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「この先二見湾を一望できます」と記された「三日月山園地 案内図」の右側にはルートマップが出ていました(今更ですが……)。2 箇所のビュースポット(展望台と兄島・西島を眺めることができるスポット)が「撮影ポイント」として紹介されているほか、途中で見ることのできる植物が紹介されています。
確かに「徒歩 15 分」でしたし、アップダウンもそれほどでは無かったですね。ただ途中に階段があるので、流石に車椅子単独での移動は難しそうです。
レンタカーに帰還
それでは車に戻ることにしましょう。ホイールベース長いですね……というのはさておき、他の車も見当たらなければ人影もありません。「おが丸」で来島した筈の 400 人以上の船客はどこに行ってしまったのでしょう……?「ウェザーステーション展望台」駐車場からは、10 % の下り坂です。
謎のアパートみたいな建物
そう言えば、実は「ウェザーステーション展望台」駐車場に向かう途中に、左側に(帰り道としては右側)謎のアパートみたいな建物があったのですが……これなんですが、立地的には要塞っぽい雰囲気もあります。ただ(格子のついた)アルミサッシの窓があるのが解せないですが……(これは戦後っぽい)。
父村要塞大村第二砲台跡入口
謎のアパートみたいな建物から少し坂を下ると、今度は左側の森に「父島要塞大村第二砲台跡入口」という案内板が立っていました。ただ、これは……。歩道だったと思しきところにも草木が繁茂してしまっていて、歩くのも大変そうです。何よりもこれだと道路の所在がわからないので、観光客が単独で立ち入るのはちょっと勇気が要りますね。
砲台長位置、砲座、砲側弾薬庫
ちなみに「砲台跡入口」の向かいにも、曰くありげなコンクリート製の建造物が見えます。ここにもちゃんと案内板が整備されていました。「砲台長位置、砲座、砲側弾薬庫」とあります。
案内板を良く見ると「ここから三日月山展望台に向かう途中に薄黄色の建物がありますが、これは兵器格納庫で、戦後に彩色されました」とあります。やはり先程の「謎のアパートみたいな建物」は、元々は弾薬庫だったみたいですね。戦後は「気象庁が構想観測施設として使用していた」とのことで、戦後風のアルミサッシが取り付けられていたのは、気象庁が改良工事を行ったということなのでしょう。
四五式十五糎加農砲 砲座跡
案内板の横には階段があり……切り出された石を積んだ階段は、多少は風化しているものの、今も問題なく歩行可能です。
階段の上には丸い空間とそれを取り囲むコンクリートの壁がありました。どうやらこれが「四五式十五
「四五式」とあるのは 1912(明治 45)年に開発されたことを指すみたいですね。当時は皇紀ではなく和暦を使っていたというのは興味深いですが、和暦はいずれリセットされるということに後になってから気付いたということなんでしょうか。あるいはそもそも「皇紀」という考え方が知られてなかった可能性も……?
砲座の横には電力施設っぽいものがあり、「立入禁止」のロープが張られていました。
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