(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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冨付牛(とんけし)
(? = 記録あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
大津漁港と長節湖の間の丘の上にある三等三角点の名前です(標高 47.4 m)。なお「点の記」によると「冨」(トン)「付」(ケ)「牛」(シ)とのこと。『北海道実測切図』(1895 頃) には「トーウンケシ」(「ン」は小書き)と記されていて、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トンケシ」と描かれていました。登別市の「
「沼の端」説
『初航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。壱り斗行なんとなく加藤和彦と榎本健一を想起させますが、おそらく無関係でしょう(無関係ですね)。
トンケン
トノケンなるか。沼の端と訳る也。平坦。平砂浜にし而道よろし。
「海の端の山の崎」説
『十勝地名解』(1914) にも次のように記されていました。ドンケシ
海端なる山の崎という意なり、釧路の頓化(トンケシ)とまた同じ義なり。
(井上寿・編著『十勝アイヌ語地名解』十勝地方史研究所(帯広) p.71 より引用)※ 原文ママ
おお、そう言えば釧路にも「「沼の尻の末」説
『十勝地名解』の脚注には「トー・ウン・ケシ(沼・尻・の末端)の意味である」と記されていました。知里真志保・山田秀三共著の「室蘭・登別のアイヌ語地名」では「富岸」の解として to-um-kes で「沼・尻・の末」としていましたが、この解と同じではないか……ということですね。um という語は『──小辞典』には立項されていませんが、『釧路地方のアイヌ語語彙集』によると「
「沼の尻」でいいのでは?
『知里真志保著作集』(1973) の「人間編」には「みみたぶ」を意味する kisara-ohonkes という語が記載されていました。( 5 ) kisara-ohonkes (-i)〔ki-sá-ra-o-hòŋ-keš キさラ・オほンケㇱ〕[kisara(耳)+ohunkes(尻)]《シラウラ》
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 II「分類アイヌ語辞典 人間編」』平凡社 p.399 より引用)
注目したいのは ohunkes 自体が「尻」を意味するとされている点で、これを「トンケシ」に当てはめた場合、to-ohunkes で「沼・尻」と解釈できる可能性が出てきます(kisara-ohonkes という語が樺太の白浦で採取されたという点はあえて無視で)。そして「トーウンケシ」が「沼の端」であるとした松浦武四郎の記録は大正解だったことになりますし、「トノケン」という謎の記録も to-{not-kew} で「沼・{あご}」と解釈できたりするかもしれません。
「頓化」と「富岸」について
問題はむしろ「富岸」(登別市)と「頓化」(釧路市)のほうで、どちらも近くに沼があったようには思えません。「頓化」については釧路湿原を巨大な沼に見立てるというアクロバット的解釈ができなくは無いのですが、「富岸」については謎のままです。ただ、改めて『北海道実測切図』を眺めてみたところ、現在の「富岸川」が「ワシペツライハ川」となっていて、それとは別に胆振幌別川の支流である「ヤンケシ川」に相当する位置に「トーウンケㇱュ川」が描かれていました。
当時の胆振幌別川(ポロペツ)はかなり河口が(沿岸流の流砂で)南西に流されていたらしく、河口付近の流れがまるで沼のように淀んでいたことが推察されます。このことから河口付近の一帯を「沼の尻」と呼んだということかもしれません。
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