2024年3月24日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1126) 「シンク川・コイカタショロ川・コイポクショコツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

シンク川

sunku???
エゾマツ
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
庶路川を遡ると、上流部で「コイカタショロ川」と「コイポクショコツ川」の二手に分かれていますが、分岐点(=合流点)の 1 km ほど手前(下流側)で「シンク川」が東側から合流しています。この川を遡ると釧路阿寒町との分水嶺で、分水嶺を越えた先には「シュンクシタカラ川」の支流である「第十三小川」や「シュンクシタカラ湖」があります。

ケ子ルナイ

『北海道実測切図』(1895) には「ケ子ルナイ」という名前で描かれています。厳密には「シンク川」を遡ると二手に分かれていて、地理院地図は北側の流路のみを描いていますが、北海道実測切図では二手に分かれた流路がそのまま描かれていて、南側の流路が「ケ子ルナイ」だとしています。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

 この山奥にうっかりすると見落とすような小沢に名がつけられているのは、それなり生活と何等かの深いかかわりがあったものと思われる。白糠地名研究会は「ケリ・ムン・ナィ keri-mun-nay はきもの・草・沢」と書いたが、はきもの草とは、ヤマアワのことをさしているのであろうか。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.240 より引用)
「ケリムンナイ」が「ケルナイ」に変化した……というのも個人的には違和感があるのですが、「はきもの草」というのもかなり謎な感じですね。何か根拠があってこの解がひねり出されたのだと思いますが……。

素直に逐語解をするならば kene-ru-nay で「ハンノキ・路・川」ですが、これだと名詞が並んだ「パン、茶、宿直」的な解になってしまいます。kene-o-ru-us-nay とかであれば、まだ理解できる形に近いかもしれません。

閑話休題

つい本題を忘れてしまいそうになりますが、「シンク川」の地名解でしたね。地理的な位置関係からは「シュンクシタカラ湖」との関連も考えたくなりますが、位置的には「第十三小川」のほうが関係が深いかもしれません。庶路川筋からシュンクシタカラ川筋に出るには悪くないルートのようにも思えます。

「シンク川」は sunku で「エゾマツ」と解釈できるでしょうか。元は sunku-us-nay で「エゾマツ・多くある・川」とかで、このあたりに何故かエゾマツが多い、と言ったことがあったのでしょうか。

あるいは {sunku-us-sitatkar}-ru-pes-pe で「{シュンクシタカラ川}・路・ついている・もの(川)」が略しに略された可能性もあるかもしれません。
そもそも「シュンクシタカラ」の「シュンク」も sunku の可能性が高そうなので、「シンク川」はつまるところ sunku で「エゾマツ」と見ていいのでは無いでしょうか。ただ陸軍図やそれ以前の地図に存在が確認できないので、直接的なアイヌ語由来川名であるかどうかはなんとも言えません。

コイカタショロ川

koyka-ta-{so-oro}
東・にある・{庶路川}
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
庶路川の源流の一つで、もう一つの源流とも言えるコイポクショコツ川から見て東側を流れています。のっけから壮大にネタバレしていますが……。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「コイカタシヨ」という名前で描かれていますが、『北海道実測切図』(1895) では「コイカタシヨロ」となっています。

戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」には次のように記されていました。

 また是より右え
     コイカタシヨロロ
 是東の方え入り込本川也。是シタカロとメアカンの川と並びて其岳の下え行よし也。此水源よりアキベツまたはメアカンのルベシベ等え二日にはやしと聞り。山すべて椴木立なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上』北海道出版企画センター p.526 より引用)
あれ、「東西蝦夷──」では「コイカタシヨ」でしたが、こちらは「コイカタショロ」に近い「コイカタシヨロロ」になっていますね。となると意味するところは明瞭で、koyka-ta-{so-oro} で「東・にある・{庶路川}」ということになりますね。

あとこれは余談ですが、良く見たら「山すべて椴木立なり」とありますね。インフォーマントがこのように認識していたということは、このあたりではエゾマツが自生するだけで地名となりうる可能性が出てきた、とも言えますね(=シンク川)。

コイポクショコツ川

koypok-kus-so-kot
西・通る・滝・谷間
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
庶路川の源流の一つで、もう一つの源流とも言えるコイカタショロ川から見て西側を流れています(地球著者にやさしいコピペでお送りしています)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれていますが、更に上流部で「コエカタシヨクヘ」と「コイホクシヨクヘ」に分かれていて、肝心の「コイポクショコツ川」に相当する川名が見当たりません。『北海道実測切図』(1895) では「コイポㇰシヨコツ」と描かれていて、ほぼ現在の川名に近いものになっています。

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Koipok sho kot    コイポク シヨ コッ   西ノ瀧谷
Koikata sho oro   コイカタ シヨ オロ   東ノ瀧川
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.325 より引用)
「コイカタショ川」と「コイポクショ川」という形で川名が割れてしまったのは永田地名解のせい……と断言することはできませんが、『東西蝦夷山川地理取調図』では「コイカタショロ川」が「コイカタシヨコツ」と描かれていたんでしたね。

久しぶりに表にまとめてみましょうか。

午手控 (1858) コイホクシシヨロヽコイカタシシヨロヽ
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)-コイカタシヨコツ
戊午日誌 (1859-1863)
「東部久須利誌」
コイボクシヨロロコイカタシヨロロ
北海道実測切図 (1895)コイポㇰシヨコツコイカタシヨオロ
陸軍図 (1920)コイボクショコツ川コイカタショロ川
地理院地図コイポクショコツ川コイカタショロ川

うーん、二通りの可能性が出てきちゃいましたね。一つは「──ショロロ」と呼ぶ流儀と「──ショコツ」という呼ぶ流儀がどちらも存在したという考え方で、もう一つは松浦武四郎、あるいはそのインフォーマントの「うっかり」説です。

ただ、アイヌ語地名の流儀で言えば「コイカがあるならコイポクもある」なので、その点からは松浦武四郎の記録(先程の表では上半分)のほうが妥当に思えます。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

 コィポㇰ・クㇱ・ソ・コッ(koypok-kus-so-kot 西を・通る・滝・谷間)の意である。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.240 より引用)
どこからともなく -kus が出てきましたが、koyka-kus で始まる地名も少なくないので、妥当な解釈に思えます。鎌田さんの解釈通り、koypok-kus-so-kot で「西・通る・滝・谷間」と見て良いかと思われます。

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