2024年6月29日土曜日

お知らせ(2024/06/29)

諸般の事情により、記事の更新を停止します。
何事もなければ、そのうち戻って来られると思います。

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2024年6月28日金曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(クイズラリー編②)

クイズラリーの「第 3 問」を探しに、5 甲板左舷後方にあるレストランに向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

第 3 問!

レストランの入口前にやってきました。右側の壁に何やらちょこんと貼ってありますが……

2024年6月27日木曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(クイズラリー編①)

朝食を終えて部屋に戻ってきたところですが、9:30 から恒例の「クイズラリー」が行われるとのこと。そろそろ問題も貼り出されている頃なので、問題のチェックも兼ねて船内をウロウロしてみましょう。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

コンファレンスルーム

6 甲板の通路と吹き抜けのホールの間には自動ドアがあります。遮音性を考慮して……ということなんでしょうね。

2024年6月26日水曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(朝食編)

乗船時に案内所(ホテルの「フロント」に相当)でルームキーを受け取る際に、フロントで食事の時間が記されたチケットを受け取っていました。朝食の時間になったので、チケット片手に 5 甲板のグリル「霞」に向かいます。
「あかしあ」には、食事を提供する場所がカフェ「Arc-en-ciel」とレストラン「Vent Vert」、そしてグリル「霞」の 3 つあります。偶にレストランとグリルを間違える人がいるので注意しましょう。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

5 甲板の右舷にあるグリル「霞」にやってきました。

2024年6月25日火曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(朝からウロウロ編)

洋上で新しい朝を迎えました。敦賀到着まであと 12 時間ほどですが、とことん船旅を楽しみましょう……!
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「スイート」と「デラックス A」の各室にはプライベートデッキが用意されています。残念ながらデッキチェアなどは用意されていませんが……。

2024年6月24日月曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(ヤスダヨーグルト編)

舞鶴行き「あかしあ」の出航は 23:30 ですが、0:00 の消灯までショップ(売店)が営業しているとのこと。このビッグウェイブには乗るしかない!ということで……
部屋を出て、4 甲板のショップ(売店)に向かいます。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

大型フェリーでは定番ですが、「あかしあ」も船体中央部が吹き抜け構造になっていて、中央に階段があります。ただ、これでも他社のフェリーと比べると大人しく見えてしまうのですから、慣れとは怖いものですね……。

2024年6月23日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1149) 「チャンベツ・藻治安山・ポンリニナイ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チャンベツ

ya-wa-an-pet?
陸のほう・に・ある・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
音別川の支流としては「ムリ川」と並ぶ規模の「チャンベツ川」が、音別川に西から合流するあたりの地名です。現在は「釧路市音別町チャンベツ」ですが、かつては「茶安別」という表記もあったとのこと。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれていません(!)が、『午手控』(1858) には「チヤンベツ 左小川」と記されていました(p.317)。なお『午手控』の頭注には「知安別」とありますが、これは標茶町と厚岸町の境界を流れる「チャンベツ川」と混同した可能性もあるかもしれません(要精査)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「チャンペッ」と描かれています。また『角川日本地名大辞典』(1987) には次のように記されていました。

 ちゃんべつ チャンペツ <音別町>
(近代〕昭和34年~現在の音別町の行政字名。もとは音別村の一部。地名の由来は,アイヌ語のチャンベツ(内陸にある川)による。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.874 より引用)
うーむ。標茶と厚岸の間を流れる「チャンベツ川」と同じく ya-wa-an-pet で「陸のほう・に・ある・川」ではないか、とのこと。「ヤワアン」が「チャン」に化けるというのは飛躍があるようにも感じられるのですが、yacha に化ける癖のようなものがあったのでしょうか……。

『角川──』には出典が明記されていないのも気になるところですが、現時点では他に目ぼしい仮説も見当たらないので、やはり「陸のほうにある川」と見るしか無さそうな感じでしょうか……。

弱い川?

