2024年9月11日水曜日

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父島さんぽ (14) 「触れたくない話題」

 

「南洋踊り」の展示の横にはガラスケースが置かれていて、中には飛行機などの模型が置かれていました。
父島と言えば、後にアメリカ合衆国 41 代大統領となるジョージ・H・W・ブッシュが搭乗する雷撃機が撃墜されたことでも知られていますが、ブッシュが搭乗したのと同型の TBM アベンジャーの模型もありますね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

触れたくない話題

模型は航空機だけではなく、若き昭和天皇が小笠原にやってきた時の「御召艦」だった戦艦「山城」の模型もあります。その横になにやら説明が見えますが……
説明文には「震洋一型」の文字が。あの悪名高い「特攻兵器」である「震洋」が始めて配備されたのが父島だったのだそうです。
パネルが設置されることも無く、展示の隅っこにひっそりと置かれたガラスケースの中に紙切れ一枚だけというのは、……触れたくない話題なんでしょうね。小笠原に置ける戦中の闇としては「小笠原事件」もありますが、これは流石に年表にも記載がありませんでした。

北硫黄島の生活用品

「戦前・戦中のくらし」のコーナーには、「小笠原諸島の最盛期と戦争」というパネルと「北硫黄島の生活用品」が展示されていました。
北硫黄島は、「北」とは言うものの母島の南西に位置し、母島から 150 km ほど離れたところです。現在は硫黄島ともども無人ですが、最盛期には 200 人を超える住民が暮らしていたそうです。
右に見える木製の台が目を引きますが、これは「奉書台」で「教育勅語」を置くのに使ったとのこと。
なお、北硫黄島には「石野遺跡」という 1 世紀頃の遺跡が見つかっているとのこと。2000(平成 12)年ほど前にも人が住んでいた時代があった……ということになりますね。

米軍統治時代のくらし

「戦前・戦中のくらし」の隣は「米軍統治時代のくらし」で、籐で編まれた立派な家具が置かれています。中央の写真は当時の子どもたちの写真ですが、南洋系の顔立ちの子が多かったようですね。

小笠原航路

「戦前・戦中のくらし」と「米軍統治時代のくらし」の向かい、年表の裏側は「小笠原航路」のコーナーです。
本州と小笠原を結んだ船の写真と模型が展示されています。
小笠原航路は 1876(明治 9)年に開設されました。戦前は日本とサイパンを結ぶ航路が父島に寄港していたとのこと。

咸臨丸・芝園丸・黒潮丸

左から「咸臨丸」「芝園丸」「黒潮丸」の模型です。「芝園丸」は日本郵船が中国航路用に建造した船で、元は「芝罘丸」という名前だったとのこと。1945(昭和 20)年 1 月 3 日に鳥島沖で米軍の魚雷攻撃を受け沈没しています。
「黒潮丸」は東海汽船の東京~八丈島航路の船で、後に東京都にチャーターされて父島航路に就航したとのこと。小笠原が日本に返還される前にも母島や南鳥島(!)への航海歴があったとのこと。

父島丸・初代「おがさわら丸」

隣は「父島丸」と初代「おがさわら丸」です。小笠原海運の定期船は 1972(昭和 47)年に運航を開始し、その際の所要時間は 44 時間だったとのこと。「父島丸」は 1973(昭和 48)年に関西汽船の沖縄航路に就航していた「浮島丸」を購入したもので、所要時間は 38 時間に *短縮* されたそうです(現在は 24 時間)。
初代「おがさわら丸」は 1978(昭和 53)年に竣工した船で、父島航路では初となる新造船でした。「父島丸」の旅客定員が 444 名で航海速力が 14.5 ノットだったのに対し、初代「おがさわら丸」は旅客定員が 1,041 名で航海速力は 20.5 ノット(Wikipedia では 20.7 ノットとも)と大幅にパワーアップし、所要時間は 28 時間半に短縮されています。

二代目「おがさわら丸」

二代目「おがさわら丸」は 1997(平成 9)年 3 月に就航し、同時に初代「おがさわら丸」が退役しています。旅客定員は 768 名に減少したものの、航海速力は 22.5 ノットとなり、所要時間は 25 時間半に短縮されました。
二代目「おがさわら丸」には代船が存在しなかったため、ドック入りの途中で一往復して、再びドック入りするという運用が行われていたとのこと(!)。

三代目「おがさわら丸」

現在の「おがさわら丸」は 2016 年 7 月に就航した「三代目」で、少し離れたところ(「米軍統治時代のくらし」の斜め向かい)に模型とパネルが展示されていました。
パネルの右側には「咸臨丸と歴代小笠原定期船比較」と題された図が描かれていました。最も小さいのが「咸臨丸」で、次いで小さいのが「黒潮丸」だったのですね。
三代目「おがさわら丸」は垂直ステム(船首部がほぼ垂直になっている)を採用しているのですが、これは後に新日本海フェリーの「らべんだあ」「あざれあ」にも採用され、近年のトレンドとなっているようです。

返還後の小笠原

三代目「おがさわら丸」の隣は「返還後の小笠原」で、小笠原は 1968(昭和 43)年に返還された後、1979(昭和 54)年に「小笠原村」が発足しています。……1979(昭和 54)年までは「村」ですら無かったのですね(!)

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