2024年9月21日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1170) 「オップニショウ川・コタロニショウ沢川・ケッチャウシ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オップニショウ川

{o-pus}-{nisey-o}???
{音伏(山)}・{仁生川}
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦幌川の東支流である「仁生川」に合流する南支流です。浦幌川から見ると「支流の更に支流」ということになりますね。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれていませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「エパノマニシヨ」という名前で描かれていました。e-pana-oma-{nisey-o} で「頭(水源)・海寄り・そこにある・{仁生川}」と読めるのですが、これは「オップニショウ川」を遡ると南(海寄り)に向かうことを指していると考えられます。空知郡上富良野町の「江花」と似た川名ですね。

現在は何故か「オップニショウ川」と呼ばれているのですが、「オップニショウ川」を遡った(=南に向かった)先に「音伏山おつぷしやま」という三等三角点(標高 406.5 m)があり、何らかの関連性が疑われます。

問題はこの「音伏山」という三角点名で、三角点の 1.5 km ほど南を「オップシ小川」(オップシナイ沢川の支流)が流れているので、それに由来する可能性があるかもしれません。ただ「1.5 km ほど南」というのがちょっと離れすぎているところが気になるところです。

「オップニショウ川」は o-pus-{nisey-o} で「河口・破裂する・{仁生川}」と読めなくもないのですが、「音伏山に向かう仁生川(支流)」と考えたほうが良さそうにも思えます。{o-pus}-{nisey-o} で「{音伏(山)}・{仁生川}」となりそうで、どちらもアイヌ語由来の山名・川名ではあるのですが、アイヌ語地名の流儀からはちょっと外れた形です。

ちょっと変な喩えをすると、昔、JR 北海道が「トマムサホロエクスプレス」という車輌を走らせていたのですが、この「トマムサホロ」は「アイヌ語地名」なのかどうか……という話と似ているかもしれません。「トマム」も「サホロ(佐幌)」もアイヌ語由来の地名ですが、では「トマムサホロ」がアイヌ語地名かと言うと、それは違うようにも思えるのですね。

「オップニショウ川」にも似たような据わりの悪さを感じるのです。本来は「エパノマニシヨ」と呼ばれていたこともあるので、「オップニショウ」は明治以降に、既存のアイヌ語地名を合成して呼ばれるようになったのでは……と考えてみました。

コタロニショウ沢川

kuttar-{nisey-o}??
イタドリ・{仁生川}
(?? = 記録未確認、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
仁生川」の北隣を「ポンニショウ川」という川が流れています。この「ポンニショウ川」は浦幌川の支流で、「仁生川」の支流ではありません。

「コタロニショウ沢川」は「ポンニショウ川」の北支流です。「ポンニショウ川」は pon-{nisey-o} で「小さな・{仁生川}」だと思われますが、『北海道実測切図』(1895 頃) には見当たらない川名です。

「コタロ」を素直に読み解くならば、kuttar で「イタドリ」でしょうか。イタドリの多く生えている沢で、kuttar-us-{nisey-o}-us(多くある)あたりが略された可能性もありそうです。

あるいは、もしかしたら……ですが、「コタロ」は kut-taor で「喉・低い所」かもしれないかな……と考えてみました。taor は「川岸の高所」とされますが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると……

taor, -i/-o タおㇽ ①川岸の高所。②【ビホロ】[<ra-or(低・所)]。沢の中;低い所。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.128 より引用)
なんか真逆のことが書いてあるようにも思えますが、実地に即して考えると「低い所」と考えるべきだ、という結論だったのかもしれません。

「コタロニショウ沢川」が「ポンニショウ川」に合流するところは、左右から山が迫っているように見えます。このことを「喉」に喩えたのではないかな、という想像です。

ケッチャウシ川

kina-cha-us-i?
草(ガマやスゲなど)・刈る・いつもする・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ポンニショウ川」の合流地点から「浦幌川」を 2.5 km ほど遡ったところで、西から「ケッチャウシ川」が合流しています。陸軍図では「仁生川」の河口付近に「ケッ茶牛」という地名が描かれていて、現在でも浦幌町と池田町の町境付近に「喫茶牛山けっちゃうしやま」という名前の三等三角点が存在します(標高 251.3 m)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい名前の川は見当たりません。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ケッチャウシ」と描かれていました。

『角川日本地名大辞典』(1987) には次のように記されていました。

 けっちゃうし ケッチャウシ <浦幌町>
〔近代〕昭和 7~28 年の浦幌村の行政字名。喫茶牛とも書く。もとは浦幌村大字浦幌村の一部。地名は,アイヌ語のキナチャウシに由来し,「ガマやスゲなどの敷物にする草を刈りつけている所」の意(地名アイヌ語小辞典)。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.520 より引用)
「ケッチャウシ」は「キナチャウシ」ではないかとのこと。「地名アイヌ語小辞典」とありますが、これは「キナチャウシ」の意味の典拠であり、「ケッチャウシ」が「キナチャウシ」であると記してある訳ではないので注意が必要です。

「キナチャウシ」が転訛して「ケッチャウシ」になったというのは「本当かな?」と思ってしまいますが、「浦幌村五十年沿革史」にも次のように記されていました。

名稱の起源は適確に知ることを得ないが、アイヌ名から轉訛したものでウシとは「有る處」と云う意味で、ケッチャ又はキッチャとは「藺草」と云う意であると云う。
(浦幌村社会教育協会『浦幌村五十年沿革史』浦幌村役場 p.311 より引用)
ふむふむ。少なくとも地元ではそう信じられてきた、ということですね。

今も尚ケッチャウシ川尻には藺草の生えている處があると云うから、或わこれによつたものかとも思われる。
(浦幌村社会教育協会『浦幌村五十年沿革史』浦幌村役場 p.311 より引用)※ 原文ママ
うーむ、状況証拠もバッチリっぽいですね。kina-cha-us-i で「草(ガマやスゲなど)・刈る・いつもする・ところ」と見て良さそうでしょうか。

もし「キナチャ」ではなく「ケッチャ」だとしたら

なお、ketcha だと「果柄」を意味するとのこと。「果柄」はりんごの実と枝を繋いでいる部分のことなので、「果柄の多くあるところ」というのは地名としてはあり得ない感じでしょうか。

ket-cha で「獣皮の張り枠・枝」とも解釈できそうなので、ket-cha-us-i であれば「獣皮の張り枠・枝・多くある・ところ」と言える……かもしれません。手頃なサイズの枝を入手しやすい川だったのかも……と考えてみましたが、あくまで参考レベルの話ということで。

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