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青看板の支柱に十字路の警告標識がある……のは良いのですが、その下に「西士狩西十九号」という縦書きの標識があるのが面白いですね。
2024年4月30日火曜日
2024年4月29日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
私は何週間も雨に降られていたので、はじめのうちはあまり気にもしなかったが、まもなく眼前に変化が起こり、私の注意はそれにひきつけられた。いたるところに烈しい水音が聞こえ、大きな木が辷り落ち、他の木もまきぞえをくって倒れた。
地震のときのように音を轟かせながら山腹が崩れ、山半分が、その気高い杉の森とともに、前に突き出し、樹木は、その生えている地面とともに、まっさかさまに落ちて行き、川の流れを変えた。
現実に私の眼の前で、この新しい道路が急に現われた奔流のために崩れ去り、あるいは数カ所で崖崩れのために埋まった。少し下方では、一瞬のうちに百ヤードも道路が消えてしまい、それとともにりっぱな橋が流され、下の方の奔流に横になって倒れたままになっていた。
山を下って行くと、事態はさらに悪化し、山崩れが滝のように樹木や丸太、岩石を押し流していた。
彼らは、もし急げば彼らが出てきた村へなんとか行きつくことができるだろう、と語った。
しかし話をしているうちに、下の橋が流れてしまった。
彼らは、私を荷鞍にしっかり結びつけてあげよう、と言ってきかなかった。
馬子は荷鞍に乗れとわたしを急 き立てました。
They insisted on lashing me to the pack-saddle.
あの大きな谷川は、前にはその美しさを賞賛したのだったが、今ではもう恐ろしいものとなり、浅瀬がないところを四度も歩いて渡らねばならなかった。
最後に渡った川では、流れが強くて、男たちも馬も力の限りをつくした。私は馬に結びつけられていたから動きがとれず、実は眼を閉じて観念していた。
そこをやっと通り越すと、この村のある土地にやってきた。水田は土手が破れ、他の作物を耕作している美しい畑は、畝 も畦 もすべて跡形もなくなっていた。水量が増してきたから急がなければならない、と男たちは言った。
彼らは、私を結んでいる綱をとき、もっと気持ちよく馬に乗っていられるようにしてくれた。彼らは馬に話しかけ、駆け足で進んだ。
雨は滝のように降ってきたので、ひょっとして鞍から私が押し流されたらどうなるだろうかと考えていたとき、突然眼の前に火花がどっと散って、言語に絶したものを感じた。私は息がつまり、打撲傷を受けていた。
やがて私は三人の男たちによって溝から救い出された。そこでようやく知ったのだが、馬が険しい坂を下りるときに転んでしまい、私は馬の前に飛ばされたのだった。
男たちは駆け足で、馬は躓いて水をはねながら、私たちはりっぱな橋を渡って平川を越え、また半マイル先で別の橋を渡って同じ川を横切った。
日本の他の橋も、すべてこのようにしっかりしたものであればよいと思った。橋はどちらも長さ一〇〇フィートで、中央に橋脚があった。
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2024年4月28日日曜日
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Ioro ushi イオロ ウシ 川崎 川中ニ出デタル山崎○ 安政帳「イオルシ」トアルハ急言ナリ白糠町の「広報しらぬか」にて連載された「茶路川筋のアイヌ語地名」にも、次のように記されていました。
「エ(頭)・ウオロ(水についている)・ウシ(ところ)」に由来していて、山がせり出し、その先端が川にせまっているようすを表します。
2024年4月27日土曜日
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Makayo マカヨ 蕗臺「蕗臺」は「ふきのとう」のことで、確かに makayo は「ふきのとう」を意味します。白糠町の「広報しらぬか」にて連載された「茶路川筋のアイヌ語地名」によると、「マカヨ」は「マカヨ・タ・ナイ」が略されたもので、makayo-ta-nay で「ふきのとう・刈る・川」では無いかとのこと。
マカヨ沢のマカヨはアイヌ語で「松のたくさん、おいしげっている川」という意味である。この川に架けてある橋の名は松の生えている川にちなんで、松川橋なので、原語のマカヨそのままでは町名としてはへんだということになり、検討の末、松川部落と名づけられた。
マカヨ川は途中で二手に分かれていますが、西側(地理院地図に「マカヨ川」と記されているほう)は、茶路川とほぼ並行する向きに流れているので、その事を指して「山手にある」と呼んだのかな……という想像です。
2024年4月26日金曜日
2024年4月25日木曜日
2024年4月24日水曜日
2024年4月23日火曜日
2024年4月22日月曜日
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2024年4月21日日曜日
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オオ・ナィ(oo-nay 水の深い・川)の意であるが現在は、明渠排水工事によって直線化され、川底もブロックを張りつめて、昔の形を見ることはできない。
2024年4月20日土曜日
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Pon pira ポン ピラ 小崖ざっくりとした解が、後に知里さんに多大なる批判を浴びることになる永田地名解ですが、これは文句をつけることも無さそうな感じでしょうか。pon-pira で「小さな・崖」と見て良いかと思われます。
2024年4月19日金曜日
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2024年4月18日木曜日
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2024年4月17日水曜日
2024年4月16日火曜日
2024年4月15日月曜日
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2024年4月14日日曜日
2024年4月13日土曜日
2024年4月12日金曜日
2024年4月11日木曜日
2024年4月10日水曜日
2024年4月9日火曜日
2024年4月8日月曜日
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2024年4月7日日曜日
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masar-ka マさㇽカ もと「マサルの上」の義。海岸の草原。これは砂浜より一段高くなっているのが普通である。これによると masar-ka は「海岸の草原」とありますが、masar の項にも……
masar, -i マさㇽ 浜の草原。
地名の由来は,アイヌ語の(サンケ)マサルカ(海岸の砂地に続くはまなすなどのある草原の意)による。
2024年4月6日土曜日
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Okunep オクネㇷ゚ 塞ル處 流木多キ小川ナレバ此名アリ鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) では、この解を受けて次のように続けていました。
オㇰ・ネッ・プ「ok-net-p ひっかかっている・流木・所(川)」の意で、流木によって川口がふさがれたと解した。
ok おㇰ 《完》引っかか(ってい)る。
ヲブニブ ヲブ・ニブ 留る・木だ
此所に小川有。時化毎に寄木にて川尻を留 る故斯名附由。
今行って見ると,石炭岬の処から,街を流れるオクネップ川(o-kunne-p。川尻・黒い・もの,川か?)までの海中が岩礁で,渦潮時は海中に没し,白波が見える。
2024年4月5日金曜日
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2024年4月4日木曜日
2024年4月3日水曜日
2024年4月2日火曜日
2024年4月1日月曜日
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