2024年7月15日月曜日

「日本奥地紀行」を読む (165) 碇ヶ関(平川市) (1878/8/1(木))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十八信(続き)」(初版では「第三十三信(続き)」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

カルタ

県境を強行突破してなんとか碇ヶ関(青森県平川市)に辿り着いたイザベラですが、またしても大雨によって足止めを喰らってしまいました。暇を持て余したイザベラは碇ヶ関の子どもの「観察」に勤しんだようで……

 この宿屋には十二人の子どもがいる。暗くなると、彼らはきまってある遊戯をする。伊藤は「これは、日本では、冬になるとどの家庭でもやる遊びだ」という。それは「いろはがるた」の遊びである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
あー、なるほど。そう言われてみれば「かるた」は「冬の遊び」だったかもしれませんね。ただ面白いことに、原文を確かめてみたところ、「いろはがるた」という表記はこの段落では出てこないようです(次の段落で明示されているのですが)。

子どもたちは輪を作って坐り、大人たちはそれを熱心に見ている。子ども崇拝は米国よりも日本の場合がもっと一般的である。私が思うには、日本の形式が最もよい。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
いきなり「子ども崇拝」という謎なキーワードが出てきましたが、原文にも突然 child-worship という単語が現れているので、誤訳では無さそうな感じなんですよね。

「いろはがるた」の詳細については、日本奥地紀行の「普及版」ではバッサリとカットされています……あ、高梨さんが原文に無い「それは『いろはがるた』の遊びである」という文章を付け加えたのは、「普及版」でカットされていたことが原因っぽいですね。

 この「いろはがるた」というゲーム、つまり「アルファベット・カード」は一枚一枚に、一つのことわざが書かれた小さい札を使って遊びます。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.117 より引用)
「い 犬も歩けば棒に当たる」みたいなヤツですよね(「いろはがるた」で遊んだ記憶が無いものですから、頓珍漢なことを言っていたらすいません)。

読み手は、手に持った 1 枚の読み札に書かれた諺を読み上げます。取り手は読み上げられた諺に一致する絵札を声をあげて取ります。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.117 より引用)
このあたりは「百人一首」と似たような感じですよね(札が「絵札」であるという大きな違いがありますが)。

自分の持ち札が最初になくなった者が勝ちで、最後の 1 枚を持っているものが負けということになります。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.117 より引用)
この説明が少々謎なのですが、これは「ババ抜き」のルールのような気も……。

おしまいに負けた子どもは、それは小さな女の子だったのですが、一握りの藁を髪に挿されました。もし男の子だったら、顔に墨で決まった印を付ける罰が与えられます。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.117 より引用)
顔に墨で落書きすると言えば、現在だと「羽根突き」を思い起こさせますが、かるた遊びの罰としても存在していたのですね。

伝染した笑い

「いろはがるた」に登場することわざも、イザベラは伊藤の通訳であらましを理解することができたようです。

それから伊藤は、たくさんの諺を簡単に訳してくれました。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.117 より引用)
ただ、伊藤の訳にも珍妙な部分があり、また英語のことわざに通じる内容のものもあり、その可笑しさにイザベラは笑いを堪えられなくなったとのこと。イザベラの大笑いは周りの子どもや大人に「伝染」し、ついには皆で笑い転げる羽目になったのだとか。

一般的な諺

イザベラは、母国イギリスと日本のことわざの間に少なからぬ普遍性を見出したようです。

 伊藤は、それ以来、私が送るための最善のことわざ、あるいは、彼が最善と考える諺の良い翻訳を書いてくれました。日本においても、英国で我々の祖先がまだイレズミを入れて動物の皮を着ていた頃、既に同じ考えが、明らかに同じと分かる形にまとまったのを見出すのは不思議ではないでしょうか。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.118 より引用)
イザベラは「うわさをすれば影がさす」「人を呪わば穴二つ」「猫に小判」などを例示した上で、次のように評価していました。

