2024年4月28日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1134) 「イオロウシ川・セタラ沢・鍛高」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

イオロウシ川

e-woro-us-i
頭・水についている・いつもする・ところ
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
茶路川の東支流で、白糠町高台のあたりを流れています。国土数値情報では「イオロウシ川」の北隣を「イオロウシ沢川」が流れていることになっていますが、陸軍図では現在の「イオロウシ川」の位置に「イオロウシ澤」と描かれています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲルルシ」という川が描かれていました。『北海道実測切図』(1895 頃) には「イオロウシ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Ioro ushi   イオロ ウシ   川崎 川中ニ出デタル山崎○ 安政帳「イオルシ」トアルハ急言ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.323 より引用)
白糠町の「広報しらぬか」にて連載された「茶路川筋のアイヌ語地名」にも、次のように記されていました。

「エ(頭)・ウオロ(水についている)・ウシ(ところ)」に由来していて、山がせり出し、その先端が川にせまっているようすを表します。
(広報しらぬか「茶路川筋のアイヌ語地名」より引用)
e-woro-us-i で「頭・水についている・いつもする・ところ」と読めそうでしょうか。イオロウシ川の南に標高 125 m ほどの山が伸びていて、その先端(西端)が崖になっています。

現在は国道(とかつての国鉄白糠線)を通すための崖にしか見えませんが、かつては茶路川が今よりも崖に近いところを流れていたようで、そのことから「山の先端」(=頭)がいつも水についている、と呼ばれたものと思われます。東川町の「江卸」と同型の地名と言えそうですね。

セタラ沢

setar-nay?
エゾノコリンゴ・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
茶路川の東支流で、「イオロウシ川」(と「イオロウシ沢川」)の北を流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「セタラ」と描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) でも同様に「セタラ」という名前の川が描かれています。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には、次のように記されていました。

 セタㇽ・ウン・ナィ「setar-un-nay エゾノコリンゴ(果実)・ある・川」の意で、下の語句が略された形のものであろう。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.219 より引用)
「広報しらぬか」の「茶路川筋のアイヌ語地名」にも「セタラナイ」とあるので、setar-nay と認識されていた可能性もありそうですね(間に -un が含まれていた可能性を否定するものではありません)。

現時点では setar-nay で「エゾノコリンゴ・川」と見るしかないかな、という感じですが、果たして現地に「エゾノコリンゴ」の木が自生しているかどうかは……どうなんでしょう?

鍛高(たんたか)

tantaka
カレイ(横になっているもの?)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
しそ焼酎「鍛高譚」で一躍有名になった地名ですが、その由来は少々謎めいた感じがあります。道東道・白糠 IC から 3 km ほど南東に位置する地名で、近くを「タンタカ沢」という川も流れています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「タンタカ」と描かれています。『北海道実測切図』(1895 頃) には、「タンタカ沢」の位置に「タンタカ」という名前の川が描かれています。

「タンタカ」は「カレイ」?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Tantaka   タンタカ   此目魚カレイ 川ノ名厚岸及西別ニ同名アリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.323 より引用)
確かに、知里さんの『動物編』(1976) にも「カレイ類の総称」として次のように記されています。

( 3 ) tantaka (tan-ta-ka タンタカ)成魚《シラヌカ;クッチャロ》
  注. ──マツカワ(タカノハ)をもいう。
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.23 より引用)
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には、諸説をまとめる形で次のように記されていました(孫引きですいません)。

白糠町史は「タカノハ鰈、昔タカノハ鰈がここまで遡ったという」とある。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.220 より引用)
これがほぼ定説になっているでしょうか。「タカノハカレイが白糠町鍛高まで遡った」というのは大津波を想起させますが、河口から 15 km 以上離れた鍛高まで津波が到達する可能性は十分考えられるとのこと。

白糠地名研究会は「その土地でカレイの化石をみつけたところからタンタカと名づけられたという、いわれになっている」と、そのほか女性の性器説もある(同研究会)。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.220 より引用)
ちょっと気になるのが「女性の性器説」ですが、確かに知里さんの「人間編」には tantakasamampe(どちらも本来は「カレイ」を意味する)が「女性の性器」の項にも記載されています。タンタカ沢の流域はどことなく長方形に近い形をしていて、その真中を川筋がほぼまっすぐ流れています。ただ、だからと言って、いくらなんでも……という感も拭えません。

「横になっているもの」?

「タンタカ沢」を遡ると、道東道の「鍛高トンネル」の北に「鍛高山」という標高 395 m の山が聳えています。tantaka(鰈)は samampe(鰈)と同義ですが、samampesamam-pe で「横になっている・者」に由来するとされます。

「タンタカ沢」の北西には、「鍛高山」から尾根がまっすぐ伸びていますが、「鍛高山」を頭に見立てて「横になっているもの」と考えて、samampe の別名である tantaka と呼ぶようになった……と言った可能性を考えてみました。

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