何事もなければ、そのうち戻って来られると思います。
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2024年6月29日土曜日
2024年6月28日金曜日
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2024年6月27日木曜日
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2024年6月26日水曜日
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2024年6月25日火曜日
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2024年6月24日月曜日
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2024年6月23日日曜日
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ちゃんべつ チャンペツ <音別町>
(近代〕昭和34年~現在の音別町の行政字名。もとは音別村の一部。地名の由来は,アイヌ語のチャンベツ(内陸にある川)による。
can 〈四宅〉 Chan 弱イ,低イ[J.B.]
2024年6月22日土曜日
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2024年6月21日金曜日
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2024年6月20日木曜日
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2024年6月19日水曜日
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2024年6月18日火曜日
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2024年6月17日月曜日
2024年6月16日日曜日
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東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | 北海道実測切図 (1895 頃) | 地理院地図 | 位置 |
---|---|---|---|
ワタヽイベ | アタタイペ | アカタノンペ川 | 音別川の西 |
- | オコタノンペ | オコタヌンペ川 | 音別川の西 |
- | オプカルペ | - | 音別川の西 |
ヲフシヲマナイ | - | - | 音別川の東 |
カラニホク | - | - | 音別川の東 |
ルチヤラ | - | - | 音別川の東 |
チトカンヌシ | シトカニウシ | - | 音別川の東 |
ヲヒラチミ | ヲピラ | - | 音別川の西 |
ヲフンカルシペ | - | - | 音別川の西 |
- | クッチャロ | トウンペ川 | 音別川の西 |
- | ルシケウシ | ルシケウシ沢川 | 音別川の東 |
タツタラ | - | - | 音別川の西 |
ヘンケタツタラ | - | - | 音別川の西 |
ヲシヤヲ | オーサペッ | オサッペ沢川 | 音別川の東 |
2024年6月15日土曜日
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2024年6月14日金曜日
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2024年6月13日木曜日
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2024年6月12日水曜日
2024年6月11日火曜日
2024年6月10日月曜日
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2024年6月9日日曜日
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音 別(おんべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 明治36年 3 月 1 日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「オ・ム・ペッ」(川口がふさがる川) から出たもので、音別川の川口がよくふさがるためである。
On pet オン ペッ 腐川 此川ヘ上リタル魚ハ直ニ老ルト云フ『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。
ヲンベツ〔音別〕(川幅十餘間、深し、夷家有、船渡し)名義、ヲンは木の皮を水に浸し腐らす也。是楡皮を浸せしが故に號く(地名解)。
on おン 《完》鮮度が落ちる; なれてくたくたになる。
又昔川に鹿が多く住しが、其鹿も川に入て、水迄皮毛の如く成しより號る共云。ヲンは毛の抜けるを云(メンカクシ申口)。
ヲンヘツ ヲン・ヘツ 皮類/毛ぬけ 流・川
此川上昔鹿沢山にて友喰いたし、川中へくされ流し候故名附由。
オンペッとは腐川の意味で、この川にのぼった魚は直に老魚になるという、などと解く人もある。オムはものを醸酵させることだから、こんな解釈をしたのであろうが、本来はオ・ム・ペッで便秘する川、即ち川口のふさがる川のことである。
オン(on)は腐ると訳すべきではないらしい。ねとねとになるとでも訳すべきか。例えばおひょう楡の皮から繊維を採る時に,その内皮を温泉などに浸してうるかせ,ねとねとな姿になるのをいう。そうすることをオンカ(on-ka オン・させる)という。
土地の神野一郎氏に聞くと,この川は海がしけると,砂で川口が塞がるのだといわれる。諸地に多いオムペッ(o-mu-pet 川尻が・塞がる・川)の一つらしく見える。
クスリ地名解 (1832) | ヲンヘツ | 皮類/毛ぬけ 流・川 |
---|---|---|
初航蝦夷日誌 (1850) | ヲンベツ | - |
竹四郎廻浦日記 (1856) | ヲンヘツ | - |
午手控 (1858) | ヲンベツ | - |
東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲムヘツ | - |
東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヲンベツ | 楡皮を浸す、鹿の毛が抜ける |
永田地名解 (1891) | オン ペッ | 腐川 川に上がる魚はすぐ老いる |
北海道駅名の起源 (1950) | オ・ム・ペッ | 川口・塞がる・川 |
北海道の川の名 (1971) | - | 楡皮・うるかす・川/川尻・塞がる・川 |
アイヌ語地名解 (1982) | オ・ム・ペッ | 川口の塞がる川 |
北海道の地名 (1994) | オムペッ | 川尻が・塞がる・川 |
ここは元祿郷帳の昔からオンベツであった。on(腐る、鮮度が落る、なれてくたくたになる)では解しにくかったので、いろいろな説話が生まれたのであろう。
松浦四郎の at(おひょう楡の皮)をうるかしてくたくたにする川説と、最後の川尻塞る川説の二つにひかれる。
これは松浦図でヲムペツと書いたこととも合わせ考えられる。
此辺の川何れも風浪有る時は川尻さまざまと切口変ずるが故に甚危し。
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2024年6月8日土曜日
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Chi nomi チ ノミ 祭場これは chi-nomi-sir の chi-nomi で「われら・祀る」と解釈できるのですが、ところが『東蝦夷日誌』(1863-1867) では妙なことになっていました。
(一丁五十間)チノミ(小川)、イノミの誤り、上は平山にて、大岩處々に突出したり。
チノミ チノミ 神頼 所
此所古来より夷人ヱナヲ立有を名附由。
2024年6月7日金曜日
2024年6月6日木曜日
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2024年6月5日水曜日
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2024年6月4日火曜日
2024年6月3日月曜日
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2024年6月2日日曜日
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パシクロ 休所 シラヌカ江二里余
夷語パシクロとは鴉の事。昔時、夷人漁事に沖合へ出し處、霧深く懸りて方角を失ひしに、此沼の邊にて、鴉の啼声するを幸ひ目當になし、此所へ上陸せしより字になすといふ。
ハシクロ ハシクル烏
昔蝦夷人ども釣物漁に沖え出しに、モヤ懸り東西不二相訳一当惑いたし居候所、当所より烏の鳴声を聞ひ、夫を便りに此地え無事着のため斯名附よし。
(二十四丁十間)ハシクロ〔嘴黒〕(沼有、周一里半、小休所)、此沼口破れ、時化の時は船渡になるよし。依て平日は馬船川原引上有。此切口、雨後は砂和らかにして蹈込甚危し。名義は烏の事也。昔白糠土人鱈釣に出、吹流されし時、濛靄深く何處共知れ難かりしに依て、海神に祈りしかば、空に鴉の聲致せし故、其聲をしたひしたひ陸の方へ船を寄せしかば、此沼に到しと。
Pashkuru パシュクル 鴉 此處ノ沼口ニ附ケタル稱ナリ往時海霧ノ爲メニ舟路ヲ辨セズ鴉聲ヲ聞テ舟ヲ海岸ニ着ケタル故事ナリただ、「カラスが啼いたから『パシクル』」というのはあまりによく出来たストーリー……という印象があります。他の意味があったんじゃないか……と考えてみたのですが、秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』(1808) に次のように記されていました。
一 パシクルトウ
パシは炭の名、烏蜆も亦同じ。クルは衆と訓す。此湖中に蜆を産す故に名となれり。
2024年6月1日土曜日
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