釧路地方のアイヌ語語彙集』に、次のような記述を見かけました。

can 〈四宅〉 Chan 弱イ,低イ[J.B.]
(釧路アイヌ語の会・編『釧路地方のアイヌ語語彙集』藤田印刷エクセレントブックス p.14 より引用)
これはジョン・バチェラーの辞書の内容を引いていると思われるのですが、『蝦和英三對辭書』(1889) には該当しそうな記述を見つけることができませんでした(見落としがあるかもですが)。

chan が「弱い」を意味したらしい……ということになるのですが、チャンベツ川の流路を遡ると、浦幌町との境界の分水嶺に沿う形でぐるっと向きを変えていることに気づきます。分水嶺に向かわずに日和って逃げた「弱い川」だったりしたら面白いなぁ……と思ったりしました。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

藻治安山(もちやんやま)

mo-{ya-wa-an-pet}
小さな・{チャンベツ川}
(記録あり、類型あり)

2024年6月22日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1148) 「ヤタノ沢川・アベアキ沢川・シベツ沢川・コイカタムリ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヤタノ沢川

e-atat-us-i??
頭(水源)・三枚におろして乾かした鮭・ついている・もの(川)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路音別町ムリのあたりで北からムリ川に合流する支流です。和名のようにも思えますが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤタトシ」と描かれています。

「実測切図」の「ヤタトシ」という記録を踏まえて『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) を見てみたところ、該当しそうな位置に「エーアタチウシ」と描かれていました。また『午手控』(1858) にも「ムリ川すじ」として「ヱーアタチウシ 右へ行よし」と記録されていました(p.318)。

「エーアタチウシ」をどう解釈するかですが、e-atat-us-i で「頭(水源)・三枚におろして乾かした鮭・ついている・もの(川)」とかでしょうか……。いや、無茶は承知の上なんですが、こういう解釈しか出てこなくて……。

もちろん源流部で鮭を三枚におろしたということではなく、何らかの比喩だと思われるのですが、川を背骨に見立てて(白糠の「戻辺川」みたいに)両側の山地を身に見立てた、あたりでしょうか……? 清里町の「アタックチャ川」についても再検討すべきかもしれません。

アベアキ沢川

ape-yaki?
火・セミ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2024年6月21日金曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(お部屋編 その2)

リビングの 3 人掛ソファーに腰掛けると……
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液晶テレビを見ることができます。「あかしあ」のスイートルームに設置されている液晶ディスプレイはこの 1 台のみで、寝室からテレビを見ることはできません(そもそも寝室にテレビは不要と言えばそれまでですが)。

2024年6月20日木曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(お部屋編 その1)

スイートルーム「くちきり」の中に入ります。入口の正面にはすりガラスの衝立があり、通路から室内の様子が見えないようになっています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ベッドルーム

衝立から左(船首方向)がベッドルームです。幅広のベッドが 2 台置かれたツインの構成です。ベッドルームは窓から離れたところにあるため、直射日光が差し込むことは殆どありません。

2024年6月19日水曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(キー受け取り編)

車輌甲板に車を停めたら、まずは「客室入口」を探すところからです。前方右側に「客室入口」の看板が見えていますね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

船尾側から船首方向を眺めるとこんな感じで、全力で「客室入口」をアピールしています。どうせだったら電飾を光らせるとかどうでしょう(ぉぃ)。

2024年6月18日火曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(車輌甲板編)

小樽港フェリーターミナルの 1F には、右から「ニューあかしあ」「はまなす」「フェリーあざれあ」の模型が置かれているのですが(よく見ると台座?の形がバラバラで面白いですね)……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ちょっと外れたところに、新造船(当時)の「らべんだあ」の模型も置かれていました。

2024年6月17日月曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "くちきり" 乗船記(小樽港 FT 編)

札樽道の小樽 IC を抜けて、そのまま道道 17 号「小樽港線」に入りました。勝納かつない町の交叉点を右折して……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

