hur-o-i で、これは「丘・多くある・ところ」と読めそうです。「普呂居山」三角点は 1917(大正 6)年に選点されているので、当時そう呼ばれていたことは確かだと思われますが、アイヌ語由来の地名とは断言できないというのが正直なところでしょうか。

振別川(ふるべつがわ)

hure-pet
赤い・川
(記録あり、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
大樹町の市街地の東で歴舟れきふね川に合流する南支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フウレヘツ」と「ホンフウレヘツ」という川が描かれていますが、不思議なことに『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川が見当たりません。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部辺留府祢誌」には次のように記されていました。

またしばしを過て
     フウレベツ
西岸少し山有、其間小川也。崖欠崩て至て馬上りにくし。此処にて昼飯す。名義フウレは赤ゐ、ヘツは川なり。此処まで平坦、処々柏槲原有りしが、是より山に成るなり。また此川すじ
      ホンフウレベツ
 と云て右のかたに小川一すじ有。其上皆高山にして樹木立也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.225-226 より引用)
なお「フウレベツ」とその支流である「ホンフウレベツ」の次は「ルウサンヒラ」という地名(崖の名前)が記録されていて、これは「東西蝦夷──」にはそれらしい地名が見当たらないものの、『北海道実測切図』には「ルーサンピラ」として描かれていました(現在の「運動公園」の川向かい)。

松浦武四郎も「名義フウレは赤ゐ、ヘツは川なり」と記している通り、hure-pet で「赤い・川」と見て間違いないかと思われます。読みが「ふべつ」になったのは、漢字表記「振別」に引きずられたんでしょうねぇ……。

パンケタイキ川

panke-osma-ru??
川下側の・入る・路
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道の駅・コスモール大樹から道道 622 号「幸徳大樹停車場線」を 4.8 km ほど西北西に向かったところに「パンケ橋」という橋があります。橋の下を「パンケタイキ川」が流れていて、1.1 km ほど先には「ペンケ橋」の下を「ペンケタイキ川」が流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) では、これまた不思議なことに「パンケウㇱュマル」「ペンケウㇱュマル」という川が描かれています。「東西蝦夷山川地理取調図』(1859) でもほぼ同様で、「ハンケウシマラ」「ヘンケウシマラ」という川とそれらの支流が描かれています。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部辺留府祢誌」には次のように記されていました。

是を見るまヽ行に
     ハンケウシマラ
西岸山の間に有。其名義不解よし也。川巾相応の広さ有、両岸は樹木立原也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.227 より引用)
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

パンケウシマル
パンケタイキ川(地理院図)
パンケナイ(営林署図)
ペンケウシマル
ペンケタイキ川(地理院図)
ペンケナイ(営林署図)
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.44 より引用)
やや余談気味ですが、「東西蝦夷──」や「──実測切図」では、「ペンケウシマ」からヘルフ子(=歴舟川)を少し遡ったところに「タイキ」と描かれています。道道 622 号の「ペンケ橋」と「神威大橋」の間の一帯に相当しますが、この「タイキ」が「大樹町」の町名の元となった地名だったようです。

そんなこともあってか、「パンケウシマル」「ペンケウシマル」は「パンケナイ」「ペンケナイ」と名を変え、やがて「パンケタイキ川」「ペンケタイキ川」に化けたと考えられます。何故「ウシマル」という川名が消えたのかは謎ですが……。

「ウㇱ・マラッケ」?

鎌田さんはこの川名について、次のような解釈を記していました。

 ウㇱ・マラッケ(us-maratke いちめんにある・鮭の卵)つまり鮭の卵が沢山ある川という意。川底は粒茎のそろった小砂利が多く、鮭の産卵に適した川なのであった。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.44 より引用)
たまに不思議に思うのですが、鎌田さんは何を根拠にこのように断言しているのでしょう……? maratke という語は知里さんの『動物編』(1976) にありましたが、us-maratke は語順からして奇妙な感じを受けます。

「ウシマ」は osma か?

残念ながら、手元にはこれ以上のヒントが無いので、「パンケウシマル」という川名を我流で解釈するしか無いのですが、「ウシマル」は osma-ru で「入る・路」あたりでしょうか。「パンケウシマル」だと panke-osma-ru で「川下側の・入る・路」となりそうですね。

川の名前に -ru(路)というのが凄く引っかかるのですが、あるいは osma-p が転訛しまくって「ウシマル」と聞こえた、あたりの可能性も考えたくなります。

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