2024年9月8日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1167) 「オムオロ川・オサップ川・留真」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

オムオロ川

o-mu-oro??
河口・塞がっている・その中
(?? = 記録未確認、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦幌常室にある「常室神社」の南を流れ、東から浦幌川に注ぐ支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれておらず、また『北海道実測切図』(1895 頃) にも(川としては)見当たりません。

「オムオロ」をそのまま読み解けば o-mu-oro で「河口・塞がっている・その中」となるでしょうか。河口部は浦幌川の氾濫原なので、オムオロ川は河口が塞がれる、あるいは伏流する川だったのかもしれません。

オサップ川

o-sat-pe??
河口・乾いている・もの(川)
(?? = 記録未確認、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦幌常室の北、浦幌町円山に「丸山」という名前の四等三角点(標高 204.9 m)があります。オサップ川は「丸山」三角点の北東で浦幌川に注ぐ東支流です。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれておらず、また『北海道実測切図』(1895 頃) にも(川としては)見当たりません。

「オサップ」をそのまま読み解けば o-sat-pe で「河口・乾いている・もの(川)」となるでしょうか。河口部には浦幌川の氾濫原が広がっているようにも見えるので、オサップ川は河口が伏流して水の無い川だったのかもしれません。

あるいは o-sap で「河口・群れをなして山から浜へ出る」と考えることもできるでしょうか。オサップ川は途中で二手に分かれているので、それらが「まとめて海側に出てくる」という含意があるのかも……?

留真(るしん)

ru-e-san?
路・そこで・山から浜へ出る
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦幌町円山の北の地名で、同名の川が東から浦幌川に合流しています。その留真川沿いを遡ったところに「留真温泉」があり、道道 947 号「留真線」の起点となっています。

謎の「ルーシン」

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名・川名が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ルシン」という川(=留真川)が描かれていました。ただ松浦武四郎も「ルシン」を記録しなかったのではなく、戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ワツケツシ子プ
左りの方小川。其名義不解。またしばし行て
     シ子フチコロ
右のかた小川也。其名義不解。またしばし上りて
     ルーシン
右のかた小川。其名義不解也。またしばし上りて
     ヤーラ
左りの方相応の川也。其名義不解也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.367 より引用)
「右のかた小川」として「ルーシン」が記録されています。「ワツケツシ子プ」は「東西蝦夷──」の「ワツチツシ子フ」と考えられ、また「ヤーラ」は「東西蝦夷──」にも描かれていて、これは現在の「瀬多来川」のことだと推定されます。

「東西蝦夷──」には「ワツチツシ子フ」と「ヤーラ」の間の東支流として「ウエンシ?」が描かれていて、「ヤーラ」の北の東支流として「ヤムロウ」が描かれています。他にもややこしい点が出てきたので、遅まきながら表にしてみましょうか。

戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」東西蝦夷
山川地理取調図
北海道実測切図 (1895 頃) 地理院地図
トコムロ
(右のかた相応の川)
トコムロフトトコㇺオロ川常室
メシヒラ--オムオロ川?
エサンヌフ
(左りの方小川)
エサナンヌフエサンケヌプ円山(丸山)?
メナシチヒリ
(右のかた小川)
メナシチヒリ--
ルウナイ
(右のかた小川)
---
ワツケツシ子プ
(左りの方小川)
ワツチツシ子フ--
シ子フチコロ
(右のかた小川)
---
ルーシン
(右のかた小川)
ウエンシヘ?ルシン留真川
ヤーラ
(左りの方相応の川)
ヤーラセタライ瀬多来川

あれ? 表にするとそれほど「ややこしい」感じはしませんね。「東西蝦夷──」にて「ヤーラ」の北に描かれている「ヤムロウ」は「カバロウ」(=川流布川)の誤字の可能性もあるかもしれません。

「毛皮」?

『十勝地名解』(1914) には次のように記されていました。

ルシン
  「ルシン」とは、毛皮ということなり。
(井上寿「十勝アイヌ語地名解」十勝地方史研究所 p.77 より引用)
確かに rus には「毛皮」という意味があります。一方で次のような脚注もついていました。

 ル・オ・シン(路・そこから分れる・地) すなわち、道路がここから二つに分れるところという意味で、漢字で留真をあてた。
(井上寿「十勝アイヌ語地名解」十勝地方史研究所 p.77 より引用)
一見尤もな解ですが、「シン」にそんな意味があったかどうかは……。あ、ru-o-sir で「路・多くある・大地」と読めなくも無いですが、個人的には違和感が残ります。

「四方に通じる所」?

「ルシン」の地名解ですが、「浦幌村五十年沿革史」には次のように記されていました。

地名の起りはアイヌ語のルシンから起り、その意味は「四方に通じる處」だと謂われる。即ち同所から上浦幌に、瀬多來に、又留真澤を經て双運へも通じる處から付けられたものと認められる。
(浦幌村社会教育協会『浦幌村五十年沿革史』浦幌村役場 p.317 より引用)
あー、なんとなく見えてきたかもしれません。「四方に通じる所」というのは意味不明ですが、ru-e-san で「路・そこで・山から浜へ出る」だったのでは無いでしょうか。

「ルエサニ」は地名か川名か

ru-e-san-i という地名は道内各所で見られるもので、知里さんは逐語的に「路が・そこから・浜へ出て行く・所」と解していました。一方、山田秀三さんは「ルエサニ」をざっくりと「坂」と捉えていました。

松浦武四郎は「ルーシン」を川の名前として捉えていたと思われるのですが、何故か「東西蝦夷──」には「ウエンシヘ」と描いているようにも見えます(もっともこの「ウエンシヘ」は出所不明ではあるのですが)。

「ルエサニ」は川の名前よりも地名としての側面が強い(但し川名に流用されるケースもある)ので、松浦武四郎が意図的に「東西蝦夷──」には描かなかった……とかだったら面白いのですが、これは流石に考えすぎでしょうね。

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