小樽港フェリーターミナルの航送車待機場に到着しました。

2024年6月16日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1147) 「ルシケウシ沢川・オサッペ沢川・ムリ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ルシケウシ沢川

ruska-us-i?
怒る・いつもする・もの(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
釧路音別町中音別、トウンペ川の少し北で音別川に合流する東支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ルシケウシ」と描かれていますが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) では該当しそうな川が見当たりません。

このあたりは『東西蝦夷山川地理取調図』と『北海道実測切図』で異同が目立つので、ちょっと表にまとめてみましょう。

東西蝦夷山川地理取調図 (1859) 北海道実測切図 (1895 頃) 地理院地図位置
ワタヽイベアタタイペアカタノンペ川音別川の西
-オコタノンペオコタヌンペ川音別川の西
-オプカルペ-音別川の西
ヲフシヲマナイ--音別川の東
カラニホク--音別川の東
ルチヤラ--音別川の東
チトカンヌシシトカニウシ-音別川の東
ヲヒラチミヲピラ?-音別川の西
ヲフンカルシペ--音別川の西
-クッチャロトウンペ川音別川の西
-ルシケウシルシケウシ沢川音別川の東
タツタラ--音別川の西
ヘンケタツタラ--音別川の西
ヲシヤヲ?オーサペッオサッペ沢川音別川の東

表を見る限り「ルシケウシ」に相当する川は「東西蝦夷──」には見当たりませんが、下流側に「ルチヤラ」という川が描かれているのが気になるところです。「ルチヤラ」は ru-char で「道・入口」あたりかなと思わせますが、正確な位置が不明なので何とも言えません。

「ルシケウシ」を素直に読み解くと ruska-us-i で「怒る・いつもする・もの(川)」となるでしょうか。むかわ町の「入鹿別」と似た感じで、「ふてくされて流路が捻じ曲がった川」だったのかもしれません。

あるいはもっと単純に rutke-us-i で「崩れる・いつもする・もの(川)」で、崖崩れの多い川という可能性もあるかもしれません。

オサッペ沢川

o-sat-pe?
河口・乾いている・もの(川)
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)

2024年6月15日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1146) 「アカタノンペ川・オコタヌンペ川・トウンペ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アカタノンペ川

wakka-ta-i-pet??
水・汲む・所・川
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
音別川の西支流で、音別の市街地の西側で音別川に注いでいます。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ワタヽイベ」と描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「アタタイペ」と描かれています。

「アタタイペ」が「アカタノンペ」に化けるのは少々謎ですが、北隣に「オコタノンペ」(=オコタヌンペ川)があり、それに引きずられた可能性がありそうです。

「ワタタ」あるいは「アタタ」は wakka-ta で「水・汲む」と解釈できるかもしれませんが、それに続く「イペ」が今ひとつ釈然としません。wakka-ta-i-pet で「水・汲む・所・川」と考えられなくは無いかもしれませんが……。

あるいは at-tay-pet で「もう一方の・林・川」と考えることもできるかもしれません(atar の音韻変化)。at を「オヒョウニレ」をも意味しますが、at-tay で「オヒョウニレ・林」という用例を見た記憶が無いので、「オヒョウニレの林の川」という解釈は成り立たないかもしれません。

「アカタノンペ川」とその支流である「ポンアカタノンペ川」の間に「神古丹かみこたん」という四等三角点があるので、ar-kotan-un-pe で「もう一方の・集落・ある・もの(川)」とも考えられるのかもしれませんが、「ワタタイベ」や「アタタイペ」との違いがちょっと無視できないかなぁ、と……。

オコタヌンペ川

o-kotan-un-pe
河口・集落・ある・もの(川)
(記録あり、類型あり)

2024年6月14日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (208) 「みよしの!」

ついに札幌市内に入りました。上野幌駅のすぐ近くで千歳線の下を通過します。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

