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このトンネルは「大村隧道」(60 m)で、すぐ先に「清瀬隧道」(120 m)が続いています。「清瀬地区」はやや山側に位置する集落で、小笠原高等学校があるほか、住宅地が広がっています。
そして、よく見ると入口に「CHICHIJIMA」の文字が。現地では完全に見落としてました……。
大村隧道
このトンネルは、現在は歩行者専用ですが、どうやらかつては車道だったみたいです。トンネルの中なのに何故か掲示板もあり、ファンタジーアート?などが展示されていました。
このトンネルのサイズは狭すぎず広すぎずと言ったところでしょうか。歩道用のトンネルとしては明らかに広すぎるのですが、車道としてはかなり狭い部類です。
左側に歩道のような段差がありますが、どうやらこの下に水道管が通っているみたいです。トンネルの壁もよく見るとでこぼこしていて、モルタルを吹き付けたような感じですね。
明かり区間
「大村隧道」を出ました。車道としては役目を終えた道ですが、歩道や通学路として現在も有効活用されています。そう言えばトンネルの手前で地元の小学生に「こんにちは!」と挨拶されたんでした。一年中「お客さん」がやってくるのが当たり前だからか、ホスピタリティも英才教育されているんでしょうか。
「大村隧道」と「清瀬隧道」の間の明かり区間からは、停泊中の「おがさわら丸」のファンネルも見えます。
「小笠原海運」の文字も見えます。ん、「小笠原海運」と言えば太ゴシックですが、そう言えばこの文字は丸ゴシック体ですね。
後ろを振り返って「大村隧道」を眺めます。左上にビュースポットと思しき場所が見えますね。
清瀬トンネルと謎の「木の扉」
「清瀬トンネル」に入りました。左側には水道管(だと思う)がむき出しになっています。またトンネルの中に謎の出っ張りがあります。よく見ると説明文と思しきものもあるのですが、クローズアップするのを失念していました……(今にして思えば、やはり集中力がやや欠けていたような)。さらに先に進むと、またしても同じような出っ張りがありました。
ただ先ほどと違うのは、今度は扉と思しきものがあり、どちらもワイヤーで壁面に固定されています。扉の枠は木製のようですね。
この扉は防水扉かな……と思ったのですが、どうやら見当違いだったようでした。https://ogasawara-mulberry.net/news/35239/ にて説明文の写真を見ることができるのですが(助かりました!)、この「清瀬トンネル」は 1937(昭和 12)年に掘られ、戦中は防空壕や倉庫としても使用されたとのこと。この「木の扉」は爆風を防ぐためのものだったそうです。
「木の扉」は水道管の邪魔にならない形で設置されているので、この水道管も戦前から存在していたみたいですね。歩道に転用された後に設置されたのかと思ったのですが、当てが外れました。
こんな風に、当初から水道管の存在を前提とした形で「木の扉」の基部が設けられていました。水道管の上にも、人ひとりが通ることができる隙間があったのですね。
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