2024年6月9日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1145) 「音別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

音別(おんべつ)

o-mu-pet?
河口・塞がる・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町の西隣の町の名前で、同名の駅もあります。かつての白糠郡音別町ですが、2005 年に釧路市と合併して巨大な飛び地となりました。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ムヘツ」と描かれているようにも見えますが、これはおそらく「ムヘツ」だと思われます。『北海道実測切図』(1895 頃) には「オンペッ」と描かれています。

川口がふさがる川

「北海道駅名の起源」には次のように記されていました。

  音 別(おんべつ)
所在地 (釧路国)白糠郡音別町
開 駅 明治36年 3 月 1 日(北海道鉄道部)
起 源 アイヌ語の「オ・ム・ペッ」(川口がふさがる川) から出たもので、音別川の川口がよくふさがるためである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.128 より引用)
o-mu-pet で「河口・塞がる・川」ではないかという説ですね。

腐る川、発酵させる川

一方で永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

On pet   オン ペッ   腐川 此川ヘ上リタル魚ハ直ニ老ルト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.320 より引用)
『東蝦夷日誌』(1863-1867) には次のように記されていました。

ヲンベツ〔音別〕(川幅十餘間、深し、夷家有、船渡し)名義、ヲンは木の皮を水に浸し腐らす也。是楡皮を浸せしが故に號く(地名解)。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.296 より引用)
おっ、これも「腐らせる」説ですね。on にそんな意味があったかなーと思ったのですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) に次のように記されていました。

on おン 《完》鮮度が落ちる; なれてくたくたになる。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.76 より引用)
確かに on は「腐らせる」という意味があるように見えますが、(アットゥシをつくるために)楡の樹皮を水に漬けるのは wor あるいは hor などを使うことが多いですし、「腐らせる」というのはちょっとニュアンスが異なるようにも思えます。

ただ、『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) では on は「発酵する」とされていて、例文は「樹皮をうるかす」ものでしたので、『東蝦夷日誌』の「ヲンは木の皮を水に浸し腐らす也」という解釈は適切なものだったと言えそうです。

鹿の毛が抜ける川

『東蝦夷日誌』には続きもありまして……

又昔川に鹿が多く住しが、其鹿も川に入て、水迄皮毛の如く成しより號る共云。ヲンは毛の抜けるを云(メンカクシ申口)。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.296 より引用)
「ヲンは毛の抜けるを云」とありますが、これはちょっと裏付けが取れませんでした。

秦檍麻呂の『東蝦夷地名考』(1808) や上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には、不思議なことに「シヤクベツ」(=尺別)の記録があるものの、音別に相当する地名の記録がありません(シヤクベツに番屋があったことも関係あるかもしれません)。ただ幸いなことに加賀伝蔵の『クスリ地名解』(1832) に言及がありました。

ヲンヘツ ヲン・ヘツ 皮類/毛ぬけ 流・川
  此川上昔鹿沢山にて友喰いたし、川中へくされ流し候故名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.254 より引用)
これは東蝦夷日誌の「鹿の毛が抜ける」と同じ説ですね。もっとも細かな点では違いも見られますが……。

「腐る川」説の否定

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

オンペッとは腐川の意味で、この川にのぼった魚は直に老魚になるという、などと解く人もある。オムはものを醸酵させることだから、こんな解釈をしたのであろうが、本来はオ・ム・ペッで便秘する川、即ち川口のふさがる川のことである。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.242 より引用)
「便秘する川」とはなかなか洒落が利いていますが、確かに「河口」は「尻」なのでその通りなんですよね。

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

 オン(on)は腐ると訳すべきではないらしい。ねとねとになるとでも訳すべきか。例えばおひょう楡の皮から繊維を採る時に,その内皮を温泉などに浸してうるかせ,ねとねとな姿になるのをいう。そうすることをオンカ(on-ka オン・させる)という。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.283 より引用)
やはり「腐る」と取るべきでは無いということですね。更に続きがありまして……

土地の神野一郎氏に聞くと,この川は海がしけると,砂で川口が塞がるのだといわれる。諸地に多いオムペッ(o-mu-pet 川尻が・塞がる・川)の一つらしく見える。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.284 より引用)

「駅名の起源」の新説に至るまでの背景

ここまでの諸説を時系列に並べてみると、ちょっと面白いことに気付かされます。

クスリ地名解 (1832)ヲンヘツ皮類/毛ぬけ 流・川
初航蝦夷日誌 (1850)ヲンベツ-
竹四郎廻浦日記 (1856)ヲンヘツ-
午手控 (1858)ヲンベツ-
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ヲムヘツ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ヲンベツ楡皮を浸す、鹿の毛が抜ける
永田地名解 (1891)オン ペッ腐川 川に上がる魚はすぐ老いる
北海道駅名の起源 (1950)オ・ム・ペッ川口・塞がる・川
北海道の川の名 (1971)-楡皮・うるかす・川/川尻・塞がる・川
アイヌ語地名解 (1982)オ・ム・ペッ川口の塞がる川
北海道の地名 (1994)オムペッ川尻が・塞がる・川

永田地名解までと、「北海道駅名の起源」の後で解がコロっと変わっていることがわかります。山田秀三さんは『北海道の川の名』(1971) にて、このことについて次のような考察を記していました。

 ここは元祿郷帳の昔からオンベツであった。on(腐る、鮮度が落る、なれてくたくたになる)では解しにくかったので、いろいろな説話が生まれたのであろう。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.114 より引用)
このように記した上で、次のようにまとめていました。

松浦四郎の at(おひょう楡の皮)をうるかしてくたくたにする川説と、最後の川尻塞る川説の二つにひかれる。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.114 より引用)※ 原文ママ
この時点では慎重な山田さんらしく「両論併記」でしたが、「北海道駅名の起源」が「川口・塞がる・川」という説を出してきたことについては……

これは松浦図でヲムペツと書いたこととも合わせ考えられる。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.284 より引用)※ 原文ママ
あっ、言われてみれば……。「加賀家文書」の頃から軒並み「ヲヘツ」だった中で、『東西蝦夷山川地理取調図』だけが唯一「ヲヘツ」でしたね。「東西蝦夷──」は他の資料と比べると信頼性の面で若干劣るという評価もありますが、それでも「ヲムヘツ」という記録が一つでも存在するというのは大きいです。

音別川はどんな川だったか

「河口が塞がる川」の傍証探しではありませんが、「陸軍図」では「音別川」と「尺別川」が河口で繋がっていて(!)、河口の流れは(音別川の流れと比べると)かなり細く描かれていました。また『竹四郎廻浦日記』にも次のように記されていました。

此辺の川何れも風浪有る時は川尻さまざまと切口変ずるが故に甚危し。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.458-459 より引用)
当時から「河口の位置がコロコロ変わる川」と見られていた……ということになりますね。これらの記録を総合すると、やはり o-mu-pet で「河口・塞がる・川」と見て良いのかな、と思わせます。

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