千歳線の下を通り過ぎると、またしても左右に林が見えてきました。この林も「野幌原始林」に繋がるもののようです(道路などで分断されていますが)。

2024年6月13日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (207) 「クレーン車と鯉のぼり」

北広島市に入りました。もうすぐ 18 時半ですが、間もなく日没を迎えそうです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

国道 274 号は道道 3 号「札幌夕張線」と合流したところから片側 2 車線になりました。札幌の都市圏に入ったっぽいですね。

2024年6月12日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (206) 「夕陽とトンガリ屋根」

千歳市に入りました。747 っぽいジェット機のカントリーサインです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。

ロープウェイ?(違)

1.1 km ほど国道 274 号を走ると……

2024年6月11日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (205) 「由仁市街 →」

当て字が傑作な「草木舞沢川」を渡って栗山町に入りました。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。

「雨霧橋」で夕張川を渡ります。「川端ダムのダム湖」と言ったほうが正確かもしれません。

2024年6月10日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (204) 「いもむし」

国道 452 号との交点にやってきました。国道 452 号はここが起点とのこと。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

右折して夕張に向かう手もあったのですが、このまま国道 274 号で札幌に向かうことにしました。

2024年6月9日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1145) 「音別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

音別(おんべつ)

o-mu-pet?
河口・塞がる・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町の西隣の町の名前で、同名の駅もあります。かつての白糠郡音別町ですが、2005 年に釧路市と合併して巨大な飛び地となりました。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ムヘツ」と描かれているようにも見えますが、これはおそらく「ムヘツ」だと思われます。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オンペッ」と描かれています。

川口がふさがる川

「北海道駅名の起源」には次のように記されていました。

  音 別(おんべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 明治36年 3 月 1 日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「オ・ム・ペッ」(川口がふさがる川) から出たもので、音別川の川口がよくふさがるためである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.128 より引用)
o-mu-pet で「河口・塞がる・川」ではないかという説ですね。

腐る川、発酵させる川

一方で永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

On pet   オン ペッ   腐川 此川ヘ上リタル魚ハ直ニ老ルト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.320 より引用)
『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

ヲンベツ〔音別〕(川幅十餘間、深し、夷家有、船渡し)名義、ヲンは木の皮を水に浸し腐らす也。是楡皮を浸せしが故に號く(地名解)。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.296 より引用)
おっ、これも「腐らせる」説ですね。on にそんな意味があったかなーと思ったのですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) に次のように記されていました。

on おン 《完》鮮度が落ちる; なれてくたくたになる。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.76 より引用)
確かに on は「腐らせる」という意味があるように見えますが、(アットゥシをつくるために)楡の樹皮を水に漬けるのは wor あるいは hor などを使うことが多いですし、「腐らせる」というのはちょっとニュアンスが異なるようにも思えます。

ただ、『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) では on は「発酵する」とされていて、例文は「樹皮をうるかす」ものでしたので、『東蝦夷日誌』の「ヲンは木の皮を水に浸し腐らす也」という解釈は適切なものだったと言えそうです。

鹿の毛が抜ける川

『東蝦夷日誌』には続きもありまして……

又昔川に鹿が多く住しが、其鹿も川に入て、水迄皮毛の如く成しより號る共云。ヲンは毛の抜けるを云(メンカクシ申口)。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.296 より引用)
「ヲンは毛の抜けるを云」とありますが、これはちょっと裏付けが取れませんでした。

秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』(1808) や上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には、不思議なことに「シヤクベツ」(=尺別)の記録があるものの、音別に相当する地名の記録がありません(シヤクベツに番屋があったことも関係あるかもしれません)。ただ幸いなことに加賀伝蔵の『クスリ地名解』(1832) に言及がありました。

ヲンヘツ ヲン・ヘツ 皮類/毛ぬけ 流・川
  此川上昔鹿沢山にて友喰いたし、川中へくされ流し候故名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.254 より引用)
これは東蝦夷日誌の「鹿の毛が抜ける」と同じ説ですね。もっとも細かな点では違いも見られますが……。

