2024年7月21日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1153) 「尺別・トンベツ川・シケレベ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

尺別(しゃくべつ)

sak-pet?
欠いた・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
音別川の西隣を流れる川の名前で、尺別川はかつて音別川と合流してから海に注いでいました。JR 根室本線にも同名の駅がありましたが、2016 年時点で「極端にご利用の少ない駅」として名前が上がった後に 2019 年に廃止され、現在は「尺別信号場」となっています。

「乾いた・川」説

「北海道駅名の起源」には次のように記されていました。

  尺 別(しゃくべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 大正 9 年 4 月 1 日 (客)
起 源 アイヌ語の「サッ・ペッ」(かれた川)から出たもので、最初車扱貨物駅として開業したが、大正14年 2 月 1 日に一般貨物の取り扱いを開始し、昭和 5 年 4 月 1 日一般駅となった。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.127 より引用)
sat-pet で「乾いた・川」ではないか、という説ですね。1954(昭和 29)年版も確認しましたが同様の記述でした。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Sat pet   サッ ペッ   涸川 ○尺別村○水少クシテ鮭鱒上ラズ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.320 より引用)
完全に一致していますね。「駅名の起源」は永田地名解の記述を元にしたものだったのでしょうか……?

「夏・川」説

『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

シヤクベツ〔尺別〕(晝所また止宿所にもなる、板くら、人足小や、土人二軒)名義は夏川也。或曰、夏に成哉、水乾く故號と。無別シヤリとも云、乾別サツテとも、夏別シヤリなり共云。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.295 より引用)
これも同じような内容に思えますが、よく見ると「夏川也」とあるので、これは sak-pet で「夏・川」ということになりますね。ただ「乾別」、つまり sat-pet で「乾いた・川」も異説として記されていて、また「無別」というのは sak-pet を「欠く・川」と解釈したのかもしれません。

なお余談ですが

此川風波の時は番屋前にて海に入り、晴天の時はヲンベツ〔音別〕と合て海に入る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.295 より引用)
どうやら松浦武四郎が旅した頃は、平常時は音別川と合流していて、海が荒れたときは(尺別川が)直接海に注いでいたみたいですね。

『三航蝦夷日誌』(1850) には次のように記されていました。

シヤクベツ。訳而夏川と云り。シヤクは夏也。ベツは川なり。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註『三航蝦夷日誌 上巻』吉川弘文館 p.362 より引用)
やはり sak-pet で「夏・川」ではないかとのこと。

ハイブリッド説

ただ加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。

シヤクヘツ シャク・ヘツ 干・川
  此所に相応之川有。度々水干候故斯名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.254 より引用)
こちらは sak-pet を「乾いた・川」としていますが、sak は「夏」か、あるいは「……を欠いた」を意味します。「干上がった川」、つまり「乾いた・川」であれば sat-pet とすべきですが、「シャク」とある以上は sat だった可能性は低そうにも思えます。

河口が干上がった川を o-put-sak-nay(河口・口・欠いた・川)と呼ぶ場合がありますが、それと似た感じで何か(水か魚か河口か)を「欠いた・川」として sak-pet と呼んでいたものを、よりストレートな表現である「乾いた・川」を意味する sat-pet に由来すると考えた……あたりかもしれません。

北海道実測切図』(1895 頃) では「サッペッ」と描かれていました。この時点では既に加賀伝蔵が記録した「シャク」の音が「サッ」に変化していた、とも言えそうですね。

まぁ、夏枯れで水も魚もいなくなる川だとすれば、sak-pet であれ sat-pet であれ大差ないという話もありますが……。

トンベツ川

to-un-pe
沼・そこに入る・もの(川)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
現在の尺別川は、河口付近で大きな S 字カーブを描いていますが、「トンベツ川」は S 字の南西端あたりで尺別川に合流しています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トンベ」という名前の川が描かれていました。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Tō un pe   トー ウン ペ   沼ノ川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.320 より引用)
この記述は「トウンペ川」の項でも「疑問あり」としつつ引用しましたが、やはり「トンベツ川」を指していたと見るべきでしょうね。陸軍図を見ると、尺別川の南西には湿原が広がっていて、「トンベツ川」はその湿原に入る川と認識されていた……と見られます。to-un-pe で「沼・そこに入る・もの(川)」と見て良さそうでしょうね。

シケレベ川

sikerpe
キハダの実
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 38 号から、尺別川に並走する道道 361 号「尺別尺別停車場線」を 5.4 km ほど遡ったあたりで尺別川に合流する支流です。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シユケレベ」という名前の川が描かれています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シケレペッ」と描かれていました。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 シケレベ川 尺別川の左支流。からふときはだ(シコロ)川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.699 より引用)
確か「キハダ」は鎮痛剤として用いた……という記憶があったのですが、「コタン生物記」には次のように記されていました。

コタンの人々もこの木の実を蛔虫予防や風邪、喘息の薬にしたし、真皮のところは乾燥して粉末にしておき、咽喉の病気や胃病、それから打身や腫物などの湿布薬として用いた。
更科源蔵コタン生物記 I 樹木・雑草篇』青土社 p.121 より引用)
ふむ、思っていた以上に幅広く用いられていたのですね。sikerpe は正確には「キハダの実」で、本来は sikerpe-un-pe などの地名(川名)だったものが、sikerpe だけが川名として残ったということのようです。

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