 これらの 2、3 の例は、言っていることは賢いのですが、あまり上品なことわざ言い回しとはいえません。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.118 より引用)
一方で、イザベラは次のようなことわざを高く評価していました。

伊藤は諺の本を持ってきていてその中からたくさん訳出しています。その内の最もうまく出来ていると思われるものには次のようなものがあります。
 「正法に奇特(不思議)無し」「愛は赤いペチコート(腰巻)と共に飛んで行く」(未婚の女子だけがこの気のいた衣装を着ています)。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.118 より引用)
更には、次のような格言も紹介していました。最近では滅多に耳にしないものも含まれますが、「慇懃無礼」や「紺屋の白袴」など、今でも普通に使われるものも少なくありません。

「口数多いが意味が少ない[巧言令色少なし仁]」「説教は聞き手にあわせろ」「礼儀正しすぎるのは無礼[慇懃無礼]」「医者の不養生、紺屋の白袴」「地獄の沙汰も金次第」「陰陽師の身の上知らず」「薔薇には棘がある」「七度訊ねて人を疑え、七度計って一度裁て」「古きをたずねて新しきを知る(温故知新)」
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.118 より引用)
また、日本の格言の中には「女性蔑視」が見られるとして、二つの例を挙げています。

あなたもお気づきのように、これらのうちには大変良い教えを含むものもあり、また非常に俗っぽいものもあります。もっと多くの、女性不信と女性蔑視が示されている英訳された諺がありますが、ここではほんの二つだけ挙げておきましょう。「賢い妻はめったに夫の敷居をまたがない」や「子無き妻は神の思し召し」といったものです。
(高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』中央公論事業出版 p.119 より引用)

個人的な窮乏

日本奥地紀行』の「普及版」でカットされた内容はここまでで、続く「個人的な窮乏」は「普及版」でもそのまま残されています。

 以上のような遊戯の談義から個人的な窮乏の話に移るのは、いささか話が落ちてくる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
確かにもの凄い変化球ですが……。

しかしこの旅行で何日も足どめをされた結果、私の少量の外国食品の貯えも尽きはてた。私は今では米飯、きゅうり、塩鮭を食べて暮らしている。塩鮭はとても塩辛くて、水を二度もかえて煮ても、ひどく喉がかわいてきて困ってしまう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
あー。塩鮭はご飯が進みますが、あまりに塩っ辛いとキツいですよね。当時の塩鮭は長期保存を考慮して、今よりも塩っ気が多かった、とかでしょうか。

今日はそれさえもない。しばらく海岸との交通もとだえて、村には塩魚が完全になくなってしまうという惨状となったからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
むむっ、塩鮭まで枯渇しちゃいましたか……。

ある日私はオムレツを食べたが、それは黴臭い革によく似ていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
もはや食べ物では無いものに似てしまいましたか……(汗)。

東京でイタリア公使が私に言った。「日本では食物の話ほどまじめな話はない」と。他の多くの人たちもそれと同じようなことを言ったが、私はそのとき、なんとつまらぬ気持ちをもつものだろう、と思ったのであった。今日私はその言葉が真理であることを悟った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
流石はイタリア公使……! そしてイザベラもついに悟りを開いてしまったようです。

私は最後の残り物、ブランドの肉入り糖菓の一箱を開けてみたところが、黴の塊となっていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315 より引用)
ただでさえ高温多湿の土地ですし、しかもこれだけ雨に降られたのでは、たとえ保存食であっても無事でいられるかは怪しいものですよね。

私は蓑を買ったが、この方が油紙よりも雨合羽として信頼がおける。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.315-316 より引用)
蓑を身につけたイザベラのイラストは、平凡社から出ている『日本奥地紀行』の表紙に描かれているものですが、碇ヶ関で購入したものだったのですね。

子どもたちが学課のおさらいをする声を聞くのもこれが最後である。川の水量は急速に減りつつあり、朝には出発することになっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.316 より引用)
おっ、ついに移動を再開するのですね!

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