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左舷側(レストラン出口から見て右側)にも写真が並んでいます。
公益財団法人小笠原協会
レストラン出口から見て左側には「あこがれの小笠原 逢いたかった父の島、母の島」と題されたスライドらしきものが見えますが(見るからにパワポっぽいのは御愛嬌)、これは「公益財団法人小笠原協会」のパネルのようです。そう言えば竹芝客船ターミナルに事務所があったような……。写真が並んだスライドの隣には「ご挨拶」と題された文章が。「小笠原協会」の設立とその後の沿革が記されています。
「ご挨拶」の隣には「小笠原協会関連年表」が。創英角ポップ体で「太平洋戦争ぼっ発」という文字を見ることになるとは思わなかったですが……(汗)。
「関連年表」の隣には「賛助会員募集」のパネルがありました。「様々な特典」が気になるところですね。
アオウミガメの飼養場
「小笠原協会」関連のパネルだけではなく、古い写真も飾られていました。この写真は「アオウミガメの飼養場」とあります。「小笠原を代表する郷土料理はカメの煮込み」とのことで、実際にカメ料理を出している店もあるみたいです。ファミリールーム
4 デッキのレストラン「Chichi-jima」とエントランスの間には 2 等和室・エコノミーの部屋が 4 室あるのですが、うち 2 室は車椅子対応とのこと。「ファミリールーム」とありますが、この 413 号室は定員 20 名の大部屋のようです。車椅子対応の「ファミリールーム」の向かいには「多目的トイレ」がありました。
この「多目的トイレ」はトイレだけではなくシャワー室も備わっているとのこと。さすが「バリアフリー高度化船」ですね。
小笠原島民帰郷の陳情
413 号室のドアの横(レストラン出口から見て右側)にも、古い写真が飾られていました。この「南国のフルーツを持つ子供たち」と題された写真は、戦前に撮影されたものでしょうか……?続いて、ちょっと場違いにも思える写真が出てきましたが、これは「米国を訪れ小笠原島民帰郷の陳情」「羽田へ帰着した陳情団」とあります。小笠原諸島は 1945(昭和 20)年の敗戦から 1968(昭和 43)年に返還されるまでアメリカの施政権下にあったのですが、沖縄などとは異なり、居住が許可されたのは欧米系島民だけでした。
そのため、小笠原の日本への返還の前に「島民の帰郷」を陳情するところから始める必要があった……ということですね。小笠原諸島にとっては幸いなことに、軍事的な重要性が沖縄よりも低かったからか、沖縄返還に先立つこと 4 年の 1968(昭和 43)年 6 月 26 日に小笠原は日本に返還されます。
小笠原の「おがじろう」というちょいワル風のゆるキャラがいますが、「おがじろう」の誕生日は、小笠原が本土復帰を果たした 1968(昭和 43)年 6 月 26 日という設定だそうです。
こちらの写真には「新桟橋完成式」とあり、船には「祝二見桟橋完成」と出ています。「おがさわら丸」と「ははじま丸」が停泊する二見桟橋ですが、時折「にっぽん丸」などのクルーズ客船が接岸することもあります。太平洋フェリー「きそ」の船内にも「PORT OF FUTAMI」と書かれた盾?が飾られているのですが、「にっぽん丸」や「きそ」も接岸できる立派な桟橋です。
レストランでの観光レクチャーは 14:30 から
レストラン「Chichi-jima」の出口から続く通路を抜けて、「船内案内所」のある「エントランス」に戻ってきました。小笠原でのアクティビティに精通した「解説員」の方が 4 デッキの「観光情報コーナー」に常駐しているのは 13 時までで、14:30 からはレストラン「Chichi-jima」で解説員の方によるレクチャーが実施されるとのこと。観光客にとっては至れり尽くせりですね。
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