この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
キリスト教信者(続き)
章題は「キリスト教信者」のまま、何故かここで話題がコロっと変わり、黒石の地勢についての記述が始まります。なお、以下の内容は全て「普及版」ではカットされたものです(第三十五信は全体の 7 割近くがカットされています)。黒石は、ほとんどの小さな町と違っていて、ニヂ[虹貝または二双子]、大鰐、薬師田、尾上、中野和、柏木町や他の多くの森に囲まれた村の島々のある広大な岩木山の平原である米の海を見渡すことのできる高くなった台地に位置しています。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.121-122 より引用)
「森に囲まれた村の島々」や「米の海」という表現が特徴的ですが、これは islands of wooded villages や a sea of rice の直訳です。「ニヂ[虹貝または二双子]」とあるのは Nidi で、高畑さんはこれを「大鰐」(Owani)はほぼ間違いないとして、「薬師田」(Yakushida)は薬師堂(弘前市)の可能性が高そうに思えます。「尾上」(Onoyé)はかつての尾上町(現・平川市)のことでしょう。問題は「中野和」(Nakanowa)で、地理院地図で調べた限りでは現存地名としては存在していないようです。「柏木町」(Kashiwagimachi)はかつての「柏木町村」で、尾上町柏木を経て現在の平川市柏木町のことだと思われます。
ここまで見た限りでは Nidi と Nakanowa が正体不明ですが、イザベラが列挙した他の地名は黒石から大鰐方面を俯瞰したものに見えます。となると Nidi を黒石の
イザベラは大鰐から黒石まで、現在の青森県道 13 号「大鰐浪岡線」の旧道に相当する道を通ったと考えられます。この道路は「大鰐」「薬師堂」「柏木町」「尾上」を経由するので、Nidi と Nakanowa も道路沿いの地名と考えたくなります。となると Nidi は「
原文では with islands of wooded villages, Nidi, Owani, Yakushida, Onoyé, Nakanowa, Kashiwagimachi, and many others. とあるため、Nidi は Owani より手前(=南)に存在したと考えたくなりますが、よく見ると Kashiwagimachi が Onoyé より後に記されているため、順不同と見て良さそうに思えます。
かつては小さな城があったのですが、破壊されてしまいました。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.122 より引用)
これはかつて黒石に存在した「黒石陣屋」のことのようですね。Wikipedia によると 1871(明治 4)年に廃城になったとあります。イザベラが黒石を訪れる 7 年前ですね。他の普通と異なった特徴は 20 から 25 フィートの高さの骨組みの柱に乗った沢山の屋根のついた四角いプラットホームがあることです。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.122 より引用)
20 ft は約 6 m で 25 ft は約 7.6 m ですが、その程度の高さの物見櫓があった、ということでしょうか。とても暑い夏の夜は、そこへ蚊から逃げ出すために、彼らの寝具を持ち込むのです。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.122 より引用)
あーなるほど。タワマンは「虫が出ないから良い」という説もありますが、それと似た発想とも言えそうですね。イザベラは城趾の他にも仏教寺院も訪れたようですが、「奇怪でけばけばしく塗られた傷だらけの偶像で台無しにされていた」とのこと。
その中には、病気に効くと評判の高い医の神の賓頭盧 ──それは足を組んで暗赤色をしている──もありました。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.122 より引用)
Wikipedia にも「賓頭盧」というページがありますが、その参考画像の多くも赤茶色に見えます。イザベラが見た賓頭盧の像も似たような色合いだったのか、あるいはもっと派手な色合いだったのか、それが「けばけばしい」と感じられたのでしょう。それよりも気になるのが、イザベラはどこで「賓頭盧」を知ったのか……です。イザベラが散歩に出かける時は(通訳であり助手でもある)伊藤を帯同しないケースもあったようですが、この時はどうだったのでしょう。
‹ 前の記事
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International
0 件のコメント:
コメントを投稿