「腐る川」説の否定

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

オンペッとは腐川の意味で、この川にのぼった魚は直に老魚になるという、などと解く人もある。オムはものを醸酵させることだから、こんな解釈をしたのであろうが、本来はオ・ム・ペッで便秘する川、即ち川口のふさがる川のことである。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.242 より引用)
「便秘する川」とはなかなか洒落が利いていますが、確かに「河口」は「尻」なのでその通りなんですよね。

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

 オン(on)は腐ると訳すべきではないらしい。ねとねとになるとでも訳すべきか。例えばおひょう楡の皮から繊維を採る時に,その内皮を温泉などに浸してうるかせ,ねとねとな姿になるのをいう。そうすることをオンカ(on-ka オン・させる)という。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.283 より引用)
やはり「腐る」と取るべきでは無いということですね。更に続きがありまして……

土地の神野一郎氏に聞くと,この川は海がしけると,砂で川口が塞がるのだといわれる。諸地に多いオムペッ(o-mu-pet 川尻が・塞がる・川)の一つらしく見える。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.284 より引用)

「駅名の起源」の新説に至るまでの背景

ここまでの諸説を時系列に並べてみると、ちょっと面白いことに気付かされます。

クスリ地名解 (1832)ヲンヘツ皮類/毛ぬけ 流・川
初航蝦夷日誌 (1850)ヲンベツ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ヲンヘツ-
午手控 (1858)ヲンベツ-
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヲムヘツ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ヲンベツ楡皮を浸す、鹿の毛が抜ける
永田地名解 (1891)オン ペッ腐川 川に上がる魚はすぐ老いる
北海道駅名の起源 (1950)オ・ム・ペッ川口・塞がる・川
北海道の川の名 (1971)-楡皮・うるかす・川/川尻・塞がる・川
アイヌ語地名解 (1982)オ・ム・ペッ川口の塞がる川
北海道の地名 (1994)オムペッ川尻が・塞がる・川

永田地名解までと、「北海道駅名の起源」の後で解がコロっと変わっていることがわかります。山田秀三さんは『北海道の川の名』(1971) にて、このことについて次のような考察を記していました。

 ここは元祿郷帳の昔からオンベツであった。on(腐る、鮮度が落る、なれてくたくたになる)では解しにくかったので、いろいろな説話が生まれたのであろう。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.114 より引用)
このように記した上で、次のようにまとめていました。

松浦四郎の at(おひょう楡の皮)をうるかしてくたくたにする川説と、最後の川尻塞る川説の二つにひかれる。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.114 より引用)※ 原文ママ
この時点では慎重な山田さんらしく「両論併記」でしたが、「北海道駅名の起源」が「川口・塞がる・川」という説を出してきたことについては……

これは松浦図でヲムペツと書いたこととも合わせ考えられる。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.284 より引用)※ 原文ママ
あっ、言われてみれば……。「加賀家文書」の頃から軒並み「ヲヘツ」だった中で、『東西蝦夷山川地理取調図』だけが唯一「ヲヘツ」でしたね。「東西蝦夷──」は他の資料と比べると信頼性の面で若干劣るという評価もありますが、それでも「ヲムヘツ」という記録が一つでも存在するというのは大きいです。

音別川はどんな川だったか

「河口が塞がる川」の傍証探しではありませんが、「陸軍図」では「音別川」と「尺別川」が河口で繋がっていて(!)、河口の流れは(音別川の流れと比べると)かなり細く描かれていました。また『竹四郎廻浦日記』にも次のように記されていました。

此辺の川何れも風浪有る時は川尻さまざまと切口変ずるが故に甚危し。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.458-459 より引用)
当時から「河口の位置がコロコロ変わる川」と見られていた……ということになりますね。これらの記録を総合すると、やはり o-mu-pet で「河口・塞がる・川」と見て良いのかな、と思わせます。

