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中は吹き抜けになっていて、巨大な柱が屋根を支えていました。
まるでカメラの透かしのような感じで「落書き」が映り込んでいたのですが……
1977 という落書きの文字にも歴史が感じられますね……。
現在進行形で崩壊中?
妙な切れ込み?の入った台座らしきものが気になるのですが、ググった限りでは発電機の台座では無いかとのこと。https://ogasawara-mulberry.net/news/12229/ によると、この建造物は「父島海軍航空隊送信所」の跡とのこと。Wikipedia の「父島要塞」によると、「夜明山通信隊送信所」と「夜明平 父島海軍航空隊送信所」が存在したことになっていますが、ここは「夜明平 父島海軍航空隊送信所」の跡みたいです。
広い吹き抜けと、一部は二階建てになっていたようですが、二階のフロア部分は崩落していたり鉄筋が露出していたりで、かなり危険な状態です。
よく見ると天井にはレールも現存しています。
父島の「要塞化」は 1921(大正 10)年に始まったものの、1922(大正 11)年にワシントン軍縮会議により一旦中止されます。その後 1934(昭和 9)年に砲台の工事を再開し、1941(昭和 16)年 9 月に「父島要塞臨時編成令」が発令されます。
この「父島海軍航空隊送信所」がいつ建設されたのかはわかりませんが、1934(昭和 9)年から 1945(昭和 20)年の間あたりでしょうか。だとすると築 80~90 年と言ったところになりますね。
樹木の逆襲?
2 階部分の床が崩壊気味だった以外にも、外壁にも大穴が空いているところがありました。これは……樹木が鉄筋コンクリートを破壊してしまった、ということでしょうか……?これなんかも、樹木が壁を突き破っているようにも見えますね。
アンテナ土台跡?
航空写真で見ると、ちょうど真ん中あたりに色の違う場所が見えますが、これが「送信所跡」だと思われます。この近くにアンテナの土台も残っているそうですが、すぐ南にも建物の遺構らしきものが見えます。これがそうなんでしょうか。
初寝浦展望台へ
通信所跡を後にして「初寝浦展望台」に向かいます。そう言われてみれば右に道が分岐していたようにも見えますね(今は樹木が繁茂していますが)。鬱蒼とした森を抜けて日が差してきました。「初寝浦展望台」まであと少しのようです。
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