2024年9月1日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1165) 「帯富・オップスナイ川・常室」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

帯富(おびとみ)

o-{pet-aw}-ne-p??
河口・{二股}・のような・もの(川)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浦幌の市街地の北を「オベトン川」が流れていて、川の北側が浦幌町帯富です。このオベトン川は、元々は浦幌の市街地の東側を北から南に流れていたらしく、現在も「旧オベトン川」が流れています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲヘツトン子フ」という川が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) では「オペトン子ㇷ゚」という名前で描かれていました。ただ「実測切図」の「オペトン子ㇷ゚」は浦幌の市街地の南側、現在の「旧オベトン川」の東隣で浦幌川に注ぐ川として描かれています(=現在の「村中沢川」)。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Opetunnep   オペト゚ンネㇷ゚   二股川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.300 より引用)
戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ウベツトン子フ
右のかた小川。其名義不解也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.364 より引用)
また次のような頭注がついていました。

帯 富
o   そこに
pet  川が
un   並んで
ne   いる
p   所
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.364 より引用)
o-pet-un-ne-p で「そこに・川が・並んで・いる・所」だと言うのですが、un に「並んで」という意味があったかどうか、個人的にはちょっと疑問が残ります。

ちなみに「報十勝誌」でも「ウベツトン子フ」は現在の「千草川」に相当する「オㇱュマラペ」の下流側に記されていました。これは現在の「村中沢川」または「旧オベトン川」のいずれかに相当する……ということになります。

永田地名解の「オペト゚ンネㇷ゚ 二股川」という解はちょっと謎だったのですが、「村中沢川」と「旧オベトン川」が近い位置で浦幌川に合流していて、それがあたかも二つの川が枝分かれしているようだ……という話かもしれません。となると o-{pet-aw}-ne-p で「河口・{二股}・のような・もの(川)」と考えられそうですね。

pet-aw は「川・枝」と分解され、「枝川」や「二股」を意味します。川が二手に分岐する地点を指す地名として pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互い・に・捨て去る・所」がありますが(「ペテウコピ」)、pet-e-u-ko-hopi-i の代わりに pet-aw を使うケースも散見されます。

pet-aw はどちらかと言えば道南エリアで目にすることが多い印象があり、道東では pet-e-u-ko-hopi-i が多い印象もあるのですが、明確にエリアごとに表現が異なるということでも無い……ということでしょうか。「帯富」の場合も、実は pet-aw と同義で少し違った表現があり、それが正解なのかもしれません。

オップスナイ川

hup-us-nay?
トドマツ・多くある・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
JR 根室本線・浦幌駅の北隣に「常豊つねとよ信号場」があり、信号場の南を「アリヤス川」が流れています。

「常豊」については古い地図にそれらしき地名が確認できなかったので、和名と思われます。

地理院地図では「アリヤス川」が直接浦幌川に合流しているように見えますが、実際にはアリヤス川の南から流れてきた「オップスナイ川」と合流して、「オップスナイ川」として浦幌川に合流しています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲホンナイ」という川名が描かれていました。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Ohon nai   オホン ナイ   深川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.300 より引用)
oho-nay であれば「深い・川」ですが、地形を見た限りでは ohonkes-nay で「麓・川」だった可能性もあるかもしれません。

北海道実測切図』(1895 頃) では、何故か「ヲホンナイ」ではなく「フップㇱュナイ」と描かれていました。hup-us-nay で「トドマツ・多くある・川」と読めそうです。どうやら「フ」を「オ」と誤読して「オップスナイ川」になったと思しき感じですね。

常室(とこむろ)

tokom-oro
こぶ山・の所
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
オップスナイ川の 3 km ほど北のあたりの地名で、同名の川も流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では河口付近に「トコムロフト」とあり、「サツトコムロ」などの支流が存在するように描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には現在の「常室川」の位置に「トコムオロ川」と描かれていました。永田地名解 (1891) には何故か記載が見当たりませんが、戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     トコムロ
右のかた相応の川也。其名義は不解也。其左右小川多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.365 より引用)
頭注には tokom-oro で「こぶ山・の所」とありますが、同感です。常室簡易郵便局の南東(川の南)に山があり、常室川はこの山の北裾をやや迂回する形で流れていますが、この山を tokom と認識したのかな、と思わせます。

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