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2024年6月8日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1144) 「チノミ川・風連別川・ユオタビフウレンベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チノミ川

chi-nomi
我ら・祀る
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
馬主来沼と音別の市街地の中間あたりで直接海に注ぐ川です。川の左右には「釧路音別太陽光発電所」が広がっています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「チノミ」と描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) でも同じく「チノミ」と描かれています。永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Chi nomi   チ ノミ   祭場
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.321 より引用)
これは chi-nomi-sirchi-nomi で「われら・祀る」と解釈できるのですが、ところが『東蝦夷日誌』(1863-1867) では妙なことになっていました。

(一丁五十間)チノミ(小川)、イノミの誤り、上は平山にて、大岩處々に突出したり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.297 より引用)
「チノミ」は「イノミ」の誤りだとしているのですが、『竹四郎廻浦日記』(1856) では「チノミ」となっているので、どこから「イノミ」という地名が出てきたのか……。

ただ、更に時代を遡った加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。

チノミ チノミ 神(祈)
  此所古来より夷人ヱナヲ立有を名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.255 より引用)
これを見る限り、(多数決ではありませんが)やはり chi-nomi で「我ら・祀る」と解釈していいのではと思わせます。祈りを捧げる場所の近くを流れる川だったのでしょうね。

風連別川(ふうれんべつ──)

hure-pet
赤い・川
(記録あり、類型多数)

2024年6月7日金曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (203) 「ダメだこりゃ」

夕張市に入りました。2 時間ほどで十勝総合振興局(上川郡新得町)→上川総合振興局(空知郡南富良野町)→胆振総合振興局(勇払郡むかわ町)→空知総合振興局(夕張市)と移動してきたことになりますね。「この先 300 m トンネル」とありますが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

おおお、これはもしかして卵型断面のトンネルでしょうか。このあたりは夕張から穂別に向かうルートなので、「石勝樹海ロード」が開通するよりずっと前から存在していたトンネルなんでしょうね。

2024年6月6日木曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (202) 「穂別ダム神社」

国道 274 号の「稲里トンネル」を抜けました。
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道東道の「むかわ穂別 IC」まで 4 km の案内がありました。道東道は JR 石勝線の近くを通っているので、国道 274 号とは若干離れているのですが、「むかわ穂別 IC」のあたりでは両者が歩み寄ったように(比較的)近い位置を通っています。

2024年6月5日水曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (201) 「3.3 km 先のカントリーサイン」

「穂高トンネル」を抜けて勇払郡むかわ町に入りました。
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トンネルを抜けるといきなり「福穂橋」で……

2024年6月4日火曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (200) 「道道 610 号の新ルート」

道道 136 号「夕張新得線」の「赤岩トンネル」を南に向かいます。
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トンネルを抜けてそのまま南に進んで、道道 610 号「占冠穂別線」の支線に入ります。「カーブ注意 事故多発」という警告が見えますが……

2024年6月3日月曜日

春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (199) 「占冠村物産館」

占冠駅前にある「占冠村物産館」にやってきました。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

中に入ると……おやっ?

2024年6月2日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1143) 「馬主来・ウライニカル川・パケレップ川・ペンパナ川・ペンパケ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

馬主来(ぱしくる、ぱしゅくる)

paskunto?
イガイ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町と釧路市(旧・音別町)の境界に位置する沼の名前で、沼の上流は同名の川が流れています。「馬主来」は沼の東西の地名ですが、白糠町側が「ぱしゅくる」で釧路市側が「ぱしくる」と読ませています(釧路市音別町馬主来ぱしくる)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ハシクロ」という沼が描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) では「パㇱュクル」と描かれています。

