(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
イルモクンナイ川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
トマリベツ川の 0.3 km ほど上流側で庶路川に注ぐ西支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい名前の川が見当たらないのですが、『北海道実測切図』(1895) には「エルモクンナイ」という川と、それとは別に「エレモクンナイ」という川が描かれています。ほぼ同名の川が二つ存在したことになるのですが、現在「イルモクンナイ川」とされる川は南側の「エ
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。
エルモクンナイ
イルモクンナイ(地理院図)
オルコマーフプ(営林署図)
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.232 より引用)
やはりと言うべきか、早くも混乱が見られます。『北海道実測切図』によると「オリコマプ」は「エルモクンナイ」の南隣の川で、現在の「アカツキ川」に相当すると考えられます。白糠地名研究会は「エルㇺ・クンネ・ナイ ねずみ・黒い・沢」と記した。単語の意味はそのとおりであろうが、全体の意味がつかめない。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.232 より引用)
そうですね。同感です。エンルㇺ・ク・ウン・ナイ(出崎に・仕掛弓・ある・川)と読めないだろうか。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.232 より引用)
読めなくは無さそうですが、enrum と ku の間に何かが抜け落ちた……と考える必要があるかもしれませんね。たとえば enrum-us-ku-un-nay であれば「岬・ついている・仕掛け弓・ある・川」となりますが、us と un というのも奇妙な感じがします。もっと単純に enrum-kur-nay(音韻変化で enrum-kun-nay となる)で「岬・影・川」と考えられないでしょうか。これも kur と nay の間の何か(-un とか?)が抜け落ちたのかもしれませんが……。
ケトンチ川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
庶路川の西支流で、白糠町中庶路のあたりを流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ケトンヂ」という川が描かれています。『北海道実測切図』(1895) には「ケトンチコタン」と言う川?が描かれていました。川の名前に「コタン」はあり得ないので、「ケトンチコタン」というコタンがあり、その近くを流れる川をそのまま「ケトンチコタン」と呼んだ……とかでしょうね。
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Ketonchi kotan ケトンチ コタン 熊皮ヲ張リテ乾ス村 北見國常呂郡根室國標津ニ同名ノ地アリ「ケトンチ」については、『地名アイヌ語小辞典』(1956) の記載をそのまま見るのが一番理解が捗りそうな気がするので……
ket-un-chi ケと゚ンチ 皮張枠。[<ket-un-chise(皮張棒の・ついている・家;生皮を張った枠を両方から屋根のように寄せかけてその下で火を焚いて乾すようにしたもの)の下略形]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.46 より引用)
ket が獣の皮を乾かす際に使用する張り枠だ……というのはなんとなく理解していたのですが、ket-un-chi は ket-un-chise の下略系と考えられるのですね。別の言い方をすれば ket という骨組みを組み立てたものが ket-un-chise で、「皮張枠の骨組み・ある・家」、即ち「皮張枠」だ……ということになりそうでしょうか。「ケトンチコタン」のあたりには、そう言った「皮張枠」がいくつか存在した……ということなのでしょうね。
オレウケナイ沢
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白糠町中庶路のあたりで北から庶路川に注ぐ支流の名前……なんですが、色々と謎の多そうな川です。西支流だった?
『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲメウケナイ」という名前の川が、庶路川の「西支流」として描かれています。戊午日誌 (1859-1863) 「東部久須利誌」にも次のように記されていました。またしばし上りて
ヲメウケナイ
シリコロチ
二川とも左りの方小川。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上』北海道出版企画センター p.524 より引用)
一方、『北海道実測切図』(1895) には、庶路川の「東支流」として「オレウケナイ」が描かれていました。松浦武四郎の庶路川筋の記録は聞き書きだと思われるので(違っていたらすいません)、一旦はノイズとして捨ててしまって良さそうな感じでしょうか。オレウケナイの河口は何処に
また『北海道実測切図』では「オレウケナイ」の河口付近で庶路川の川筋が東偏していて、現在の「オレウケナイ沢」の南半分が庶路川の本流だったように描かれています。このあたりの庶路川はしばしば流路を変えていたようにも見えるので、ありそうな話ですが、現在の等高線を見ると「え? 本当?」と思ってしまったりも……。最大の疑問が、現在の「オレウケナイ沢」の西隣を流れる川で、現在は「オレウケナイ沢」との接点を持たない、独立した支流として描かれているのですが、『北海道実測切図』や『北海測量舎図』では「オレウケナイ沢」と合流するように描かれていて、しかもこの(現在は)無名の川が「オレウケナイ」本体であるかのように描かれています。
河口が曲がっている川
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。Oreuke nai オレウケナイ 曲川 川尻潰裂シテ曲リタル川ナリト土人云フはい。o-rewke-nay で「河口・曲がっている・川」だと考えられるのですが、故に「オレウケナイ」の「河口」がどこに存在していたかが重要なのですね。陸軍図から現在の地理院地図に至るまで、流路に大きな変化は見られないのですが、とても「河口が曲がっている川」には見えない……という問題が残ります。
『北海道実測切図』や『北海測量舎図』では陸軍図とは異なる流路で描かれているので、「河口が曲がっている川」である可能性が高まりそうな感じですが、そこまで特徴的な曲がり方をしているかと言われると……。
ということで、「オレウケナイ」の正確な位置はなんか疑わしいようにも思えますが、意味するところは o-rewke-nay で「河口・曲がっている・川」と見て間違いないと思われます。色々と謎の多い川ですね……。
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