2024年7月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1154) 「直別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

直別(ちょくべつ)

chuk-pet?
秋・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路市(旧・音別町)西部の地名で、同名の川が十勝郡浦幌町との境界を流れています。かつては同名の駅も存在していましたが、2016 年時点で「極端にご利用の少ない駅」にリストアップされ、その後 2019 年にお隣の尺別駅とともに廃止されてしまい、現在は「直別信号場」となっています。

駅名の起源

まずは「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  直 別(ちょくべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 明治40年10月25日 (客)
起 源 アイヌ語の「チュク・ペッ」(秋の川)から出たもので、夏は水かれして流れがなくなったからである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.127 より引用)
どこかで聞いた話ですが、お隣の尺別駅の項には次のように記されていました。

  尺 別(しゃくべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 大正 9 年 4 月 1 日 (客)
起 源 アイヌ語の「サッ・ペッ」(かれた川)から出たもので、最初車扱貨物駅として開業したが、大正14年 2 月 1 日に一般貨物の取り扱いを開始し、昭和 5 年 4 月 1 日一般駅となった。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.127 より引用)
そっくりとまでは言わないものの、かなり似ていますね。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「チヨクヘツ」という名前の川が描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) では、川名は「チュㇰペッ」で、駅の近くに「直別」と描かれています。

夏枯れする「秋の川」説

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Chuk pet   チュㇰ ペッ   秋川 夏日水涸レ秋潦大ニ漲ル
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.297 より引用)
chuk-pet で「秋・川」ではないか……ということですね。どうやら「駅名の起源」の解は永田地名解を踏襲したみたいです。

アキアジを捕る「秋の川」説

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

チウクベツ       トカチ・シラヌカ境 川舟渡
  夷語チゥクベツとは、秋の川といふ事。扨、チゥクとは秋の事、ベツは川の事にて、年々秋中に至れは、最寄住居の夷人共此川邊江来りて小魚を得、夫食になす故、字になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.62 より引用)
これも chuk-pet で「秋・川」ですね。ただ「夏枯れする川」ではなく「秋に魚を捕る川」にニュアンスが変化しています。

そもそも「秋の川」というのは少々解せない感じもありますが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されていました。

chuk,-i ちゅㇰ 秋。地名の中では「チュきぺ」(chuk-ipe 秋のサケ)を意味することもあったらしい。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.22 より引用)
地名における chuk(秋)は chuk-ipe(秋の鮭)を意味していた……と考えたほうが良さそうですね。「秋の川」は「アキアジの川」だった……と見るべきでしょうか。

秋に水が涸れる「秋の川」説

細かい話ですが chuk-pet であれば「チュクペッ」であり、これは『北海道実測切図』の記録と一致しますが、「東西蝦夷──」の「チクヘツ」とはびみょうな違いがあります。ただ加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。

チヨクヘツ チヨク・ヘツ 秋・川
  此所秋に相成候得ば水干を(以て)斯名附由。(かくなづくるよし)
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.254 より引用)
この解は「チヨク」が chuk であるとしていて、「チュク」=「チョク」だと言っていることになりますね。

月のように大きな星が降ってきた「月の川」説

一方で、『東蝦夷日誌』(1863-1867) には他とは異なるユニークな解が記されていました。

チユクベツ〔直別〕の譯をクスリにて審みタタシば、本名チユフベツにて、昔川上え月の位の星が落し故なづくと。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.294 より引用)
川上に月のように大きな星が降ってきたので chup-pet で「月・川」だ……とのこと。ただこの説は「クスリ(釧路)にて審みば」とあるので、面白半分のホラ話を掴まされた可能性がありそうな感じでしょうか。

松浦武四郎は「東西蝦夷──」で「チヨクヘツ」と描きつつ、ここでは「チクベツ」としています。「チュク」と「チョク」はしばしば混同されていたと言えそうですね。

まとめ

今更ですが、表にまとめておきましょうか。

東蝦夷地名考 (1808)記載なし-
大日本沿海輿地図 (1821)記載なし-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)チウクベツ秋の川(魚を捕る)
クスリ地名解 (1832)チヨクヘツ秋・川(に水が干上がる)
初航蝦夷日誌 (1850)チユクベツ-
竹四郎廻浦日記 (1856)チユクベツ-
午手控 (1858)チョクヘツ-
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)チヨクヘツ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)チユクベツ月のような星が落ちたので
改正北海道全図 (1887)チユㇰヘツ川-
永田地名解 (1891)チュㇰ ペッ秋川(に水が涸れる)
北海道実測切図 (1895 頃)チュㇰペッ-

あれれ、「アキアジを捕る川」は上原熊次郎だけだったんですね。そして「チュク」と「チョク」はどちらも見られるので、これは大きな問題では無さそうです。正確な含意には異同もあるものの、chuk-pet で「秋・川」と見て良さそうに思えます。

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