2024年10月23日水曜日

レンタカーで父島一周 (20) 「愛とは決っして」

「初寝浦展望台」にやってきました。「初寝浦」は「はつねうら」と読むみたいですが、「初音」ではなく「初寝」なのが面白いですよね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「展望台」と言うものの、これまで見てきた展望台とは違って柵も無ければ東屋もありません。
この場所自体はギリギリ「東京都小笠原村父島字夜明山」みたいです。眼下に「初寝浦」の海岸が良く見えるので「初寝浦展望台」なのですね。

初めて寝たので「初寝浦」?

「初寝浦」という珍妙な地名の由来ですが、幕末に慌てて小笠原にやってきた「咸臨丸」の乗員が父島に上陸した後、初めて一夜を過ごした場所だったので「初寝浦」なのだとか。
現在の「初寝浦」は定住人口ゼロですが、陸軍図でも「初寐浦」「北初寐浦」の文字はあるものの家屋は描かれていません。

当時の父島は天然の良港である「二見港」の周辺、特に湾の南側にある「扇浦」を中心に欧米系・ハワイ系・ポリネシア系住民が定住していたので、咸臨丸はあえて人の気配が希薄な「初寝浦」に上陸したのかな、と勘ぐってしまいます。

愛とは決っして

さて……。「柵も無ければ東屋も無い」初寝浦展望台ですが、実は人工の建造物が存在(残存)しています。これなんですが……
……。これもおそらく日本軍が建設した建物で、場所を考えると「見張小屋」っぽいものだったのでしょうか。海に向かって(銃眼ではなく)大きな開口部があるので、ここに立てこもって戦闘を行うことを企図したものでは無さそうに思えます。
それはそうと、落書きが酷いですね……。落書きは通信所跡でも見かけましたが、妙に「白っぽい」落書きが目立つ印象もあります。白い塗料で落書きを覆って目立たないようにしたのでしょうか。その上に改めて赤い塗料で上書きしたということか……?

建物の中に入るのは藪漕ぎが必要になりそうですし、どう見ても安全性にも難がありそうなので、今回も外から中を覗くに留めます。
建物の中の柱も落書きされていました。
「初寝浦展望台」は、おがまるパック「父島観光オプション」の「バス半日観光」には含まれていないのですが、これは中々の拾い物でしたね。父島の戦跡の中でも「初心者向け」の場所だと思われるので、近くを通ることがあればちょいと足を伸ばすと良いかと思います。

世界の侵略的外来種ワースト 100

それでは「夜明山」の麓に停めた車のところに戻りましょう。
どこに合焦しているのか良くわからない写真ですが、これは「世界の侵略的外来種ワースト 100」に選定されている「ランタナ」ですね。
ようやくピントが合ったみたいですね。独特な見た目の花ですが、「侵略的外来種」だと言われてみれば、なんか毒々しく見えてしまいますね。
「通信所跡」の前を通り過ぎて、駐車場に戻ります。正面に「戦跡ツアー」の車が見えていますね。

木質チップ

「バイオのトイレ」の前に戻ってきました。
よく見るとトイレの横に説明書きがあるのですが、「このトイレは、木質チップを使用した処理方式を採用し」とあります。どうやら単なる浄化槽では無さそうな感じですね。

二宮金次郎像

Google マップを見ると、「バイオトイレ」と「時空の柱」(「時空を超えて──」の詩文が刻まれた柱)の近くに「二宮金次郎像」というスポットがあります。「二宮金次郎像」と言えば学校……ですが、果たしてこんなところに学校があったのでしょうか。

現地では存在に気づかなかったのでスルーしてしまったのですが、幸いにしてストリートビューにしっかりと捉えられていました。こちらなんですが……


こ、これは……。首から上が存在しないという、なんともグロテスクな状態の「二宮金次郎像」がありました。ここにあったのは軍の通信所なのですが、小学校があるように偽装する目的で「二宮金次郎像」が運ばれてきたのだとか。

そして米軍が小笠原から撤退する際に、記念として(?)二宮金次郎像の「首」を持ち帰ったとのこと。「軍施設の偽装」という存在理由もグロテスクですが、石像の首を持ち帰るというのもグロテスク……ですよね。

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