(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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マサルカ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町には「マサルカ」を名乗る地名が二つあり、一つは「庶路マサルカ」で、もう一つが白糠駅周辺の「マサルカ」です。『角川日本地名大辞典』(1987) によると「昭和46年~現在のGoogle Map や Mapion などの Web サイトでは、「白糠町マサルカ」は茶路川河口の東側の地名として出てきます(Google Map は、何故か「シラリカップ川」上流域にも出てきますが)。
『マサルカ」は「海岸の草原」を意味する語で、「小辞典』にも次のように記されています。
masar-ka マさㇽカ もと「マサルの上」の義。海岸の草原。これは砂浜より一段高くなっているのが普通である。これによると masar-ka は「海岸の草原」とありますが、masar の項にも……
masar, -i マさㇽ 浜の草原。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.57 より引用)
「浜の草原」とあり、masar と masar-ka の違いが今ひとつ良くわかりません。元々は masar の『角川日本地名大辞典』にも次のように記されていたのですが……
地名の由来は,アイヌ語の(サンケ)マサルカ(海岸の砂地に続くはまなすなどのある草原の意)による。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.1408 より引用)
『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると、海岸部の名称には大きく分けると ota(砂浜)と masar(草原)があり、masar の海側が sanke-masar(前に出る・草原)だとのこと。sanke-{masar-ka} だと「前に出る・草原の戻辺川(もとっぺ──)
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
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「栄橋」の西で茶路川に合流する支流です。読みは「もどりべがわ」とする Web もありますが、国土数値情報によると「もとっぺがわ」とのこと。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ワツテ」(=和天別川)の支流として「モヲトケフ」という川が描かれていますが、この「モヲトケフ」が「戻辺川」のことであるかどうかは何とも言えません。
ただ『北海道実測切図』(1895) では「戻辺川」に相当する川(モ
ということで「モトッペ」をどう解するかですが、mo-to-ot-pe で「小さな・沼・群在する・もの(川)」と解釈できるかどうかは……どうでしょう。-ot は動物が群在する、あるいは植物が群生する場合に使われる印象があり、「沼」に対して使うことがあるかと言われると、かなり不安があります。
「背骨」を意味する motot という語があるので、motot-pet で「背骨・川」と解釈できるかもしれません。この「戻辺川」は茶路川と和天別川の間の山塊の真ん中あたりを流れているので、これを「背骨」と呼んだのではないか……という想像です。
キラコタン
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
茶路川にかかる「栄橋」の北西、茶路川の氾濫原のあたりに残る地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が見当たりませんが、『北海道実測切図』(1895) には「キラコタン」と描かれていました。鶴居村の「キラコタン岬」と似た地名で、こちらも kira-kotan で「逃げる・村」と考えられそうです。白糠町の「広報しらぬか」の連載「茶路川筋のアイヌ語地名」には次のように記されていました。
「キラコタン」は、西茶路地区にある「キラ(逃げる)・コタン(村)」という意味のアイヌ語地名で、昔、津波が襲来したとき、海岸沿いのマサルカから村をあげて逃げてきたところからその名がつきました。
(広報しらぬか「茶路川筋のアイヌ語地名」より引用)
「茶路川筋のアイヌ語地名」によると、釧路地方気象台がキラコタン(白糠町)、キラコタン岬(鶴居村)、床潭(厚岸町)などを対象に文献調査・現地調査を行い、白糠町のキラコタンについて「地名の由来が確実に津波の影響と考えられる」とまとめたとのこと。コタンの引っ越しは疫病が原因であることが多いと考えられるのですが、白糠の「キラコタン」の場合は「津波が原因である」と認定できる珍しいケースだったようです。
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