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

パシクロ              休所 シラヌカ江二里余
  夷語パシクロとは鴉の事。昔時、夷人漁事に沖合へ出し處、霧深く懸りて方角を失ひしに、此沼の邊にて、鴉の啼声するを幸ひ目當になし、此所へ上陸せしより字になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.62 より引用)
paskur は「カラス」を意味します。海に漁に出たところ、霧が出て陸地の方角を見失ってしまったものの、カラスの鳴き声がする方に向かったところ、無事戻って来ることができた……というストーリーのようです。

加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。

ハシクロ ハシクル烏
  昔蝦夷人ども釣物漁に沖え出しに、モヤ懸り東西不相訳当惑いたし居候所、当所より烏の鳴声を聞ひ、夫を便りに此地え無事着のため斯名附よし。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.255 より引用)
『東蝦夷日誌』(1863-1867) にも次のように記されていました。

(二十四丁十間)ハシクロ〔嘴黒〕(沼有、周一里半、小休所)、此沼口破れ、時化の時は船渡になるよし。依て平日は馬船川原引上有。此切口、雨後は砂和らかにして蹈込甚危し。名義は烏の事也。昔白糠土人鱈釣に出、吹流されし時、濛靄深く何處共知れ難かりしに依て、海神に祈りしかば、空に鴉の聲致せし故、其聲をしたひしたひ陸の方へ船を寄せしかば、此沼に到しと。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.297 より引用)
ここまでストーリーの骨格がどれもほぼ同じなのは注目に値しますね。更に 30 年近く後の永田地名解 (1891) にも、次のように記されていました。

Pashkuru   パシュクル   鴉 此處ノ沼口ニ附ケタル稱ナリ往時海霧ノ爲メニ舟路ヲ辨セズ鴉聲ヲ聞テ舟ヲ海岸ニ着ケタル故事ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.321 より引用)
ただ、「カラスが啼いたから『パシクル』」というのはあまりによく出来たストーリー……という印象があります。他の意味があったんじゃないか……と考えてみたのですが、秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』(1808) に次のように記されていました。

 一 パシクルトウ
  パシは炭の名、烏蜆も亦同じ。クルは衆と訓す。此湖中に蜆を産す故に名となれり。
(秦檍麻呂『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.32 より引用)
あー。これは(個人的には)腑に落ちる解釈です。戊午日誌 (1859-1863) 「西部能登呂誌」には「ハシクロセイ の事也」とあり、また知里さんの『動物編』(1976) には『藻汐草』(1804) からの引用で páskunto が「イガイ」を意味するとあります。

「馬主来沼」にはシジミ、あるいはイガイなどの食用の貝が多くあり、そこからカラスの伝説が生まれた……と考えたいところです。

ウライニカル川

uray-ni-kar???
梁・木・取る
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)

2024年6月1日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1142) 「恋隠・シャチホロ川・イワイト」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

恋隠(こいかくし)

koyka-kus-{uwatte-pet}
東・通る・{和天別川}
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
和天別川の中流部で北東から合流する「恋隠川」という支流があり、その川沿いの地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が見当たりませんが(「ルヘシナイ」が相当する可能性あり)、『北海道実測切図』(1895 頃) には「コイカクシュウワッテペツ」と描かれていました。

「広報しらぬか」に連載された「和天別川筋のアイヌ語地名」によると、「コイカクシワッテ」は「コイカ(東方の)・クㇱ(通る)・ウワッテ(和天別川)」とのこと。koyka-kus-{uwatte-pet} で「東・通る・{和天別川}」と見て良さそうですね。

なお、詳しくは「和天別川筋のアイヌ語地名」を確認頂きたいのですが、貫塩喜蔵エカシは「『コィ・カ』は『波の上』と解することもできる」として津波伝説と絡めて解釈していたとのこと。白糠には「キラコタン」という「実例」があるものの、「コイカ」を「津波」と結びつけるのはちょっと考えすぎじゃないかなぁと思ってしまいます。

シャチホロ川

sat-e-woro?
乾いた・頭・水に入っている
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)