この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
婦人の化粧
8/3(土) に黒石に到着したイザベラは「二泊三日滞在した」と記していますが、第三十信には「黒石にて 八月五日」と記してあります。もちろん午後に出発したという可能性もあるのですが、ちょっとした記憶違いの可能性もありそうですね。「明るくて清潔である部屋」での楽しんでいたイザベラですが、他にも気に入ったところがあったようで……。なんと、イザベラは隣家の御婦人を
例えば、私の隣の人を見下ろすことができるので、婦人が結婚式へ出かけるために化粧をしているのを見ることができた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.321 より引用)
イザベラは「黒い漆の化粧箱」や「磨かれた金属製の鏡」を見たと記しているのですが、この家は富裕な家だったのでしょうか。髪結い
イザベラの渾身の女髪結いがその婦人の後ろに立って、櫛で梳いたり、分けたり、髪を結んだりしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.321 より引用)
結婚式に出席するらしいので、しっかり化粧して髪も結って行く……ということなんでしょうね。この「髪結い」の女性は召使なのか、それともプロの髪結いがいたのでしょうか。結った髪は一つの建築物であり一つの完璧な美術品である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.321 より引用)
最近は少なくなったかもしれませんが、和装した花嫁さんはすごい髪型をしてますよね。長い漆の箱から入れ毛をいくつか取り出し、多量の香油や中まで堅い詰め物を使って、ふつうのなめらかな丸髷 ができる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.321-322 より引用)
ふむふむ。いわゆる「ちょんまげ」が廃止されたのは 1871(明治 4)年ですが、女性の「丸髷」は廃止されなかったので、普通に正装として健在だった……ということでしょうか。髪を結う型は一定している。それは女の子の年齢とともに変わってくる。既婚と未婚とで、髪型が少し異なる。しかし頭の頂で三つに髪を分けることと、丸髯を結うことは決して変わらない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
ひゃー……。相変わらず良く見てますね。こういった違いは一目瞭然だったのか、それとも伊藤や「日本通」の知人から情報を得ていたのでしょうか。戸外では決して頭にかぶりものをしないから、髪を固めることが必要となっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
なるほど……そんな実用的なメリットがあったのですね。このようにしっかり髪を固めておけば、木枕のおかげで、一週間以上も髪が崩れずにもつのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
げげっ。油で固めた髪型で一週間以上ですか……。そりゃまあ毎日髪を結うのも大変ですし、髪を結わないと外を出歩けないとなれば、髪を結ったまま暮らすというのも当然の結末かもしれませんが……。がんこな眉は残るところなく全部剃り落としてしまい、こめかみや頸に残っている生毛 はみな毛抜きで引き抜いてしまった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
眉毛を抜くというのは今も普通に行われますが、これっていつ頃から始まったものなんでしょうね。このように短い毛を全部とってしまうと、頭に生えている自然の髪までもかつらをつけているように見えてくる傾向がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
あははは(笑)。丸髷っていかにも「かつら」っぽいですもんね。白粉と化粧品
「イザベラは見た!」シリーズは一向に終わる気配を見せないまま、まだまだ続きます(汗)。次にその婦人は白粉の箱を取り出し、顔や耳、頸に塗りたくり、彼女の皮膚は仮面をつけているように見えた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
白粉もいつから存在していたのか気になるところですが、Wikipedia の「おしろい」の記事によると日本には 7 世紀ごろに中国からもたらされたとのこと。「日本書紀によると、692年には国産品が作られていた記録がある」ともあります。それから彼女は駱駝の毛でつくった刷毛で瞼に少し水薬を塗り、きれいな眼がいっそうきれいに見えるようにした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
「駱駝」は「ラクダ」ですが、「駱駝の毛でつくった」というのは本当なんでしょうか(「麒麟」と「キリン」が別物のように、「駱駝」と「ラクダ」も実は別物なのかもしれませんが)。そしてイザベラはどこから「駱駝の毛でつくった」という情報を仕入れてきたのでしょうか……?歯を黒く染めたが、もう一度黒くしたというべきである。これは羽毛の刷毛を五倍子 の粉と鉄の鑢屑 の溶液の中に浸してから塗る──手間のかかる嫌な作業で、何度も繰り返し行なわれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322 より引用)
「お歯黒」というのも現代人にとっては意味不明な風習ですが、もしかしたら呪術的な効果があったとかでしょうか。ふと思ったのですが、アイヌ女性の sinuye と根っこが近かったりしないかな……などと。「五倍子」と書いて「ふし」と読むのですが、漢字三文字で読みが二音というのは「
次に彼女は下唇の上に紅をべったりつけた。その効果は決して見て気持ちよいとはいえないが、女はそう思っていないとみえて、髪をいろいろ鏡に向けて全体の効果をたしかめ、満足げに、にっこりした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322-323 より引用)
イザベラ姐さん……。覗き趣味の上に dis りまで入りましたか……(汗)。しかも「その後の化粧は、全部で三時間もかかったが、一人でやっていた」との追い打ちも。三時間……ずっと覗いでいたんですね……。彼女がまた姿を現わしたとき、無表情な木製の人形が盛装してきわめて上品に、しずしずと出てきたように見えた。これは日本女性の服装の特色をそのまま表わしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.322-323 より引用)
「木製の人形」と言われると、つい「ニポポ人形」のような木彫りの人形を思い出してしまいますが、これはきっと「日本人形」のことですよね。「まるでお人形さんみたい」という褒め言葉(だと思う)がありますが、当時の日本女性は時間さえかければお人形さんになれた……とも言えるのかもしれません。三時間以上も隣家の覗きを続けたイザベラですが、女性の服装について次のような考察を記していました。
日本では上流も下流も貞淑な女の服装と、だらしない女の服装は、厳格な礼儀作法によって、越えることのできない区別の一線が引かれている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.323 より引用)
これは服装にも身分による違いがあるということか……と誤読したのですが、良く読むと「上流も下流も」とありますね。となるとこれは「流行に左右されない」という意味なんでしょうか。恥ずかしい事実であるが、英国では、女性の服装の流行の大部分は、私たちが遺憾に思うような立場にある女性がはじめたもので、それをわが国のあらゆる階級の女性がご丁寧に真似をする。このような風潮は日本女性の間に見られない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.323 より引用)
ふむふむ。いわゆる「派手好きな女性」の服装を庶民から上流階級までが後追いするということですね。今の日本はようやくイギリスに追いついたのかもしれませんが、一方で入社式における新入社員の服装とか、全体主義的な風潮に逆戻りしつつあるようにも思えます。めちゃくちゃ単純に今の話をまとめるならば、女性が抑圧されているか否かということになりそうですね。そして日本社会は再び抑圧的なものに回帰しつつある、とも言えそうです。
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