2024年8月31日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1164) 「浦幌」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

浦幌(うらほろ)

o-rap-oro?
河口・両翼・その中
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
町名で、同名の川が町内を北から南に流れています。JR 根室本線にも同名の駅があるので、まずは『北海道駅名の起源』(1973) を見ておきましょうか。

  浦 幌(うらほろ)
所在地 (十勝国)十勝郡浦幌町
開 駅 明治36年12月25日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「オラポロ」、すなわち「オラㇷ゚・オロ」(山シャクヤクの根のある所)から出たものである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.126 より引用)
orap は「ヤマシャクヤクの根」で、知里さんの『植物編』(1976) によると長万部幌別では horap芽室名寄では orap とあります(樺太では otakuruhomesu とも言われていたとのこと)。orap-oro で「ヤマシャクヤクの根・のところ」と解釈できそうでしょうか。

川芎せんきゅうの多いところ」説

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Oraporo   オラポロ   川芎多キ處 「オラプオロ」ノ急言、「オラプ」ハ川芎ナリ一説「ウララポロ」ニシテ大霧ノ義
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.299 より引用)
どうやら「駅名の起源」の解は永田地名解を追認したもののようですね。「ウララポロ」という別解も気になるところですが、若干こじつけっぽい印象もあります。

「不明」説(?)

戊午日誌 (1859-1863) 「報十勝誌」には次のように記されていました。

左りの方
     ウラホロブト
是ウラホロ川すじの川口也。当トカチ第六番目の支流。其名義は不解也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.361 より引用)
なんと意外なことに、松浦武四郎のインフォーマントは「ウラホロ」の意味を知らなかったとのこと。

「水源に笹が多い」説

ところが『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

 ヌタベト (右小川)過てウラポロプト〔浦幌太〕(當川第六支流、川幅八間、遲流)惣て蘆荻原にて深し。
  名義、源に笹多しとの儀。兩岸字小川多し。谷地多く、其源ヤーラ(右)、カハロウ(左)と別れ、ヲンベツと足寄の間に入る也(ウラホロプト〔浦幌太〕ハヲロアイノ申口)。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.292 より引用)
あれれ? ちゃんとインフォーマントの名前まで明記されていますね。

「雨が降ると魚が多く入る」説

更に『午手控』(1858) には次のように記されていました。

○ウラホロ 少し雨降候共水多く出るによって、魚多く入るが故に
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.124 より引用)
これは……? uray-poro で「梁・大きい」説(詳細は後述)の原型……でしょうか?

一旦まとめると

なんとも諸説紛紛ですが、『角川日本地名大辞典』(1987) には次のようにまとめられていました。

地名の由来には,アイヌ語のオラポロ(川草の多い所の意)・ウララポロ(大霧の意)による説(北海道蝦夷語地名解),ウライポロ(大なる網代の意)による説(北海道駅名の起源),ウラポロ(川の源に笹が多いの意)による説(東蝦夷日誌),オーラポロ(川尻に大型の葉の草の生育する所の意)による説(浦幌村五十年沿革史)などがある。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.200 より引用)
……。更に新説が出てきた上に、「駅名の起源」が「ウライポロ」説を唱えていたことになっていました(少なくとも 1954(昭和 29)年版と 1973(昭和 48)年版では「オラポロ」説だったのは前述の通りです)。

「川尻に大形の葉が生育する」説

正確を期すために、「浦幌村五十年沿革史」の記述も引用しておきます。

 浦幌とはオーラポロから起り、オーは川尻、ラは草の葉、ポロは大きいと云う意味で、川尻に大形の葉の草(蕗?)が澤山生育する處から、この名稱となつたものと云われる。
(浦幌村社会教育協会『浦幌村五十年沿革史』浦幌村役場 p.64 より引用)※ 原文ママ

「大きな漁具」説・再び

実は続きもあるようでして……

一説にはウライホロから起きたもので、その意味は大きい網代(竹又は木で編まれた河川魚具)のことであるとも謂われる。
(浦幌村社会教育協会『浦幌村五十年沿革史』浦幌村役場 p.64 より引用)
うーむ。山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) によると、「行政区画便覧」にも「大なる網代」とあるらしいのですが、ここでも uray-poro 説が出てくるんですね。

表にまとめると

折角なので表にまとめておきましょうか(開き直った)。川としての「浦幌川」と、「浦幌川河口」を意味する「ウラホロブト」が混ざっていますが、そのままにしています。

元となった
アイヌ語地名
由来
午手控 (1858)ウラホロ少し雨降候共水多く出るによって、
魚多く入るが故に
戊午日誌 (1859-1863)ウラホロブト其名義は不解也
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ウラホロフト※ 浦幌川河口部の地名
東蝦夷日誌 (1863-1867)ウラポロプト名義、源に笹多しとの儀
改正北海道全図 (1887)浦幌川※ 漢字表記が確立
永田地名解 (1891)オラポロ川芎多キ處
ウララポロ大霧
北海道実測切図 (1895 頃)オラポロ川※ 地名は「浦幌」
陸軍図 (1925 頃)浦幌川
浦幌村五十年沿革史 (1949)オーラポロ川尻に大型の葉の草の生育する所
ウライホロ大きい網代
北海道駅名の起源 (1973) (1950 以前?)ウライポロ大なる網代
北海道駅名の起源 (1973) (1954)オラプ・オロ山シャクヤクの根のある所

半ばヤケクソ気味に表にしてみたのですが、興味深い点が見えてきました。現在主流となっている「ヤマシャクヤクの根のあるところ」という解は『永田地名解』を受けて『北海道駅名の起源』が確立させたと見られるのですが、その間に刊行されている『浦幌村五十年沿革史』では無視されているのですね。

つまり、地元では「ヤマシャクヤクの多いところ」とは認識されていなった可能性が出てきます。これは「ヤマシャクヤク」説に対する重大な疑義となるのでは……と。

「河口が両翼の中」説

個人的な印象ですが、orap-oro で「ヤマシャクヤクの根・のところ」ではなく、また uray-poro で「漁具・大きい」というのもこじつけ感が強く感じられます。

既存の解を捨ててイチから考えてみたならば、u-rap-oro で「互いに・降りる・ところ」か、あるいは o-rap-oro で「河口・両翼・その中」あたりの可能性がありそうに思えます。

「互いに・降りる・ところ」は、浦幌川と西隣を流れる「下頃辺川」をそう表現したもので、「河口・翼・その中」は浦幌川の左右に「岬」状の山があることを表現したものです(支笏湖畔の「モラップ」に近いのではないかと)。

ぶっちゃけると u-rap-oro よりも o-rap-oro 推しなんですが、永田地名解以前の解が軒並み「ウ──」なのがちょっと引っかかるところです。

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